OTO ZONE

Oto’s Mail

コーンスープともやしサラダ

 ある晩、食卓にコーンスープともやしサラダが並んだ。4歳の長男が、もやしをコーンスープに入れて食べはじめた。あたりまえだが、妻はいやな顔をした。でも、僕はそれを止めるかどうか逡巡した。もちろん、これが公共の場であれば、「まわりの人がいやな気持ちになるんだ」と注意しただろう。でも、ここは食卓だ。少し事情が異なってくる。  たとえば息子が絵を描いていて、太陽を「黒」で表現したとする。でも、僕はそれを「おかしい」とは言いたくないし、赤いクレヨンを渡すこともしたくない。常人の発想とはちがうだけで、それが彼の“感性”だからだ。味も、同じ。将来、彼がフレンチのシェフになるかもしれない。そのときは、食材の組み合わせによって生み出される妙味も、料理の大きな魅力になってくる。「コーンスープ」+「もやし」は、これまでにない発見かもしれない。  僕も、妻も、凡人。でも、ひょっとしたら、息子たちは天才かもしれない。凡人の常識を押しつけることで、天才がつぶされることだけは、親として避けたいと思っている。だから、できるかぎり息子たちの発想を尊重したい。普段から、そんなことを意識しながら子育てをしている。  でも、妻は言った。「私のつくり手としての感情もある」――もっともだ。長男に少し待ってもらい、妻と話し合った。その結果、半分はスープに入れてOK、半分は出されたままの味で食べる、ということにした。長男もえらい。僕らが出した結論を聞き、半分はコーンスープに入れ、半分は「もやしサラダとして」食べた。  子育てに正解はない。また、夫婦で見解が異なることもある。たまたま今回は些細なことだったけれど、もっと重大な局面で意見が分かれるかもしれない。でも、そうしたときにも、相手の意見を尊重しつつ、子どもにとってベストな着地点を見出していけたらと思っている。  じつは、そうした子育てをしていくことで、こんな効果も期待している。  意見のちがう者同士が、相手の意見を尊重しながら、話し合いによって結論を出していく。両親が日頃からそうした姿勢を見せていくことで、いざ息子が意見の異なる相手と出くわしたとき、「相手の意見を尊重しながら」「話し合って解決していく」ということが自然にできるようになってくれたら――。父と、母の、ひそかな願い。


