「太陽が降り注ぐ場所」(中編)
はじめて「village safe haven」を訪れた日、子どもたちの表情は明らかに強張っていた。無理もない。いきなり見知らぬ日本人が現れ、「一緒に遊んでくれ」と言い出したのだから。子どもたちの緊張をほぐそうと、FUNKISTのメンバーは早速ギターを片手に歌いはじめた。いつもなら、すぐに観客の心を解きほぐす力を持つ彼らの音楽も、しかし、この日ばかりは苦戦していた。子どもたちは手拍子で参加する意志を示してくれていたが、その表情には依然として警戒の色がにじんでいた。
ひとりの女の子が黄色いゴムボールを抱えていた。「こっちへちょうだい」とジェスチャーで伝えると、彼女は恐る恐るボールを渡してくれた。僕はそのボールを短い腕とほっぺたの間にはさむと、体全体をひねるようにして放り投げた。子どもたちの間から、どよめきが起こる。ゆるやかな曲線を描いたボールがその女の子の手元におさまると、今度は歓声があがった。
時とともに、少しずつ彼らの表情がほぐれていった。サッカーをした。日本語を教えた。ギターの弾き方を教えた。カメラを渡して、自由に写真を撮ってもらった。いつのまにか、彼らの顔からは警戒心が消え、子どもらしい、無邪気な笑顔を見せてくれるようになった。体をぴったりと寄せ、甘えるような仕草を見せる子もいた。
みんなの夢を聞いた。「サッカー選手になりたい」「歌手になりたい」――様々な夢を語ってくれた。ほとんどの子がうつむき、はにかみながら語ってくれた夢だったが、そこにいたすべての子どもが夢を抱いていた。まだ出会ったばかりの僕らだったけれど、その夢が実現するよう、心から応援したいと思った。
翌日、僕らは彼らへのプレゼントを携えて再訪した。FUNKISTからはドラムセットやキーボード、ギターといった楽器を、僕からはサッカーボールやミニゴールなどのスポーツ用品を。彼らは目を輝かせて、そのプレゼントを受け取ってくれた。中学生の男の子たちは、早速、ドラムセットを組み立て、軽快なリズムを響かせていた。女の子たちには、キーボードが人気だった。小学生の男の子たちは、サッカー。まだ学校に通う年齢ではない小さな子どもたちは、プラスチックのバットとゴムボールで野球に興じていた。
昼食後、僕らは全員で集まることのできるコンピュータールームへと移動した。子どもたちの前で、僕がスピーチをすることになったのだ。日本ではそうした機会もよくあるが、外国の子どもたちの前でスピーチをすることなどめったにない。いったい、どんな話をしたらいいのだろう――。あれこれ考えをめぐらせてみたが、やはり伝えたいことは日本にいるときと同じだった。
まずは、僕の体のことを話した。次に、僕がどんなふうに育ってきたかを話した。毎日が幸せであること、だから手と足がないという境遇に生まれたことを何ら苦に思っていないことを話した。彼らの境遇もまた、大きなハンデを背負わされていると言える。でも、それが決して不幸だとはかぎらない。幸福な人生とするか、不幸な人生とするかは、あくまで自分自身が決めるのだと伝えたかった。
最後に、僕がいちばん好きな詩を彼らに贈ることにした。金子みすず「私と小鳥と鈴と」。人はそれぞれ違っていて、当然なのだ――。そんなメッセージを伝えてくれる、とても素敵な詩だ。僕はそんなに英語が得意ではない。でも、この詩だけは誰かに頼ることなく、自分の言葉で伝えたいと思い、自分なりに英訳してみることにした。
「Little bird, Bell, and I」
題名から丁寧に、心をこめて訳していった。拙い英語だが、子どもたちも真剣な表情で聞き入ってくれている。詩は、いよいよ最後の一行に差しかかった。「みんなちがって、みんないい」――金子みすずが、そして僕が最も伝えたかった一文だ。
「Everyone is different and everything is OK.」
うーん、どうもしっくり来ない。僕は考えに考えた末、こう訳すことにした。
「We are beautiful because we are different.」
僕らは、一人ひとり違っているから美しいのだ。人種、言語、宗教、文化、性別、障害の有無――あらゆる違いが、誰かを苦しめるために存在する社会であっては決してならない。子どもたちから、力強い拍手が沸き起こる。彼らがこの詩のメッセージを受け止めてくれたことに、僕はひとまず安堵した。
子どもたちに見送られながら建物を出る。青い芝の庭には、初めて訪れた日と同じように太陽の光がいっぱい降り注いでいた。
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