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祭りのあと
東京新聞『わが街わが友』全12回の連載をお届けするシリーズ。 今日は、小学校時代の友人との思い出をつづった 第2回「祭りのあと」をお送りします! 第2回『祭りのあと』 小学校低学年くらいまでは、「親に連れられて歩く場所」だった用賀の街は、高学年になると「友達との遊び場」へと変わっていった。 「なあ、明日の朝早く、用賀神社に行かないか?」 そんな相談を持ちかけてきたのは、悪友のススムだった。縁日があった翌朝に神社の境内に行くと、小銭がたくさん落ちているというのだ。「いいね。面白そう!」僕らは近所に住むミノルを誘って、翌朝に出かける約束をした。 用賀神社には「あばれ獅子」と異名をとる一対の獅子頭があり、明治の初めには、秋祭りになると五穀豊穣・悪疫退散を祈願し、若者が獅子をかついで村中を練り歩く風習があったという。いまでは神輿がそれに取って代わり、そう広くはない境内に所狭しと露天がならぶ。秋祭りは、僕ら“用賀っ子”の楽しみのひとつだった。 翌朝、十月のひんやりした朝の空気を感じながら神社へ。悪ガキ3人を、立派な石造りの鳥居が出迎えてくれる。まさに祭りの後といった閑散とした境内だったが、僕らの目には、宝探しの会場としか映っていない。3人のハンターは目を輝かせながら境内へと散らばっていった。しばらくすると、「あった!」というミノルの声。ススムと二人で駆けつけると、たしかに草むらのなかにキラリと光るものが。「おおーっ!」と興奮したススムが拾い上げたのは、ただのビール瓶の王冠だった。 「まったく、祭りの翌日にはお金がいっぱい落ちてるとか言い出したのは誰だよ」 「おかしいなあ。たしかに兄貴がそう言ってたんだけど……」 境内の石段に腰かけ、仏頂面を三つならべたあの日から二十数年。ススムは札幌で、ミノルは中国・大連でそれぞれ仕事をしている。いつか、3人で用賀神社の散策でもした後で飲みたいものだ。
父との時間
今年9月、東京新聞『わが街わが友』というコーナーで、 全12回の連載を担当させていただいていました。 なんと、今回、東京新聞さんのご好意により、全12回のコラムを 当サイトにも掲載させていただけるようになりました! 掲載は、11月中の月曜、水曜、金曜を予定しています。 どうぞ、お楽しみに(^O^)/ では、まずは第1回「父との時間」から。 第1回 『父との時間』 僕にとって、「生まれ育った街」と言われて真っ先に思いつくのは、世田谷区用賀。砧公園や馬事公苑など、緑豊かな土地であるだけでなく、多くの幹線道路に囲まれた交通の便にも恵まれた街だった。 いまや用賀のランドマークにもなっている地上28階建ての駅ビルも、完成したのは僕が新宿区へ転居した翌年(93年)のこと。当時は、“用賀村”と呼ばれるほど、のんびりとした街だった。 現在は駅ビルの地下にある優文堂書店。当時は、駅からすぐそばにある路面店だった。日曜日、父に連れられて自宅から本屋までふたりで出かけていくのが、週に一度の楽しみだった。父が仕事から帰宅するのは夜遅く。平日はあまり話をすることができなかったから、その一週間に学校であった出来事などを話す約20分の道のりは、僕にとってとても待ち遠しい時間でもあった。 いざ本屋に着くと、しばし別行動。僕の車いすをマンガ売り場まで押していくと、建築家だった父は、美しい建物が載る雑誌をぱらぱらとやりに行った。わが家には「マンガ本を買うのは月に一冊」というルールがあったから、毎回、欲しかった『ドラえもん』を買ってもらえたわけではなかったけれど、僕はそれでもふくれ面をすることはなかった。大好きな父と一緒に出かけられるだけで、それだけで十分に幸せだったから。 あれから20年以上が経ち、僕にもふたりの息子ができた。気づいたことがある。父は、別に毎週のように本屋に用事があったわけではないのだ、ということ。平日は僕にかかりきりで、自分の時間など持つことができなかった母に、わずかなからも休息の時間をつくってあげたかったのだろう。さて、息子よ。僕たちはどこに出かけようか。