社会による殺人

先日、自殺で亡くなった方の遺族らによる団体からお話しを聞く機会を得た。彼らは、「自殺」ではなく「自死」という言葉を使った。「自殺」という言葉は、非人道的であり、犯罪的なニュアンスを含む。みずから命を絶つことは、けっして悪ではない。病気や事故で亡くなる方がいるように、自死という最期もあるのだ、と。 たしかに、遺族の方々の多くは、深い悲しみとともに、「どうして気づけなかったのか」「本当に救えなかったのか」という後悔や罪悪感に襲われてしまうのだろう。そのとき、「自殺は悪である」という考え方は、いよいよ自分たちを苦しめることになる。だから、自死という選択を認める。受け入れる。 ただ、この価値観を広く社会に広めていくことに、僕はまだ抵抗がある。いま、まさに苦しみの渦中にいる方に、「自死という選択もあるんだよ」と伝えていいのか。生への執念を捨てさせてしまうことにはならないか。みずから命を絶つことへのハードルをあまりに下げてしまうことへの危惧がある。 だが、お話を聞くうち、僕は「自殺」という言葉にも、「自死」という言葉にも違和感を覚えはじめた。気になったのは、2文字目ではない。「自」――彼らは、本当にみずからの意志で逝ったのか。本当は、生きたくて、生きたくて、仕方がなかったんじゃないか。死にたくなんて、なかったはずだ。 最期まで生への希望を失わず、もがき、あがいたけれど、それでも限界を超えてしまったその人を、僕は責める気になれない。苦悩の末にみずから命を絶った人を「根性がない」「精神的に弱い」などとなじることはできない。彼らは積極的に死を選んだのではなく、選ばざるをえなかったと思うのだ。 そう考えると、自殺とは、みずから命を絶つことではないのかもしれない。誤解をおそれずに言えば、「社会による殺人」なのだ。この国は、レールから外れた生き方をする人がとても生きにくさを強いられる社会であると思う。この排他的な空気は、自殺の大きな原因のひとつであるように思う。 それは、大津の事件にも同じことが言える。あれは、いじめによる自殺などではない。れっきとした殺人事件なのだ。加害者だって存在する。いじめていた少年たち、見て見ぬふりの教師、校長、教育委員会、被害届を受理せずにいた警察署――それだけじゃない。そうした社会をつくりあげてきた、僕ら、一人ひとり。 加害少年や学校関係者、教育委員会やその他の関連機関を非難することはたやすい。自分が「正義」の側に回れるからだ。だが、それだけでいいのか。自分がその場にいたら、はたして適切な行動で少年を救えていたのか――。おそらく、胸を張って「YES」を答えられる人は、そう多くないだろう。 対岸の火事をながめるだけなら、だれにでもできる。真価が問われるのは、こちら岸に火の手があがったとき。僕が担任なら、どうしただろうか。あなたがクラスメイトなら、どうするだろうか。それを必死に考え、今後に生かしていくことが、少年に対するせめてもの供養になるのではないだろうか。 大津の中学生だけでなく、みずから命を絶った方々の苦悩に思いをはせると、胸が詰まる思いです。どんな社会にしていけば、少しでもそうした方々を減らしていくことができるのか、今後も考えを深め、僕なりに行動していきたいと思っています。みなさんにも、ぜひ考えていただければ幸いです。


クリスマス in 石巻

毎年、年の瀬が迫ってくると、 「今年のクリスマスはどんなふうに過ごそうかなあ」 なんて考えるのが楽しみのひとつだったりする。 でも、今年はもうひとつ、別の考えが生まれてきた。 「被災地の子どもたちは、どんなクリスマスを過ごすのかな……」 クリスマスの夜といえば、ちょっぴり豪華なごちそうが食べられて、 前から欲しかったあのプレゼントが枕元に置いてあって----。 そんなイメージがあるけれど、被災地ではどうなんだろう。 まだ、そこまでの余裕がある家庭ばかりじゃないかもしれない。 じゃあ、学校は? 昨年3月まで、僕は小学校教員を務めていた。 子どもたちと「クリスマス会」をしてはいけないと言われた。 「特定の宗教の行事を公立小学校で行うわけにはいかない」 というのが、その理由だった。 きっと、被災地だって、そのあたりの事情は変わらないだろう。 だとしたら。 子どもたちは、どこで「クリスマス」を味わったらいいんだろう。 家庭でも、学校でも、クリスマスを感じられないとしたら----。 だったら、オレが持ってくぜ!!!! 今年の夏に訪れた石巻市立橋浦小学校に連絡すると、 校長先生が冬休み中の体育館を開放してくださることになった。 北上川のすぐそばにある橋浦小学校には、津波の影響で 校舎が壊滅的な被害にあった近隣の2校の子どもたちも通う。 つまり、いまは3校合同での学校生活が営まれているのだ。 そこで出会った子どもたちの笑顔が、いまでも忘れられない。 彼らに、クリスマスを届けてあげたい。 盟友・FUNKISTに電話すると、ふたつ返事でOKしてくれた。 前日までライブ続きで広島にいるが、そこから石巻まで 車を飛ばして駆けつけてくれるという。 僕らに、何ができるかわからない。 僕らが行ったところで、何かが解決するとも思わない。 だけど、どうしても届けたい気持ちがある。 明日の早朝、石巻に向けて出発します!


