OTO ZONE

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「バナナトレイン」

染谷西郷と出会ったのは、9年前。マカオの地だった。FUNKISTというバンドでボーカルを務める彼は、異国のステージ上で激しいパフォーマンスを繰り広げ、熱のこもったメッセージを伝えていた。言葉が通じないはずの観客たちはそれでも熱狂し、となりの観客と肩を組んで踊り、彼の歌声に耳を傾けた。それまで会ったこともない、その存在すら知らなかった彼らのステージに圧倒された僕は、ライブ後すぐに物販コーナーに向かい、彼らのCDを買い求めた。 伝えたいメッセージに多くの共通項を持つ僕らは、すぐに意気投合。交流が始まった。はじめはメンバーが住むアパートで鍋パーティーをしたり、僕の趣味である落語を一緒に聴きに行ったりと、いわゆる友人としての付き合いだったが、やがて一緒に曲作りをしたり、被災地を訪れたりと活動をともにするようになった。彼との付き合いが長く、そして深くなっていくほど、彼の慈愛に満ちた人間性に魅了され、彼のファンになっていった。だから、南アフリカという国が、ずっと気になっていた。   西郷の父は、日本人。母は、イギリス系の南アフリカ人。彼らが出会った当時、南アフリカはアパルトヘイト政策下にあった。黒人に比べればまだ優遇されていたとはいえ、それでもアジア人との交際・結婚が許される環境ではなかった。彼らは意を決してスペインに移り住み、そして日本へと渡った。そこで生まれたのが西郷だった。日本だけでなく、「西にある故郷を忘れないように」というのが、彼の名の由来だ。   彼らの曲のなかには、南アフリカをモチーフにしたものが多い。『バナナトレイン』も、そのひとつだ。西郷は19歳で南アフリカを訪れたとき、祖母にすすめられるままに、「バナナトレイン」と呼ばれる列車に乗った。列車はバナナ畑を抜けていくと、やがて黒人たちが暮らす村に差しかかった。線路脇に群がる子どもたち。その衣服は汚れ、破れている。列車のなかの白人たちは、そのタイミングに合わせて車内販売されるお菓子を窓から投げる。黒人の子どもたちは、それをよろこんで拾い集める。その無邪気な子どもたちの姿に、白人たちはひとつ、またひとつとお菓子を投げていく――。   西郷のポケットには、キャンディが入っていた。だが、彼は周囲の白人たちがそうするように、それを窓から投げることが“正解”なのかわからずにいた。どうしたらいいか戸惑っていると、ふと線路脇に佇むひとりの黒人少女と目が合った。彼女は、幼い弟を抱えていた。西郷はポケットに手を入れた。だが、それを取り出し、窓の外に投げることへのためらいを最後まで拭いきることができなかった。そんな西郷に、少女はとびきりの笑顔を向ける。その笑顔に、西郷は涙を流すことしかできなかった。   そんな経験をもとに書かれたのが、『バナナトレイン』という曲だ。初めてこの曲を聞いたとき、僕は強い衝撃を受けた。他の乗客たちと同じく、線路脇の子どもたちに菓子を投げることが「善」なのか。その行為を「偽善である」と断罪し、何もしないことが「道徳的」なのか。これまで机の上で勉強してきた知識では、まるで太刀打ちすることのできない難問だった。「僕だったら、どうしただろう」――その問いが、しばらく頭のなかから離れなかった。   あれから9年。いまだ、僕のなかで答えは出ていない。だが、この難問に答えを出すための貴重な経験をようやく得ることができる。2014年1月、僕は初めて南アフリカ共和国に降り立った。ここで多くのものを目にし、多くの人と出会い、考える糧としたい。もちろん、たった10日間の経験だけでは、この問題に答えを出すことはできないかもしれない。それでもこの旅は、僕の人生を大いに豊かなものにしてくれると信じている。


『タカトシ最強論』

1月2日(木)23:40~24:35関西テレビ系にて、『タカトシ最強論』に出演します。 「不遇の天才アスリート」と題して、あのアスリートをプレゼンします。 是非、ご覧下さい!