「どうやって?」シリーズ
さて、ツイッターをやっていると、みなさんから 「乙武さんは、どうやって○○をするのですか?」という ご質問をよくいただきます。 そこで、今日はそのなかでも、特によくいただく質問について、 写真付きで回答していきたいと思います! Q.1 どうやって、パソコンを打っているのですか? A.1 みなさんの肘よりも、やや短い腕の先を使って打っています。 こう見えて、なかなか打つのが速いんですよ! Q.2 外出時は、どうやってツイートしているのですか? A.2 首からぶらさげた携帯電話のボタンを口先で押しています。 iPhoneは僕の手では操作が難しいので使っていません。 Q.3 字はどうやって書いているの? A.3 このように、ほっぺたと腕の間にペンをはさんで書きます。 ちなみに、このサインは筆記体で「OTO」と書いています♪ いかがでしょう? みなさんのギモン、少しは解けたでしょうか!? 機会があれば、またやってみたいと思います♪
短かった僕の“絶頂期”
先月、小説『だいじょうぶ3組』が出版されたことは重ねてお伝えして いますが、じつはもう一冊、僕にとって大切な本が出版されています。 『だから、僕は学校へ行く!』(文庫版) じつは、この本のPRのため、講談社が発行する月刊文庫情報誌 『IN☆POCKET』にエッセイを寄稿させていただきました! 編集部のご好意で、当サイトにも転載できることとなりましたので、 ぜひご一読いただければ幸いです(^O^)/ ****************************************************** 『だから、僕は学校へ行く!』――ちょっぴり、風変わりなタイトルなのかもしれません。大学卒業後、スポーツライターとして活動していた僕が、突然、大学に入りなおして教員免許を取得し、小学校の先生へ。そこに至るまでの心の動きを伝えたかったからこそ、こんなタイトルをつけてみました。 本書では、新宿区教育委員会の非常勤職員「子どもの生き方パートナー」として小・中・養護学校を回らせていただいた経験、さらには日本テレビ系「世界で一番楽しい学校」の取材で世界五ヶ国の学校を取材させていただいた経験をもとに、「自分はどんな教師になりたいのか」「教育現場はどんな問題を抱えているのか」について、僕自身が考えを深めていく過程が描かれています。 子どもたちへの体罰・セクハラの線引き。本当に身につけてほしい学力とは。教室内の多国籍化。障害のある子とない子がともに学ぶ環境づくり。個性の尊重とクラスの秩序というバランス。不登校という選択。近所のオジサン、オバサンも教育に参加する重要性――現場では、本当にさまざまなことを見聞きし、考えさせられました。 本書では、そのひとつひとつを章ごとに取り上げ、僕なりに感じたことを交えながら、それぞれの事例を紹介してあります。「ふむふむ、そうなのか」と、いまの教育現場についての新たな発見を感じながら、興味深くお読みいただければ幸いです。 じつは、この単行本の表紙を撮影した当時、僕は絶頂期でした。何が絶頂期だったかというと……体重です(笑)。人生初となる四十キロ台がもうすぐそこ!という、かなりふくよかな状態だったのですが、本書が刊行されてすぐ、杉並区立杉並第四小学校教諭――つまり、小学校の先生として働きはじめると、体重はぐんぐんと減っていき、あっという間に三キロの減量に成功しました(ん、減らそうと思っていたわけではない場合、「減量」とは言わないのかな)。いかに小学校教師がしんどい仕事なのか、その目方の変化がじつによく伝えてくれているように思います。 なんと、今回刊行される文庫版の表紙にも、三年前に撮影した“ふくよかな”頃の写真が使用されるとのこと。九月三日に発売になったばかりの初の小説『だいじょうぶ3組』(講談社)の著者近影ページと見比べて、その体重の変化をお楽しみください!? (『IN☆POCKET』9月号より)
「障害」=「個性」?