『流星ワゴン』

演劇集団キャラメルボックス公演『流星ワゴン』@池袋サンシャイン劇場を観劇してきた。これは、重松清さんの小説『流星ワゴン』の舞台化。重松さんの世界観をどんなふうに体現するのか、行く前からとても楽しみにしていた。 「死んじゃってもいいかなあ」とまで思うほど、人生に失望した主人公。突然現れたワゴンに乗って次々と現実の裏側にあるものを見せられ、さらに打ちのめされていく。だが、同時に、自分のなかで何かが、確実に変わっていく。 2011年は未曾有の大震災に襲われ、この国全体が暗く沈んだ。被災地であれ、非被災地であれ、つらい経験を味わい、悲しみに暮れた。だが、だからといって、そこで僕らの人生が終わるわけではない。それでも僕らの人生は続いていく。僕らは、生きていく。だとしたら、どう生きていけばいいのか。 あきらめて、投げ出してしまうのか。厳しい現実に四方を取り囲まれても、もがき、あがいていくのか。主人公も、そこに苦悩し、葛藤を抱く。そして、最後には――。今年、苦しい現実を突きつけられた僕らが、一年の終わりに観るにふさわしい作品だと思った。 また、この作品を貫いているのは親子愛。劇中、ふたりの息子のことを思い浮かべつつ、十年前に亡くなった父の姿も脳裏に浮かんだ。もし、父が生きていて、酒でも酌み交わせたらなあ。まあ、いくら考えても叶わない夢だから、もし実現したらどんな会話をするのかを想像しながら、今夜はゆっくり湯船にでも浸かろう。 キャラメルボックスのクリスマス公演といえばファンタジー作品が定番だが、今回はまたちょっと毛色が違う。でも、それが良かったようにも思う。こうした年だからこそ、この『流星ワゴン』という作品で良かったのだと、心から思う。本公演は、25日(日)まで。良席で観るなら平日がオススメ。女性は、メイクが崩れるのでご注意あれ。


「不幸」の烙印を押さないで

Twitterに、こんな質問が寄せられた。 「最近は出産前に胎児に障害があるとわかると、産まない選択 (中絶)をする親も多いですが、乙武さんとしてはそれを否定しますか?」  この質問を受けて、僕が考えたことを文章にまとめてみました。  身体障害者本人が、みずからの障害をどのように捉えるか。それは、 親の態度が大きく影響するのではないかというのが、僕の持論。 「こんな体に生んでしまい申し訳ない」と考える親のもとに生まれれば、 きっと当人も「自分は不幸の身に生まれたのだ」と、まるで十字架を 背負わされたかのような心持ちになる。  逆に「障害があってもいいじゃない」という、おおらかな親のもとに 生まれたら、みずからの境遇に悲観することなく、障害を重たい十字架と 感じることなく生きていけるのではないか。少なくとも、僕はそういう親の もとに生まれ、みずからの障害についても、とくに悲観することなく生きてきた。  もちろん、どちらが正しく、どちらが間違っているということはない。 どちらも、わが子を愛しているからこその思いなのだから。 ただ、生まれつきの障害者のひとりとして言わせてもらうならば、 後者のような親のもとで育てられたほうが、障害者本人にとっては 「ラク」だろうなあと思う。  障害児の親は、愛ゆえに、生まれたばかりのわが子に「不幸」の 烙印を押してしまっていないだろうか。障害者として生きていくことは、 本当に不幸なことなのか。はたまた障害と幸福の間には、何の 相関関係もないのか。それは親ではなく、本人が生きていくなかで 判断していくべきことだと思うのだ。  もちろん、それが平坦な道でないことはわかっている。いじめ、差別、 偏見――。障害者として生きていくには、まさに多くの「障害」が 待ちかまえている。でも、健常者に生まれたからといって、幸せな 人生を歩めるとはかぎらない。そして、障害者に生まれたからといって、 不幸になるともかぎらない。  つまり、生きてみなければ、その人の人生が不幸かどうかなんて、 わからないと思うのだ。どんな苦しい境遇に生まれても、大逆転で HAPPYな人生を歩むことになるかもしれない。それなのに、生まれた 時点で「この子は不幸だ」と決めつけてしまうのは、あまりにもったい ない気がしてしまうのだ。  ――と、僕がいくら言ったところで、やっぱり子どもを生み、育てて いくのは親だ。その親が、羊水検査をした結果、「やはり、障害者 としての人生は不幸にちがいない。だから、私たちは中絶する」 という決断を下したならば、何も言うことはできない。口をはさむ べきことじゃない。  そこで、僕が何らかの役割を果たせたらと思っている。 「乙武さんみたいに、幸せそうに生きている人もいるな」  お腹のなかの子に身体障害があるとわかっても、僕の生きる姿から 「産む」決断をしてくださる方が、少しでも増えるように。僕がメディアに 登場する理由の多くは、そこにある。  もちろん、「やっぱり、障害者なんて産むんじゃなかった…」と 後悔することのないような社会にしていくことも、僕が果たすべき 役割のひとつだと思っている。でも、こればっかりは、一人じゃどうする こともできない。どうしても、みなさんの理解と手助けが必要です。 大切な命を守っていくために。  長文失礼しました。もしも、自分が障害のある子を授かったら―― そんな視点からお読みいただければ幸いです。最後に、障害の 有無にかかわらず、ひとつひとつの命がすべて輝くものであって ほしいと切に願っています。