親愛なる「おまえら」へ

 Twitter上では、不思議とアニメアイコンの若者たちから話しかけられることが多い。そのほとんどは、およそ面識のない相手に向けられたとは思えない口汚い言葉や、僕の身体的特徴をあげつらった発言であることが多い。だけど、なんとなくスルーできなくて、返信をすることも少なくない。  「あいつクソまじめにリプしてくるぞ」と面白がられたのか、昨夜は一時間に200~300近いリプライが寄せられた。そのほとんどが、アニメアイコンの若者たちだった。昨晩はどうしても仕上げなければいけない仕事があったのに、なぜか無視することができず、可能なかぎりリプライし続けていた。  初めのうちは僕のことをからかうようなコメントばかりだったのが、そのうち相談めいた内容のものが交じるようになってきた。「僕、いじめられてるんです」「学校で(ひとり)ぼっちで、いつも便所で昼飯食ってます」――どこまで本当かはわからないと思いつつも、僕はできるだけリプライを続けた。  一夜明けて、朝になると、彼らが続々とコメントをくれた。「おはよー」。僕も返した。「おはよー」。夕刻、仕事のために大阪へ向かう新幹線のなかで、僕はなぜだか彼らのことばかり考えていた。「今日は、みんなと昼食食べられたかな」「あいつ今日テストって言ってたけど、ちゃんとできたかな」「昨日の夕飯、あいつはコンビニのパンだけだったけど、今日はちゃんと食べられるのかな」  そう、不思議なことに、彼らとの間に奇妙な友情のようなものが芽生えていたのだ。いや、彼らは僕のことをからかっているだけだろうから、僕の一方的な片思いなのかもしれない。でも、息子を思う母のような、教え子を思う教師のような――とにかく、僕のなかでうまく説明のつかない感情が生まれていたのだ。  ただ、そうした僕の対応を見て、「あんな心ない言葉をぶつけてくる相手に、いちいち反応する必要はない」と顔をしかめる“良識ある”大人たちも少なくない。なかには、僕のことを心配してそう言ってくださる方もいる。だけど、僕はそうした良識ある方たちにこそ、どうしても伝えたいことがある。  彼らは「アニメアイコン」という生き物じゃない。一人ひとりに感情があり、悩みもある、血の通った若者たちなのだ。勉強ができる子もいれば、できない子もいる。家族とうまくいっている子もいれば、いってない子もいる。ただ、どの子も、「どのアイコンも」、それぞれに、必死に、生きているのだ。  僕が子どもの頃、『うちの子にかぎって…』というドラマがあった。田村正和扮する小学校教師が主人公で、クラスの子どもたちは様々な苦悩やトラブルを抱えているのだが、親は「うちの子はちゃんとしてる」と思い込み、向き合おうとすらしない。もう三十年近く前のドラマだが、現代にも共通するテーマであると思う。  彼らは、決して異世界に住んでいるわけじゃない。誰かの、いや、僕らのすごく身近なところに存在しているはずだ。「あんなやつら」と眉をしかめる大人たちは、それがもしかしたら自分の息子や娘かもしれない――という想像を、わずかながらでも抱いたことがあるだろうか。  子どもたちが仮面の奥でつぶやく言葉に耳を澄ませられる大人でありたい。注意深く耳を傾けていれば、「うるせえ、クソババア」という言葉が、「母ちゃん、助けて」と聞こえるかもしれない。「はい、頑張ります」という強がりも、「もうこれ以上、頑張れないよ」と聞こえるかもしれない。  おい、おまえら。正直、カチンと来ることもあるけど、オレ……けっしておまえらのこと嫌いじゃないからな。宿題やれよ。歯磨けよ。PCでエロ画像見たまま寝こけて、母ちゃんに見つかるなよ。明日もちゃんと学校行けよ。でも、どうしても行けない日があったら、またここに帰ってこいよ。


『あすなろラボ』

9月22日(日)21:00~21:54(フジテレビ系)『あすなろラボ』に出演します。 「乙武先生は子供の教育に熱心なイマドキのお母さんの悩みを解決できるのか!?」と題して、 子育てに悩むお母さんに向けて授業をしてます!是非ご覧ください!


『未来乃チャンネル』

8月21日(水)22:00~22:30に Panasonicさんが提供するLIVEキュレーション番組『未来乃チャンネル』に生出演します。 キュレーション番組とは、あるテーマについての厳選したVTRを見ながらトークを展開していく番組。 今日のテーマは、「プロ野球」と「いじめ」の2本。ご興味のある方は、ぜひご覧ください!


