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「南アフリカの持つ魅力」

 どんな国を旅しても、だいたい2~3日も歩き回れば、何となくその国の雰囲気や感覚というものが肌を通して伝わってくる。だが、ここ南アフリカでは、それが難しい。ケープタウンという都市をずいぶん見て回ったが、いまだ「この国のカタチ」というものがつかめずにいる。  たとえば、テーブルマウンテン。頂上がナイフで切ったように平らな形をしていることからこの名がついたダイナミックな山は、この町の象徴。ロープウェイで頂上まで登れば、ケープタウン市街地やテーブル湾を一望する絶景が楽しめる――はずだったが、この日は頂上一帯に雲がかかり、あたり一面真っ白。パンフレットにあった眺望を楽しむことはできなかったが、普段はなかなか経験することのできない「雲のなかにいる」感覚を味わうことができた。    ウォーターフロントは、旧港を再開発したエリア。水族館やショピングセンター、ホテルやレストランが並ぶ、ケープタウンを訪れた観光客なら誰もが訪れるスポットだ。治安が悪いと言われる南アフリカだが、このウォーターフロントは家族連れでも安心して散策することができる。明るい陽光を浴びながら、港を横目にそぞろ歩きを楽しみ、気に入ったレストランに立ち寄り美味しいシーフードに舌鼓を打っていると、まるでヨーロッパのリゾート地に来たかのような錯覚に陥る。   17世紀にオランダ領マレーから奴隷として連れて来られた人々の子孫が暮らすマレークォーターには、かわいらしいパステルカラーの家々が建ち並ぶ。なかには18世紀に建てられた古い家もあるそうだが、すべて明るい色調に塗り替えられているので、まったく古さを感じさせない。ピンクやスカイブルーなど色とりどりの邸宅が並ぶ通りを歩いていると、まるで絵本の世界に迷い込んだよう。だが、彼らの先祖がこの地に移り住むようになった経緯を考えると、複雑な気分にさせられる。     テーブルマウンテンの南側にあるタウンシップ(旧黒人居住区)。アパルトヘイト時代は人種によって居住区域を定められていたが、いまはどの人種でも自由に住む土地を決めることができる。とはいえ、仕事もなく、いまだに貧しい暮らしを強いられている黒人は多く、彼らは依然としてタウンシップに住み続けている。なかにはレンガ造りで電気・水道のある家もあるが、そのほとんどは集めてきた廃材を利用して建てた小さな家で、大雨が降れば家中が水浸しになってしまうという暮らし。何とか職を探そうとするがうまくいかず、アルコールやドラッグに溺れてしまう人も少なくない。     ケープタウンで訪れたこれらのスポットに共通項を見つけることは難しい。自然や歴史、景観や娯楽――様々な切り口からとらえようとも、これらをひとつの枠内におさめることはできそうにない。だが、見方を変えれば、それこそが南アフリカという国なのかもしれない。あまりに様々な、そしてときには相反するような要素を併せ持つこの国を、「南アフリカとは、こんな国である」とたったひと言で説明するには無理がある。だが、まったく異なる様々な要素がモザイク状に集まって成り立つ国なのだと理解すれば、これまで見てきたすべてのエリアがこの国を構成する重要なファクターなのだと合点がいく。  そんなことを考えていると、僕はごく身近に似たような都市があることに気がついた。僕の育った町・新宿だ。新宿西口には高層ビルが建ち並ぶビジネス街があり、東口には歌舞伎町という日本一の歓楽街もある。新宿二丁目にはLGBTの人々が集い、大久保界隈には韓国人をはじめとする多くの外国人が暮らしている。早稲田大学など多くの大学や専門学校が集まる高田馬場は学生街としてにぎわい、神楽坂には昔ながらの情緒ある店が多く残っている。  日本にも個性ある町はいくつも存在するが、これだけバラエティに富んだ要素が詰まった町は、新宿をおいてほかにないのではないだろうか。そして、僕の感じる都市の魅力とは、まさにこうしたところにあるのだと気づかされた。一面的ではなく、様々な要素によって構成される多文化共生の町。それだけに摩擦や衝突、格差や偏見というものも生まれやすいのかもしれないが、そうした違いを乗り越えてひとつになることに、僕は大きな魅力を感じるのだ。  明日はケープタウンを離れ、マーゲートという海辺の小さな町へと移動する。そこにはどんな魅力が詰まっているのか、期待に胸をふくらませている。