また、会いましょう

東日本大震災から、4ヶ月半が経ちました。震災直後、僕は被災地に 駆けつけ、炊き出しや瓦礫撤去といったボランティアができないことに もどかしさを感じていました。こんな僕が行っても、むしろ迷惑をかける だけだろう、と。 けれど、震災から一ヶ月ほどが経ち、食糧や生活に必要最低限の 物資が届きはじめたという報道を見て、僕のなかで少しずつ心境に 変化が起こりはじめました。 次に重要なのは、被災地の方々が、「もう一度、希望を捨てずに 生きていこう」と前向きな気持ちを取り戻していくことではないか。 そして、そのためのお手伝いなら、僕にも何かお役に立てることが あるのではないだろうか、と。 そんな気持ちから、五月上旬、僕は被災地へと向かいました。 破壊された街並み。大切な人を失った悲しみ。訪れた地では、 想像以上に胸を締めつけられる場面が多くありました。 でも、それと同時に、希望を失うことなく、前を向いて歩み出した 勇敢な人々と出会うこともできました。彼らは、本当に輝いていた。 だから、僕は新刊のタイトルを『希望 僕が被災地で考えたこと』と しました。 そして、僕がいちばん頭を悩ませたのは、そうした被災地の人々と 別れるとき、どんな言葉をかけたらよいのだろうか、ということでした。 難しいことだとわかっていながらも、相手の立場を慮ってみる。 それでも、なかなか答えの出るものではありません。 「頑張ってください」「頑張りましょう」「元気を出してください」―― どれも、僕のなかでは、しっくり来るものではりませんでした。 結局、僕が選んだのは、「また、会いましょう」という言葉でした。 苦しい状況のなか、少しでも未来を感じられる言葉にしたかったから。 未来に光を感じてほしかったから。「また、会いましょう」と。 東京に戻ってきた僕は、「あの言葉を口約束にだけはしたくない」と、 ずっと思っていました。そして、その約束を果たす日がやってきました。 今日から、また被災地へ行ってきます。 今回は3日間しか確保できなかったので、訪れる場所も限られて しまうと思うけど、僕なりの、僕だからこそできることを意識しながら、 3日間を過ごしてきたいと思います。 また、ご報告させてください。僕が感じたことを。 ※前回訪問時の活動詳細については、楽天イーグルスでの始球式や 石巻での特別授業の様子も含め、『希望 僕が被災地で考えたこと』に 詳しくあります。ぜひ、そちらをお読みいただければと思います。