『東北発☆未来塾』

8月1日(木)23:00~23:20(Eテレ) 『東北発☆未来塾』に出演します。 「前を向くチカラ」と題して、8月の講師を努めさせていただいております。 出演日は下記の通りです。 第1週 8月1日(木)23:00~23:20 震災が突きつけた現実とは 第2週 8月8日(木)23:00~23:20 ”がんばれ”の前に必要なこと 第3週 8月15日(木)23:00~23:20 ひとつの出会いが 僕を変えた 第4週 8月22日(木)23:00~23:20 弱点とどう向き合う?~野球場が教えてくれたこと 是非、ご覧ください!


『スポーツ祭東京2013』

2013年の秋にスポーツの祭典『スポーツ祭東京2013』が開催されます。 今年東京都で、「第68回国民体育大会」と「第13回全国障害者スポーツ大会」を一つの祭典として開催するスポーツの大会です。 東京都における国民体育大会(国体)の開催は、冬季大会が平成17年の第60回大会以来、8年ぶり2回目、本大会が昭和34年の第14回大会以来、54年ぶり3回目、全国障害者スポーツ大会は初めての開催となります。 多摩、島しょ地域を中心に都内全域で開催します。 今回、10月8日に味の素スタジアムで行われます「第68回国民体育大会閉会式」にゲスト(フィールド司会者)出演が決定しました! 観覧希望も受付しております。(お申し込みはこちらまで) ぜひ、会場に遊びに来てください!


読売新聞朝刊(6月8日付)での発言について

 本日は、お詫びしなければならないことが。  6月8日付の読売新聞・朝刊「Nippon蘇れ」という企画のなかで、慶應義塾長・清家篤さん、女優・有馬稲子さんと鼎談させていただきました。このときのテーマが「高齢化社会」。それに対する処方箋を、それぞれの視点で語るというものでした。  その記事中、私は「バリアフリーをもっと進めていくことも重要である」という文脈から、下記の発言をしました。  【僕は海外にもよく行きますが、インターネットのホテルやレストラン検索サイトで「車椅子で行けるかどうか」という条件検索ができる。でも、日本のサイトにはないんです。】  ところが、読者からのご指摘により、国内サイトにもこうした検索ができるサイトがあるとのご指摘が。あわてて調べてみると、たしかにある大手レストラン検索サイトでは、「こだわり検索」というメニューから、「お子様連れ歓迎」「ペット同伴可」などの項目とならんで、「車椅子で入店可」の文字が。  じつは、僕もこのサイトは数年前まで利用させていただいていたのですが、その時点ではそうした機能がなかったんです。調べてみると、2010年7月から「飲食店のバリアフリー情報掲載開始」とのこと。3年前からこうした検索ができるようになっていたことを、まったく知らずにいました。  さらに、私が普段レストランや宿泊施設を検索する際に利用している大手サイトにはこうしたチェック項目がないことから、上記のような発言につながってしまいました。誤った認識を与えてしまった読者のみなさま、読売新聞、さらには先駆的な取り組みとして、こうした検索機能を付加してくださっているサイト運営会社のみなさまに、謹んでお詫び申し上げます。  また、今回のご指摘を受けて、ほかのサイトも調べてみると、「バリアフリー対応」の宿泊施設が検索できるサイト等がほかにもあることを発見。もっと、自身のなかでの情報をアップデートしていく必要を痛感しました。本当に申し訳ありません。  結果的に誤った発言をしてしまったことには深く反省するばかりですが、こうしていくつかのサイトでバリアフリー対応のレストランや宿泊施設が検索できるようになっていたことには大きなよろこびを感じるとともに、社会の進歩を感じます。  こうしたサービスが広く普及することで、障害のある人々が気兼ねなく外食したり、旅に出かけたりすることができる社会の実現に近づくことを切に願っています。