「カラードの主張」

成田空港を出発してから26時間。南アフリカで最も風光明媚な都市として知られるケープタウンに到着した。空港からホテルへと向かうシャトルバスのなかで、同乗したドイツ人夫婦から、「今日はカーニバルがあるから、街はずいぶんにぎやかになるようだ」と聞かされた。「どうりでホテルの料金がべらぼうに高かったわけだ」と苦笑しながらも、部屋に荷物を置くと、早速、外へと飛び出した。   シャトルバスの車窓から見えた、いちばんにぎやかなエリアへ。ケープタウン駅の南側に広がるグラン・パレードという広場には露天がずらりと並び、雑貨やみやげものを売っている。祭り特有の浮ついた空気に胸踊らせながら進んでいくと、やがて大通りに行き着く。左手には、刑務所から釈放されたばかりのネルソン・マンデラ元大統領がスピーチしたことで知られる、イタリア様式の美しい市役所が見える。   大通りの両側はフェンスが設けられ、カーニバルの始まりを今か今かと待ちかまえる人々でごった返していた。なかには折りたたみ式の椅子を持ち込んでフェンス際に陣取っている家族連れの姿もある。何とか人垣の少ないポイントを探し、車いすで進んでいく。首尾よく最前列を確保。フェンスにしっかりと捕まりながら、僕は視線を遠くにやった。ちょうど市役所の前で、やけにカラフルな一団が待機している。まもなく始まりそうだ。 このカーニバルは、「Minstrel Carnival(吟遊詩人フェスティバル)」と呼ばれるもので、毎年1月2日~4日にかけてケープタウンで開催されている。3日間で1万3000人を超すパフォーマーが登場し、彼らはこの日のために数ヶ月も前から準備に勤しむのだとか。この「Minstrel Carnival」は、子どもたちだけでなく、大人たちをも熱狂させる一大イベントなのだ。だが、このカーニバルが開催されるようになった経緯を知ると、少し見方が変わってくる。   17世紀以降、オランダ領マレーから多くの奴隷や流刑者がケープ植民地に送られてきた。彼らは主に白人の奴隷として扱われていたが、新年の休日として1月2日だけは休みを与えられていた。そこで、その日にマレー系移民の人々が集い、政治的な抗議をするという意味合いでパレードが行われるようになったのだという。これが、いまではケープタウンの風物詩にまでなった「Minstrel Carnival」の始まりだ。   20世紀に入ると、オランダ系白人の政権によるアパルトヘイト政策が開始された。アパルトヘイトというと、「白人が黒人を抑圧していた」というイメージが強いが、その表現は正確ではない。南アフリカには白人と黒人以外にも様々な人種が存在しており、彼らを明確に分類することで、住む場所や職業、婚姻の自由など、人間として生きる権利を著しく制限する政策――それがアパルトヘイトだったのだ。   マレー系移民の人々は、インド系移民や、黒人と白人の混血の人々と同じく「カラード」として分類された。わかりやすく言いかえるならば、白人でも黒人でもない「第三の存在」という分類だ。彼らもまた居住区が決められ、婚姻もカラード同士でなければならないとされた。やはり黒人同様、生きる権利を大きく制限されたのだ。こうした経緯から、かつてマレー系の人々が行っていたパレードは、カラード全体のお祭りへと発展していったのだという。   男性の声でアナウンスが流れると、沿道に集まった人々から歓声があがる。フェンスから身を乗り出すようにして周囲をうかがうと、先ほどまで待機していた一団がこちらに近づいてくる。楽団による華々しい音楽が、耳に心地いい。このカーニバルには80を超えるグループが参加しているというが、この一団は赤を基調とした衣装に身を包み、顔には派手なペインティング、手にはそれぞれ傘や楽器を持っている。 アパルトヘイトが撤廃されて20年。しかし、社会の状況が劇的に変わったとは言いがたい。法律上の差別や制限はなくなったが、いまだ住環境や職業などにおける格差は大きく、白人のように恵まれた生活を送っているわけではない。少なからず抑圧を感じながら生きているだろう彼らだが、しかし派手な衣装で着飾り、陽気に楽器を打ち鳴らすその姿は、生きているよろこびを爆発させ、自分たちの存在を誇らしげに主張しているかのようにも見えた。   このカーニバルを見ながら、僕は昨年5月に参加した「東京レインボープライド2013」のことを思い出していた。このパレードはLGBTへの理解を求める趣旨で行われたものだが、僕にもLGBTの友人がいることから参加させてもらった。青空のもと代々木公園を出発し、渋谷の繁華街を抜けて明治通りへ。カラフルな衣装や飾りつけをした一団のにぎやかなパレードに、沿道の人々も笑顔で手を振ってくれた。 そのとき、僕のとなりにいた女性参加者のひとりが、ポツリとつぶやいた。「大通りでこんなことができちゃうなんてねえ」――その言葉に、僕はハッとさせられた。普段は自身の境遇を隠したり、カミングアウトしていてもどこか肩身の狭い思いをしたり。そうして生きてきた人々が、いま渋谷の喧騒のなか、「主人公となって」歩んでいるのだ。彼女が感慨深げにつぶやいたその言葉に、彼らがかみしめている解放感や達成感というものを、わずかながら共有することができた。   そして、いま僕の目の前ではカラードと呼ばれる人々が主役となり、熱狂しながら大通りを闊歩している。笑顔、笑顔、笑顔――。彼らの底抜けに明るい表情と、思わず踊りだしたくなってしまうほど楽しげな音楽は、しかし、その裏側にある南アフリカという国の歴史が生み出した悲劇を思い起こさせた。南アフリカ到着から数時間、いきなり強烈な体験を味わった夜。これから10日間、まだまだ多くのことを考えさせられる旅となりそうだ。