なでしこ優勝に思うこと

サッカー女子日本代表・なでしこJAPANが、W杯で優勝。 朝から、胸が熱くなった。おめでとう。本当に、おめでとう!! 今大会、キャプテンとしてチームをけん引した澤穂希選手とは、 取材でお世話になってから、もう十年来のお付き合い。 怪我で苦しんでいた時期も、渡米先で悩んでいた時期も、 ずっと前を向いて頑張ってきた彼女の姿をそばで見てきたからこそ、 この試合に臨む彼女の表情を見るだけで、ぐっと来た。 いや、そんな背景を知らなくたって、今日の勝利は僕らに力をくれた。 それだけ、彼女たちは素晴らしいスピリットを見せてくれた。 だが、“世界一”という偉業を達成した彼女たちも、日頃は驚くほど 過酷な生活を送っている。海外組や一部のプロ契約選手以外、 ほとんどの女子サッカー選手は、サッカーを職業としていない。 つまり、サッカーでは「メシが食えていない」のだ。 昼間は会社勤めをしている。もしくは、バイトをしている。 そして、夜になって、所属チームの練習に参加する。 きっと、疲れているだろうに。サボりたい日もあるだろうに。 同僚のOLたちが、気晴らしに飲みに行ったりしている間、 彼女たちはグラウンドでサッカーボールを追っている。 もちろん、「好きだからやっているんでしょ」の声はある。 だけど、恋人や友人と過ごす時間も削り、すべての空き時間を サッカーに費やす日々には、「好きだから云々」のひとことでは とても片づけることのできないストイックさがある。 忘れてはならないと思う。今日、僕らが得た感動は、彼女たちが 犠牲にしてきた多くのものに支えられているのだということを。 僕らはそんな事実を忘れ、しばらくすると、また次の感動に飛びつく。 そんな「感動のいいとこどり」を繰り返してきた。 感動の準備段階では、「好きでやっているんでしょ」。 でも、いざ感動の場面になると、「感動をありがとう」。 僕らはたいした対価を払うことなく、ただ感動だけを享受してきた。 あえて強い言葉を使うならば、競技者から感動を“搾取”してきた。 いつも日本中を駆け巡る「感動をありがとう」の言葉は、 選手たちの心の支えになっても、生活の支えにはならないのだ。 たとえば、かなりの可能性を秘めた選手がいたとしても、 「家族や友人と過ごす時間とお金、そのすべてを犠牲にできるか」 という問題に直面したとき、その競技を断念することだってあるだろう。 しかし、僕らが、社会が、その下支えとなり、競技に専念できる環境を 整えることができれば、そうした選手だって競技を続けることができる。 これは、スポーツに限った話ではない。 音楽にも、芸術にも、伝統文化にも、ほぼ同じことが言える。 いまは、競技や文化が到達した“結果”にしか目が向けられていない。 だが、それらがある地点まで到達しようとする“過程”にまで 目が向けられるようになれば、そこにはきっとお金も生まれる。 文化が成熟するって、たぶん、そういうことなんじゃないだろうか。 ただ、国民に「これだけ感動したんだから対価を払え」と言っても、 そうした文化が定着していない日本では、なかなかその考えを 受け入れてもらえないないように思う。だから、言い方を変えよう。 「感動の準備段階にもっとお金を使えば、いままでより多くの感動を 得られるかもしれませんよ」と。あくまでも、ポジティブにね。 スポーツを含めた文化全般を支えていく仕組みを、いま一度、 みんなで知恵を出し合って考えていきたい。 あらためて、そんなことを思わせてくれた、歓喜の朝。 なでしこJAPAN、本当におめでとう!! ※本文は、このテーマについて陸上・為末大選手とTwitter上で 交わした会話をもとにして、大幅にリライトしたものです。 詳しくは、Togetter「なでしこ優勝の裏側で…」にありますので、 ご興味のある方は、そちらをご覧ください。


