OTO ZONE

NHK長谷川経営委員の「女性は家で育児、男性は外で仕事」論に待った!

2014年1月31日

◆  「女性は家で子育て、男性は外で仕事」は、本当に常識だったのか

 本を書き、テレビに出演し、小学校教員を経験した後に、現在は東京都教育委員を務める。「乙武さんの肩書きは、いったい何なのですか?」と聞かれることも多いが、じつはもうひとつ「保育園経営」という肩書きもある。地域との結びつきを重視した「まちの保育園」は、2011年4月に練馬区小竹向原、2012年12月に港区六本木一丁目に開園した。現在、両園あわせて80名を超える子どもたちをお預かりしている。入園当初は子どもたちがぐずり、保護者の方々も後ろ髪を引かれるような思いで職場に向かうことが多くあったが、子どもたちも園に慣れてくると、笑顔で「いってらっしゃい」と見送ることができるようになる。そんな笑顔に見送られながら仕事へと向かう保護者の方々の姿を目にすると、この事業の重要性とともに大きなやりがいを感じることができる。

 だからこそ、NHK経営委員・長谷川三千子氏(埼玉大学名誉教授)が産経新聞に寄せたコラムには驚かされた。彼女の主張を要約すると、女性は家で子を産み育て、男性は外で働いて妻子を養うのが合理的であり、日本の少子化問題を解決するためには、「男女雇用機会均等法」以来進められてきた女性も働くことのできる社会を「誤りを反省して方向を転ずべき」だとしている。たしかにこの国が抱える少子化問題はかなり深刻な状態にあるが、出生率を上げていくためには、本当に長谷川氏が主張するように「女性が子育てをし、男性が外で働く」という時代に時計の針を戻すしかないのだろうか。

 氏は、女性が子育てをし、男性が外で働くという社会形態を「昭和50年頃まではそれが普通だったのです」と主張しているが、本当にそうだろうか。たとえば農家では、女性も貴重な働き手であり、彼女たちが畑仕事を手伝うのはごく日常的なことだった。また町工場のような場所でも、女性は経理面でそれを支えるなど、やはり貴重な戦力として活躍してきた。長谷川氏が「普通だった」と主張する「女性は内、男性は外」という生き方は、彼女が生きてきた時代の「普通」であり、長い歴史的に見れば、必ずしも「普通」とは言い切れないのではないだろうか。彼女の個人的なノスタルジーに寄りかかって社会的課題に向き合われたのでは、この深刻な少子化問題を解決することはできない。

◆  出生率が高い国に共通することとは

 海外にヒントを探してみよう。韓国やドイツ、イタリアなどの国々は、日本同様、現在も低い出生率に悩まされている。だが、フランスやイギリス、さらにはスウェーデンやデンマークといった北欧の国々は、かなり高い出生率を保っている。じつは、これらの国々も女性の社会進出にともなって出生率が低下してきた歴史がある。しかし、1990年代以降、顕著な回復傾向を見せているのだ。これは、女性も働くことのできる社会を否定し、性別によって役割を規定する時代に逆戻りした結果、得られた成果なのだろうか。答えは、「NO」だ。

 出生率の低下に危機感を覚えたこれらの国は、まずは女性が働き、仕事によって自己実現を図ることのできる社会を肯定するところからスタートした。そして、託児保育施設の拡充、給付金や税制上の優遇、産休後の地位を保証するキャリア制度など、女性が仕事と育児を両立できる社会を再構築してきたのだ。もちろん、育児を女性だけに押しつけることもない。男性も育児に参加できるよう、社会全体として長時間労働をしない・させない文化が根づいている。こうして海外を参考にしてみると、ワークライフバランスに注意が払われ、仕事も育児も両立することのできる社会において出生率が上がっていることを確認できる。

◆  日本が成熟社会となるために

 翻って、日本はどうだろうか。社会保障費は高齢者福祉が大きな割合を占め、子育て支援にはなかなか予算が配分されていない現状がある。また、最近では“保活”なる言葉が生まれるほど保育園を探すことが難しく、働く女性たちは悲鳴をあげている。産休や育休などの制度もあるにはあるが、「それを取得してしまうと、復帰後に以前のような責任ある仕事をさせてもらえなくなる」という女性の友人たちの話も聞く。結局、彼女たちは結婚や出産に対するハードルを高く感じ、躊躇してしまっているという現状がある。

 つまり、日本では依然として働く女性たちが積極的に「子どもを生みたい」と思える環境になっていないことがわかる。以前に比べれば改善された部分もあるのだろうが、女性にとってはまだまだ「仕事か育児か」という二者択一を迫られるような状況にあるのだ。これでは晩婚化・未婚化が進み、出生率が下がるのも無理はない。

 出生率を上げるために、まだまだ社会的に努力すべき余地は残されている。そうした側面に触れることなく、性別によって役割を固定し、人権を限定することを求めるのはあまりに愚かであると言わざるをえない。これからの私たちが目指すべきは、性別や障害の有無など、生まれついた環境や境遇によって生き方が定められることのない、成熟した社会ではないだろうか。


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