「バナナトレイン」

染谷西郷と出会ったのは、9年前。マカオの地だった。FUNKISTというバンドでボーカルを務める彼は、異国のステージ上で激しいパフォーマンスを繰り広げ、熱のこもったメッセージを伝えていた。言葉が通じないはずの観客たちはそれでも熱狂し、となりの観客と肩を組んで踊り、彼の歌声に耳を傾けた。それまで会ったこともない、その存在すら知らなかった彼らのステージに圧倒された僕は、ライブ後すぐに物販コーナーに向かい、彼らのCDを買い求めた。 伝えたいメッセージに多くの共通項を持つ僕らは、すぐに意気投合。交流が始まった。はじめはメンバーが住むアパートで鍋パーティーをしたり、僕の趣味である落語を一緒に聴きに行ったりと、いわゆる友人としての付き合いだったが、やがて一緒に曲作りをしたり、被災地を訪れたりと活動をともにするようになった。彼との付き合いが長く、そして深くなっていくほど、彼の慈愛に満ちた人間性に魅了され、彼のファンになっていった。だから、南アフリカという国が、ずっと気になっていた。   西郷の父は、日本人。母は、イギリス系の南アフリカ人。彼らが出会った当時、南アフリカはアパルトヘイト政策下にあった。黒人に比べればまだ優遇されていたとはいえ、それでもアジア人との交際・結婚が許される環境ではなかった。彼らは意を決してスペインに移り住み、そして日本へと渡った。そこで生まれたのが西郷だった。日本だけでなく、「西にある故郷を忘れないように」というのが、彼の名の由来だ。   彼らの曲のなかには、南アフリカをモチーフにしたものが多い。『バナナトレイン』も、そのひとつだ。西郷は19歳で南アフリカを訪れたとき、祖母にすすめられるままに、「バナナトレイン」と呼ばれる列車に乗った。列車はバナナ畑を抜けていくと、やがて黒人たちが暮らす村に差しかかった。線路脇に群がる子どもたち。その衣服は汚れ、破れている。列車のなかの白人たちは、そのタイミングに合わせて車内販売されるお菓子を窓から投げる。黒人の子どもたちは、それをよろこんで拾い集める。その無邪気な子どもたちの姿に、白人たちはひとつ、またひとつとお菓子を投げていく――。   西郷のポケットには、キャンディが入っていた。だが、彼は周囲の白人たちがそうするように、それを窓から投げることが“正解”なのかわからずにいた。どうしたらいいか戸惑っていると、ふと線路脇に佇むひとりの黒人少女と目が合った。彼女は、幼い弟を抱えていた。西郷はポケットに手を入れた。だが、それを取り出し、窓の外に投げることへのためらいを最後まで拭いきることができなかった。そんな西郷に、少女はとびきりの笑顔を向ける。その笑顔に、西郷は涙を流すことしかできなかった。   そんな経験をもとに書かれたのが、『バナナトレイン』という曲だ。初めてこの曲を聞いたとき、僕は強い衝撃を受けた。他の乗客たちと同じく、線路脇の子どもたちに菓子を投げることが「善」なのか。その行為を「偽善である」と断罪し、何もしないことが「道徳的」なのか。これまで机の上で勉強してきた知識では、まるで太刀打ちすることのできない難問だった。「僕だったら、どうしただろう」――その問いが、しばらく頭のなかから離れなかった。   あれから9年。いまだ、僕のなかで答えは出ていない。だが、この難問に答えを出すための貴重な経験をようやく得ることができる。2014年1月、僕は初めて南アフリカ共和国に降り立った。ここで多くのものを目にし、多くの人と出会い、考える糧としたい。もちろん、たった10日間の経験だけでは、この問題に答えを出すことはできないかもしれない。それでもこの旅は、僕の人生を大いに豊かなものにしてくれると信じている。