イタリアン入店拒否について

 軽率だった。自分でも、冷静さを欠いた行為だったと思う。では、なぜ僕はあのとき、店名を挙げるという、多くの方からお叱りを受けるような愚挙に至ったのか。ここに記しておきたい。  19時過ぎ、一週間ほど前に予約していた店に到着した。奥にエレベーターが見えたが、ビルの入口に三段ほどの段差があり、車いすではビルに入ることさえできない。しかも、エレベーターも店舗のある2階には止まらないようだった。僕の使用する電動車いすは100kgの重量があるため、こういう場合は歩道に“路駐”して、僕の体だけ店内に向かうしかない。  お恥ずかしい話だが、自分で店を予約する際、あまりバリアフリー状況を下調べしたことがない。さらに、店舗に対して、こちらが車いすであることを伝えたことも記憶にない。それは、とくにポリシーがあってそうしているわけではなく、これまで困ったことがなかったのだ。  普段は、事務所の男性スタッフが店まで送迎してくれることが多い。だから、たとえ段差だらけの店であっても座席まで抱えてくれる。スタッフが不在の場合でも、友人たちが代わりに抱えてくれる。また、店のスタッフが抱えてくださることも少なくない。いざとなれば、僕は自力で階段をのぼることもできるので、デニムを履いている日などは自分で上がっていってしまうこともある。  だが、この日はすべてタイミングが悪かった。事務所のスタッフは仕事の都合で来れず、当日同行していたのは、ひさしぶりに会う約束をしていた女性の友人。身長150cm台の彼女が、僕を抱えて2階まで上がることはまず不可能だ。自力で歩いていこうかとも思ったが、あいにくこの日は仕事の都合でスーツを着ていた。10mほど先の階段まで歩き、さらにそこから尻を擦るようにして階段の上り下りをすれば、スーツは泥まみれになるだろうし、下手すれば破れてしまうかもしれない。  もちろん、すべてこちらの事情なのだが、ここまで悪条件が重なってしまうと、どうしてもお店のスタッフにお手伝いいただくしかない。僕は路上で待機し、友人だけがお店に向かい、様子を聞いてきてくれることとなった。  店内は、僕らが想像していた以上にこじんまりとした造りだったようだ。スタッフは、店主と思しきシェフがキッチンを一人で切り盛りし、もうひとりの大柄な男性スタッフがホールを担当していたという。土曜日の夜ということもあり、店はずいぶん繁盛していたようで、おふたりとも忙しく立ち働かれていたという。 彼女はホールスタッフの男性にこちらの事情を伝え、階下で待つ僕の体だけを店内まで抱えてもらうことができないかと頼んでくれた。彼は「いまは手が離せないので難しいけれど、手が空き次第、迎えに行きます」と言ってくださったそうだ。その言葉に安堵した友人は、そのことを伝えるため、路上で待つ僕のところに戻ってきてくれた。 しかし、10分ほどお待ちしていてもスタッフが来られなかったため、友人がもう一度、様子をうかがいに店まで行ってくれた。しばらくして彼女の存在に気づいたホールスタッフの男性が、「ようやくひと段落したので」と階下に向かってくださろうとした。そのとき、店主がキッチンから出てきて、彼女にこう伝えたのだそうだ。 「車いすのお客様は、事前にご連絡いただかないと対応できません」 「あ、でも、車いすは置きっぱなしで、友人の体を抱えていただくだけでいいんですけど」 「ほかのお客様の迷惑になりますので」  おそらく、店主は「ひとりの客を抱えるためにスタッフが数分でも不在になると、せっかく作った料理が最高のタイミングで提供できなくなる恐れがある。そうなれば、ほかのお客様にご迷惑がかかる」ということが言いたかったのかもしれない。だが、彼の表情や言葉のチョイスはそうしたニュアンスを伝えられなかったようで、友人はひどくショックを受けてしまったようだ。 「車いすの人が来たら、迷惑ってことですか?」 「そういうわけじゃ……とにかく、うちは店も狭いですし、対応できません」  僕はその場にいたわけではないので、どこまで彼らのやりとりを忠実に再現できているかはわからない。だが、とにかく彼女は店主の言葉や態度から「排除されている」という感覚を強く受けたという。  女性ならではの感性かもしれない。このやりとりに傷ついた友人は、泣きながら階段を駆けおりてきた。僕は予期せぬ出来事に目を白黒させていたが、話を聞くうち、ひさしぶりに会った友人が、僕のせいでこれだけ悲しい思いをしてしまったことに、ただただ申し訳ない気持ちでいっぱいになった。  ふたりでその場にたたずんでいると、40代くらいの店主が階段を下りてこられた。僕の姿を確認すると、一瞬ギョッとしたようだったが、すぐに気を取り直し、僕に向かってこう口にした。 「エレベーターが2階には止まらないって、ホームページにも書いてあるんですけどね」 「ああ、そうでしたか。僕、今回は『食べログ』を見てお電話したので……」 「何を見たかは知りませんけど、予約の時点で車いすって言っとくのが常識じゃないですか?」  キョトンとしてしまった。僕は、いまなぜこの人にケンカを売られているのだろう? いや、もしかしたら彼にはケンカを売っているつもりなどないのかもしれない。でも、それはどう考えても初対面の相手に放つべき言葉ではないと思うし、あきらかにケンカを吹っかけているようにしか思えない口ぶりだった。 「そうですよね。事前にお知らせもせず、失礼しました」  この状況でも、こんなセリフが素直に口をついて出てくる大人に、僕はなりたい。でも、僕はなれなかった。愚かなことに、そのケンカ調の言い草に、ケンカ調で返してしまったのだ。それは、僕の友人を泣かせるような対応をしたことに対する憤りもあったかもしれない。 