今日は、『誰だって波瀾爆笑』という番組に出演させていただきました。 とても反響が大きく、あらためてテレビというメディアのもつ影響力の 大きさに驚かされているところです。 以前は、テレビや新聞など「マス」メディアが発信することがすべて。 でも、ブログやツイッターといった「個人」メディアの登場によって、 そんな状況にも少しずつ変化が見られてきたように思います。 僕は、両者をこんなふうに使い分けています。 「広く」伝えたいときには、テレビや新聞などのマスメディア。 「正確に」伝えたいときには、ブログやツイッターといった個人メディア。 もちろん、マスメディアが不正確だと言うつもりはありません。 ただ、細かい言葉のニュアンス、言い回しなどにこだわる僕には、 どうしても第三者に言葉を委ねることになるマスメディアよりも、 一字一句を自分の言葉で伝えることができる個人メディアのほうが、 より安心感をもって、正確に伝えられる気がするのです。 メディアに言葉を託したことによって、誤解が生まれ、 その言葉だけが独り歩きしてしまった最たる例があります。 「障害は個性です」と語る乙武さん――。 みなさんも、どこかで見聞きしたことのある文言かもしれません。 でも、じつは、僕は一度もこのセリフを口にしたことがないんです。 個性とは、「その人らしさを形成する上で、必要不可欠な要素」。 だから、本来の意味で言えば、障害も個性なのかもしれません。 でも、やはり日本で「個性」という言葉が使われるとき、そのほとんどが 肯定的な意味であることが多いように思うんです。 それでも、「障害=個性」と言えるのか? ならば、障害という個性があこがれられたりもするのか? たぶん、答えはNOだと思います。 だから、僕自身は「障害=個性」と言いきってしまうことに、 少なからず抵抗を感じてしまうのです。 Twitterでそんなことを書いていたら、こんなツイートをいただきました。 「じゃあ、乙武さんにとって障害とは?」 僕にとって障害とは、「二児の父」「メガネをかけている」―― そうした要素とならんで、乙武洋匡を形成する数ある特徴のひとつ。 そして。 性格や能力、そして障害も含めた僕自身を形成するすべての特徴を 振り返り、それらを生かして、「自分にしかできないこととは……」と 考えたとき、そこに初めて「個性」が生まれると思っているのです。 僕は、この手足がないという特徴を生かして、多くの人々に 「みんなちがって、みんないい」というメッセージを伝えていきたい。 それは、『五体不満足』から一貫して強く思っていることです。 そうした信念で活動していくことが、僕の「個性」だと思っているから。
『だいじょうぶ3組』解説
ある日、Twitter上でsaerealさんという方からこんなツイートが届いた。 『だいじょうぶ3組』の書評を書いたので、読んでみてほしい――。 そこにあったアドレスをクリックしてみると、そこには素晴らしい文章が。 僕自身がこの本の解説を書くよりも的確なのではと思うほど、 そこには、僕が『だいじょうぶ3組』を通して伝えようとした内容が、 鋭く分析されていた。 saerealさんから特別に許可をいただいたので、当サイトにも 転載させていただきます。 ****************************************************** 本人のインタビュー曰く、ほとんどが実話に基づいているものらしく、読みながら頭の中では赤尾先生を乙武さんに置き換えて読んでいた。 赤尾先生が伝えようとしているフィロゾフィーは、おそらく以下のようなことだろう。 一番目指してがんばる。最初からあきらめないで、一生懸命努力する。 努力の末、結果の差異がでるのは仕方がない。 人にはほかの人よりできることもあれば、圧倒的にできないこともある。 でもそれも個性だから。がんばったのなら、そのままで大丈夫。 登場人物の子どもたちの個性がとても生き生きと書かれていて、本当にこのモデルになった生徒たちを大事にしていたんだなあというのが伝わってくる。 赤尾先生は、「世界にひとつだけの花」が歌っているような、純粋な自己肯定=そのままで君はオンリーワン、というテーゼには徹底的に反抗し、みんな同じようにゴールを目指そう、といった横並び主義、一般的に正しいと信じられている学校のルールひとつひとつに疑問を投げかけていく。 もちろん彼は常にアンチテーゼの変革者だったわけではなく、彼の未経験や未熟さが招いた様々な事件も起こるし、彼はそこで悩み、周りの人に助けられていて、一貫したヒーローでは当然、ない。 