『タカトシ最強論』

1月2日(木)23:40~24:35関西テレビ系にて、『タカトシ最強論』に出演します。 「不遇の天才アスリート」と題して、あのアスリートをプレゼンします。 是非、ご覧下さい!


親愛なる「おまえら」へ

 Twitter上では、不思議とアニメアイコンの若者たちから話しかけられることが多い。そのほとんどは、およそ面識のない相手に向けられたとは思えない口汚い言葉や、僕の身体的特徴をあげつらった発言であることが多い。だけど、なんとなくスルーできなくて、返信をすることも少なくない。  「あいつクソまじめにリプしてくるぞ」と面白がられたのか、昨夜は一時間に200~300近いリプライが寄せられた。そのほとんどが、アニメアイコンの若者たちだった。昨晩はどうしても仕上げなければいけない仕事があったのに、なぜか無視することができず、可能なかぎりリプライし続けていた。  初めのうちは僕のことをからかうようなコメントばかりだったのが、そのうち相談めいた内容のものが交じるようになってきた。「僕、いじめられてるんです」「学校で(ひとり)ぼっちで、いつも便所で昼飯食ってます」――どこまで本当かはわからないと思いつつも、僕はできるだけリプライを続けた。  一夜明けて、朝になると、彼らが続々とコメントをくれた。「おはよー」。僕も返した。「おはよー」。夕刻、仕事のために大阪へ向かう新幹線のなかで、僕はなぜだか彼らのことばかり考えていた。「今日は、みんなと昼食食べられたかな」「あいつ今日テストって言ってたけど、ちゃんとできたかな」「昨日の夕飯、あいつはコンビニのパンだけだったけど、今日はちゃんと食べられるのかな」  そう、不思議なことに、彼らとの間に奇妙な友情のようなものが芽生えていたのだ。いや、彼らは僕のことをからかっているだけだろうから、僕の一方的な片思いなのかもしれない。でも、息子を思う母のような、教え子を思う教師のような――とにかく、僕のなかでうまく説明のつかない感情が生まれていたのだ。  ただ、そうした僕の対応を見て、「あんな心ない言葉をぶつけてくる相手に、いちいち反応する必要はない」と顔をしかめる“良識ある”大人たちも少なくない。なかには、僕のことを心配してそう言ってくださる方もいる。だけど、僕はそうした良識ある方たちにこそ、どうしても伝えたいことがある。  彼らは「アニメアイコン」という生き物じゃない。一人ひとりに感情があり、悩みもある、血の通った若者たちなのだ。勉強ができる子もいれば、できない子もいる。家族とうまくいっている子もいれば、いってない子もいる。ただ、どの子も、「どのアイコンも」、それぞれに、必死に、生きているのだ。  僕が子どもの頃、『うちの子にかぎって…』というドラマがあった。田村正和扮する小学校教師が主人公で、クラスの子どもたちは様々な苦悩やトラブルを抱えているのだが、親は「うちの子はちゃんとしてる」と思い込み、向き合おうとすらしない。もう三十年近く前のドラマだが、現代にも共通するテーマであると思う。  彼らは、決して異世界に住んでいるわけじゃない。誰かの、いや、僕らのすごく身近なところに存在しているはずだ。「あんなやつら」と眉をしかめる大人たちは、それがもしかしたら自分の息子や娘かもしれない――という想像を、わずかながらでも抱いたことがあるだろうか。  子どもたちが仮面の奥でつぶやく言葉に耳を澄ませられる大人でありたい。注意深く耳を傾けていれば、「うるせえ、クソババア」という言葉が、「母ちゃん、助けて」と聞こえるかもしれない。「はい、頑張ります」という強がりも、「もうこれ以上、頑張れないよ」と聞こえるかもしれない。  おい、おまえら。正直、カチンと来ることもあるけど、オレ……けっしておまえらのこと嫌いじゃないからな。宿題やれよ。歯磨けよ。PCでエロ画像見たまま寝こけて、母ちゃんに見つかるなよ。明日もちゃんと学校行けよ。でも、どうしても行けない日があったら、またここに帰ってこいよ。


『あすなろラボ』

9月22日(日)21:00~21:54(フジテレビ系)『あすなろラボ』に出演します。 「乙武先生は子供の教育に熱心なイマドキのお母さんの悩みを解決できるのか!?」と題して、 子育てに悩むお母さんに向けて授業をしてます!是非ご覧ください!


