幸せの定義
先日、映画『夢売るふたり』を観た。『ゆれる』や『ディア・ドクター』等の作品で知られる西川美和監督の最新作。同時期に観賞した『最強のふたり』とは対照的な作品で、笑いや涙を誘うような場面はない。ただ、人間の弱さをじっくりとあぶりだし、観賞後に「幸せって何だろう?」と考えさせる良作だった。
松たか子と阿部サダヲ演じる夫婦が、火事で焼失してしまった小料理屋を再開するため、結婚詐欺を働く。だから、物語には騙される様々なタイプの女性が登場する。彼女たちには、共通点があった。彼女たちは、「幸せ」を追っていた。「幸せ」に飢えていた。でも、何が「幸せ」なのかをわからずにいた。
Twitter上で、フォロワーの方々からよく質問を受ける。先日も、「幸せの定理とは?」と問われた。どんな状態を「幸せ」と感じられるのかは、人それぞれ。万人に当てはまる答えなどない。なのに、多くの人が「幸せ」の定義を他者に任せる。もしくは、巷間言われる「幸せ」のカタチを、盲目的にみずからの解とする。
女性で言えば、結婚・出産。この2つを通らなければ「幸せ」にたどり着けないと妄信する人が、あまりに多い。たしかに夫と子どもに恵まれ、よき妻、よき母となることは、わかりやすい「幸せのカタチ」だ。だが、それはあくまでひとつのケースに過ぎない。それが唯一絶対の幸せでは、決してない。
自分にとっての「幸せ」とは何か。そこに思いを巡らせる行為を怠り、世間一般の「幸せのカタチ」を鵜呑みにすることほど、危険なことはない。ほんの一例にしか過ぎない「結婚・出産」という列車に乗り遅れそうだと焦り、あわてて飛び乗ってみれば、「こんなはずじゃなかった…」とほぞを噛む。
「幸せとは何か」――もちろん、たやすく答えが出るものではない。でも、少なくとも他者にその答えを求めるのはやめにしよう。世間体とやらに幸せを預けるのもやめにしよう。自分で悩み、考え抜いたって、たどり着けるかはわからないのに、他者から与えられた答えを追って、何になるというのか。
結婚しなければ、幸せになれない――。
子どもを産めないなんてかわいそうに――。
手足がないなんて不幸な人生だ――。
そんなの、ぜんぶ、決めつけ。オレの幸せは、オレが決める。あなたの幸せは、あなたが決めればいい。だれの人生でもなく、あなたの人生なのだから。これはほかでもない、僕の人生なのだから。
「幸せの定義」を他者任せにして人生を歩んでいると、大きな落とし穴が潜んでいる。その落とし穴を、西川監督は「結婚詐欺」として表現したのかもしれない。そして、松たか子さん演じる主人公は、確固たる「幸せ」の定義を持っていたから、まるで揺るがないし、凛として見える。そこに、僕らが幸せを手にするヒントがある。
自分にとっての幸せとは、何だろう。親に言われたから結婚しようとしていないか。友人たちの出産ラッシュに焦りを感じていないだろうか。自分の人生には、本当に出世レースが必要なのだろうか。映画『夢売るふたり』は、あらためてそんなことを考える機会を与えてくれる作品でした。みなさんも、ぜひ。
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