「いや、それが常識なのか、僕にはわからないです。そもそも、僕はこれまで一度もそんなことをせずとも外食を楽しんできましたし」 「いや、常識でしょ」  他人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべる店主に、ますます僕は頭に血がのぼってしまった。 「じゃあ、それが本当に常識なのか、広く世に問うてみましょうよ」 「ええ、どうぞ」  もう、この頃になると、僕は激昂状態だった。こんなに冷静さを失ったのは、いったい何年ぶりだろう。  このあと、二言三言やりとりがあったかと思うが、残念ながら記憶が定かではない。だが、店主が最後に言った言葉だけは絶対に忘れない。 「これがうちのスタイルなんで」  その言葉はとても冷たく、これ以上のコミュニケーションを拒むひとことだった。扉を、閉ざされた思いがした。この時点で、僕は完全に思考停止となってしまった。  彼はTwitterで、「うちのスタイルだなんて言ってない」と否定しているが、なぜそんなウソをつくのか。もしくは、記憶から抜け落ちてしまったのか。だけど、僕は絶対に忘れない。ついさっき、女性ならではの感性かも――と書いたが、けっしてそんなことはない。僕もいま、この瞬間、はっきりと彼によって排除されたような腹立たしさと情けなさとを感じとった。仮に彼にその意図がなかったとしても、彼の態度は、言葉は、表情は、残念ながら僕らふたりに、くっきりとそのような印象を与えた。  ネット上の声を見るかぎり、僕は「店側に抱えてもらえなかったことに逆ギレした」となっている。でも、それはまったくの誤解だ。  これまで何とかなってきたことで必要性を感じていなかったとはいえ、事前に連絡をしていればスムーズにご案内いただけたかもしれない。これは、僕の落ち度。だから、お店の状況によっては対応が難しく、結果的に入店が難しいと言われても、「じゃあ、またの機会にお願いします」と笑顔でその店を後にすることができる。僕にだって、それくらいの理性と常識はあるつもりだ。  相手が、理性と常識あるコミュニケーションを図ってくださるなら。  ここだけは誤解されたくないので、繰り返させてほしい。僕はいきなり訪れた店で無理難題を吹っかけて、それが受け入れられなかったから逆ギレしたのではない。客とか、店主とか、そんな関係性を抜きにして、はなから相手を小馬鹿にしたような、見下したような、あの態度が許せなかったのだ。彼の本意がどこにあるにせよ、こちらにそう受け取らせるコミュニケーションに、僕は深く傷つき、腹を立ててしまったのだ。  僕はあのお店の料理に惹かれ、ひさしぶりに会う友人との会食を楽しみに、お店へと向かった。でも、そんなワクワク感もぺしゃんこになってしまった。わずかでもいい。「何かできることはないか」「どうにか店の料理を味わってもらうことはできないか」――そんな心意気が少しでも感じられたなら、結果的に入店がかなわなくとも、僕は気持ちよくその店をあとにすることができたと思うのだ。だが、彼の態度から、そうした心はまるで感じられなかった。僕らは、刺々しい扉のまえで門前払いをされたような、とてもさみしい気持ちになってしまった。  そんな思いが、店名を公開するという安直な行為に結びついたことには、深く恥じ入るしかない。「こんなひどい対応をされた」と、普段から応援してくださっているみなさんに泣きつきたかったのだ。愚痴りたかったのだ。そうでもしなければ、とてもやりきれなかったのだ。   当日夜のTwitterでは、店名を公開した理由として「僕のように、こんな悲しい、人間としての尊厳を傷つけられるような車いすユーザーが一人でも減るように」と書いたが、その思いにウソはない。だが、あの日の僕は、あきらかに正常な判断能力を失っていたことも、あわせて告白しなければならない。  僕が公開したことによって店側に抗議の電話などが行き、業務に支障などきたしていたら、それは本当に申し訳ないし、本意ではない。僕がみずから蒔いた種とはいえ、みなさんには絶対にそうした行為は行わないでほしい。  もし、僕があのとき冷静さを保っていられたなら、店名を伏せて、「じつは、こんなことがあったのですが」という形で報告できていたなら、それは「飲食店のバリアフリーを問う」といったテーマで広くみなさんに議論していただくことが可能だったかもしれない。それが、ひとえに僕の未熟さにより、その機会をつくれなかったこと、猛省しています。  もしかしたら、あの店主も、ただ不器用で、人づきあいがうまくないだけなのかもしれない。もしそうだとしたら、もう一度、あの店に行って、カウンター席にすわって、「シェフ、この料理おいしいですね」なんて会話を交わしながら、舌鼓を打てたらいい。そこでふたりで写真を取って、Twitterでアップでもしたら、今回の幕引きとしては美しいのかもしれない。  でも、ダメだった。あの日の夜のことを思うと、どうしてもそうした気分になれないのだ。そんな未熟な自分が、いまはただ腹立たしい。まだまだ、僕は人間が小さいのだと痛感させられる。  今回の件で僕に対して批判的なみなさんが、このブログを読んで考えを変えてくださるとは思っていません。でも、ウソをついてまで、何かを偽ってまで釈明しようという気にはどうしてもなれませんでした。ここまで書いたことが、あの夜に思ったことすべて。これ以上でも、以下でもありません。  長文を最後までお読みいただき、心から感謝します。  P.S.でも、やっぱり、店主がお許しくださるのなら、いつの日か再訪してみたいな。だって、お店の料理、本当においしそうだったから。