『未来乃チャンネル』

8月21日(水)22:00~22:30に Panasonicさんが提供するLIVEキュレーション番組『未来乃チャンネル』に生出演します。 キュレーション番組とは、あるテーマについての厳選したVTRを見ながらトークを展開していく番組。 今日のテーマは、「プロ野球」と「いじめ」の2本。ご興味のある方は、ぜひご覧ください!


『東北発☆未来塾』

8月1日(木)23:00~23:20(Eテレ) 『東北発☆未来塾』に出演します。 「前を向くチカラ」と題して、8月の講師を努めさせていただいております。 出演日は下記の通りです。 第1週 8月1日(木)23:00~23:20 震災が突きつけた現実とは 第2週 8月8日(木)23:00~23:20 ”がんばれ”の前に必要なこと 第3週 8月15日(木)23:00~23:20 ひとつの出会いが 僕を変えた 第4週 8月22日(木)23:00~23:20 弱点とどう向き合う?~野球場が教えてくれたこと 是非、ご覧ください!


『スポーツ祭東京2013』

2013年の秋にスポーツの祭典『スポーツ祭東京2013』が開催されます。 今年東京都で、「第68回国民体育大会」と「第13回全国障害者スポーツ大会」を一つの祭典として開催するスポーツの大会です。 東京都における国民体育大会(国体)の開催は、冬季大会が平成17年の第60回大会以来、8年ぶり2回目、本大会が昭和34年の第14回大会以来、54年ぶり3回目、全国障害者スポーツ大会は初めての開催となります。 多摩、島しょ地域を中心に都内全域で開催します。 今回、10月8日に味の素スタジアムで行われます「第68回国民体育大会閉会式」にゲスト(フィールド司会者)出演が決定しました! 観覧希望も受付しております。(お申し込みはこちらまで) ぜひ、会場に遊びに来てください!


読売新聞朝刊(6月8日付)での発言について

 本日は、お詫びしなければならないことが。  6月8日付の読売新聞・朝刊「Nippon蘇れ」という企画のなかで、慶應義塾長・清家篤さん、女優・有馬稲子さんと鼎談させていただきました。このときのテーマが「高齢化社会」。それに対する処方箋を、それぞれの視点で語るというものでした。  その記事中、私は「バリアフリーをもっと進めていくことも重要である」という文脈から、下記の発言をしました。  【僕は海外にもよく行きますが、インターネットのホテルやレストラン検索サイトで「車椅子で行けるかどうか」という条件検索ができる。でも、日本のサイトにはないんです。】  ところが、読者からのご指摘により、国内サイトにもこうした検索ができるサイトがあるとのご指摘が。あわてて調べてみると、たしかにある大手レストラン検索サイトでは、「こだわり検索」というメニューから、「お子様連れ歓迎」「ペット同伴可」などの項目とならんで、「車椅子で入店可」の文字が。  じつは、僕もこのサイトは数年前まで利用させていただいていたのですが、その時点ではそうした機能がなかったんです。調べてみると、2010年7月から「飲食店のバリアフリー情報掲載開始」とのこと。3年前からこうした検索ができるようになっていたことを、まったく知らずにいました。  さらに、私が普段レストランや宿泊施設を検索する際に利用している大手サイトにはこうしたチェック項目がないことから、上記のような発言につながってしまいました。誤った認識を与えてしまった読者のみなさま、読売新聞、さらには先駆的な取り組みとして、こうした検索機能を付加してくださっているサイト運営会社のみなさまに、謹んでお詫び申し上げます。  また、今回のご指摘を受けて、ほかのサイトも調べてみると、「バリアフリー対応」の宿泊施設が検索できるサイト等がほかにもあることを発見。もっと、自身のなかでの情報をアップデートしていく必要を痛感しました。本当に申し訳ありません。  結果的に誤った発言をしてしまったことには深く反省するばかりですが、こうしていくつかのサイトでバリアフリー対応のレストランや宿泊施設が検索できるようになっていたことには大きなよろこびを感じるとともに、社会の進歩を感じます。  こうしたサービスが広く普及することで、障害のある人々が気兼ねなく外食したり、旅に出かけたりすることができる社会の実現に近づくことを切に願っています。


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