でもそうやって自分も試行錯誤していく姿を子供たちに見せることで、先生は従うべき、見習うべきモデルではなく、彼がその教えを自ら体現する人であり続ける。彼の行動を通じて、がんばること、それが認められること、時には失敗したり挫折したりすることがどういうことなのかが表現され、子どもたち自身をできることもできないことも両方ともに、果敢に立ち向かわせていく。 そしてその「結果の差異」を明らかに体現しているのが赤尾先生で、彼ははじめから「僕にはできないことがたくさんある、だから手伝ってほしい」、と明言する。がんばってもできないこと(例えば爪がないからどうしても牛乳瓶のふたが開けられない)、それは彼の個性で、そこでは人の助けを必要とするし、そのできないことを支えるのは周りの人間だ。人はそうしてそれぞれの個性や強さや弱さを認め合いながら、助け合って生きていく。それがクラスであり、人間の共同体であり、社会であるということを、この小さなクラス運営を通じて子どもたちは学んできたように思える。 赤尾先生はできないこと、を体現する一方で、やればできることも体現する。子供たちに負けじと一緒にサッカーに混じり、本気になって戦ったりもする。感動的なのはそこで子どもたちが、「先生は僕たちより早く走れないから、先生がゴールを入れたら2点」というシステムを作るところだ。 これは非常にさらっと簡単に書かれているのだけれど、アファーマティブアクションのようなものを、3組のメンバーが自然に作り出し、それを当たり前のように実行できるのは、すごい。 ツイッターやブログなどを読んでいると、乙武さんの強さや弱さをさらけだすことを恐れない勇気や、それでいての負けず嫌いな感じがでてるところのやんちゃさや、かっこよさなんかが沁み出てくるので、人々はついファンになってしまうと思うけれど、この本もまさにそういう彼のその魅力的なワールドを凝縮したような小説。最初の小説とは思えないほど完成度が高い。描写などもとても自然で堅さがなく、無駄がないので中身は濃いのにさらっと読めて、ぎゅんと沁みてくる。 後に新聞や雑誌のインタビューなどで乙武さん本人が語っているように、ここに書いてある出来事は現実のモデルがある一方で、決して現実自体がこの小説通りの結果をもたらしている訳ではない。そしてだからこそ、この本が小説である価値があると思う。金八先生があれほど人気を博したもの、あんなこと実際には起こる訳ないと思いながらも、彼らが提示した学校やクラスのあり方、地域社会とのつながりみたいなものが人々の心をキャッチして、学校や教育問題に対する一つの参照枠を作り出した。乙武さんが現実の人物だからこそ、この小説で語られた様々な試みや教育の理念はこれからも生き続けるだろうし、彼や周りの人間によって形を変えて体現されていくのではないかと思う。 今回の小説は、学校や学校行事の中、学校からの帰り道(補助の先生との会話)、飲み屋さん、という3つの場所が主な舞台で、それはそれでとても凝縮されて濃い物語だったけれど、もし今度また小説を書く機会があれば、両親や地域社会なども巻き込んだ、大きな舞台での小説を書いてほしいなと思う。 現代の灰谷健次郎になってほしい。
コンドルズ!!
以前からずっと気になっていたコンドルズ。 やっと、やっと観に行くことができました!! 楽しみにはしていたものの、正直に言うと、芸術に疎い僕は、 「コンテンポラリー・ダンスって…何?」と不安もちょっぴり抱いていた。 でも、公演前日、ダンス界に詳しい友人に見どころを聞いたら、 「とにかく頭をからっぽにして楽しんできて」と返ってきたので、 ちょっと安心。肩の荷を降ろして、東京芸術劇場へと向かいました。 結果、圧倒されっぱなしの120分。 本業のダンスあり、コントあり、人形劇あり、映像あり。 途中、バイオリンの演奏だって始まっちゃう。 終演後、まず僕の頭に浮かんだ、素直な感想――。 「文化度がえらく高い人たちの、悪ノリした文化祭」 そのあと食事をご一緒させていただいた小林顕作さんに 誤解を恐れず、その感想をお伝えしたら、 「そう、そう。まさにそのとおりなんですよ!」 きっと、ご本人たちがそれぞれの専門分野を持ち寄って、 楽しみながら舞台をつくりあげていってるんだろうなあ。 コンテンポラリー・ダンスという、一般的にはとっつきづらい分野。 そこに遊び心をいっぱい加えて、上質なエンターテイメント作品に 昇華させたコンドルズ人気の秘密は、この“悪ノリ”精神なのかも!? すっかりコンドルズの魅力に取りつかれてしまったオトタケ、 早速、年末の京都公演に参戦するべく、日程を調整中です!