『何者』

 連休中はゆっくり読書でもしようと選んだのが、朝井リョウ『何者』(新潮社)。就職活動の情報交換をきっかけに集まった大学生の群像劇。就職活動を経験していない僕には、どこか遠い世界の出来事に感じられてしまうのかな、という不安は見事に裏切られた。  TwitterやFacebookなどのSNSで表現している自分と、本当の自分との乖離。いや、「本当の自分」は正確な表現ではない。SNSでは表現できない自分。本音。心の叫び――。 「ああ、オレにもあるわ」  就活を経験していない僕でさえ、何度もうなずき、ニヤリとし、思わず下くちびるを噛みしめた。  いまから十五年前、「無名の大学生」だった僕が本を出すと、劇的に環境が変わった。街中でサインを求められ、カメラを向けられ、自宅前数ヶ所には写真週刊誌の記者に張り込まれた。「無名の大学生」だったはずの僕は、いったい「何者」になったのだろうと考え込んだ時期もあった。不安に押しつぶされそうだった。  『五体不満足』出版当初は、「世間から期待される乙武さん」から逃げ回っていた。それから少し経って、「世間から期待される乙武さん」に近づこうと試みたりもした。いまでは、「世間から期待される乙武さん」と「等身大の乙武洋匡」を状況に応じて切り替えるスイッチを手にしたような気もする。  あまりの窮屈さに呼吸困難に陥りかけていた以前に比べたら、ずいぶん生きやすくなった気もするけれど、それでも自分が「何者」なのか、いまでもわかったようで、わからない。「どんな自分になりたいのか」という理想像だって、ぼんやりと輪郭だけは見えているような気もするけれど、近づいてみると、じつにおぼろげで、曖昧な形をしている。  そして、それは作者である朝井リョウ氏の胸中とも重なるのではないかと、本人にとってはおそらく迷惑な邪推をした。大学時代に出版された処女作(2009年、『桐島、部活やめるってよ』)がベストセラーとなり、映画化もされ、今度は直木賞まで――。十数年前に僕が抱いていた迷いや不安を、いま彼がなぞっていたとしても不思議はない。  若き直木賞作家。周囲からの期待は、かなりの熱量で彼を取り巻いていることだろう。そして、その期待に応える自信もあれば、不安だってあるだろう。 「いったい、自分は何者になっていくんだろうか」  岐阜から出てきた青年は、もしかしたらそんな思いを動機にこの小説を書き始めたのかもしれない――そんな主人公・拓人ばりに分析したところで、僕の推察はまったくの見当はずれで、この文章を朝井氏が読んだら、ふふんと鼻で笑い飛ばすかもしれない。でも、まあ、「作者はなぜこうした物語を書こうとしたのか」とあれこれ考えをめぐらすことも小説の楽しみのひとつだと、お許しいただきたい。  彼の小説は、もちろん何か明確な答えを提示してくれるわけではない。だが、「自分って、何者なんだっけ?」という、普段できるだけ見て見ぬふりをしてきた問いをあらためてぶつけてくれる物語だ。ああ、面白かった。素敵な休日をプレゼントしてくれた朝井リョウ氏に感謝。


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