命のアルバム

まだ6月だというのに、連日、30℃を超える暑さ。 みなさん、バテたりしてませんか? 先日、Twitterで日本酒を飲んでいることを書きこんだら、 実家が宮城県で酒蔵を営んでいるというフォロワーの方が、 「ぜひ、私の実家で製造している日本酒を飲んでください!」と、 わざわざ日本酒を送ってくださいました。 今回送っていただいた「黄金澤 大吟醸」は、全国新酒鑑評会で なんと12回も金賞を受賞したことがあるという逸品です。 今回の震災で、工場も大きなダメージを受けたとのことですが、 それでも前を向いて頑張っておられるようです。 さて、今回はその方から送っていただいたお手紙のなかにあった エピソードがあまりにステキだったので、ご本人の許可を得て、 ここに紹介させていただきたいと思います。 以下、仙台で就職活動中という学生さん(送り主さん)からの 手紙の引用です。 ~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・ 今回の震災で、私自身も、10年来の大切な友人を亡くしました。 訃報を受けてからしばらくは現実を受け入れられず、気持ちの整理が つかない日々を送っていました。 そんななか、乙武さんのツイートが目に留まりました。 「人と人とが関わりあって生きていくうえで、相手の気持ちには、 もちろんなれない。けれども、相手の気持ちを想像し、 心を寄り添わせようとすることはできる」 このツイートを読み、「何かしなくちゃ!」と考えました。 友人の家族は、友人のほかに、お父様、弟さんの3人が亡くなり、 お母様だけが生き残りました。一番つらい思いをされているだろう お母様に、私たちができることは何か、必死に考えました。 ご自宅も津波に流され、家族の思い出のものがほとんど 残っていないとのことで、同じ学年の仲間同士で呼びかけ、 彼女が写っている写真、彼女が書き残したもの、 仲間から彼女に宛てた手紙をまとめてアルバムを作り、 お母様にお渡しすることにしました。 たくさんの仲間や母校の先生たちが力を貸してくれたおかげで、 数百枚の写真、百通近い手紙からなるアルバムをお渡しする ことができました。 お母様は、「写真なんて、もうあきらめてたの。短かったけど、 あの子は生きていたんだね。こんな宝物、どうもありがとう」と、 涙を流して喜んでくださいました。 大切な友人を生んでくれたお母様に喜んでいただけたのも、 乙武さんのツイートに勇気をいただいたおかげです。 本当に、どうもありがとうございました!! ~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・ 友人と、残されたご家族への想い。 そして、その行動に、思わず目頭が熱くなりました。 本当に、本当に、ステキなお手紙をありがとうございました。 来月、また僕も被災地へ行こうと思っています。


『ブラック・スワン』

昨日、映画『ブラック・スワン』を観てきました。 みなさんから、「ぜひ感想を」とのリプライを多数いただいたので、 ネタバレしない程度に、僕なりの感想を書いてみたいと思います。 まず、この映画はバレエを描いてはいるけれど、 決して「バレエ映画」ではない。人間の心理を描いた物語。 バレエを知らない僕でも、十分に楽しめました。 前評判の高かったナタリー・ポートマンの演技も圧巻。 美しさ、儚さ、気高さ、という異なる要素を巧みに操りながら、 見事に主人公のなかに眠る様々な感情を演じ分けていた。 終盤の重要なシーンでのダンスと表情は、まさに鳥肌モノ。 映画『レオン』の少女役のときも、いい表情してたもんなあ。 さて、本題。 僕も表現者のひとりとして、いろいろ考えさせられる映画でした。 「白」という色しか知らない人が表現する「白」と、 対極に位置する「黒」という色まで表現する力を持った人が伝える 「白」は、同じ色のはずなのに、深みが違ってくる。 観客(読者)のなかでの響き方が違ってくる。 僕が発信しているメッセージは、たぶん「白」。 でも、僕が本当に「白」しか持ち合わせていなかったら、 これだけ多くの人々に僕の思いは伝えられていない気がする。 僕にも、いつからか黒がある。 いや、「乙武さん、よくブラックジョーク言いますもんね」という その黒じゃなく、本当の黒。心の、黒。 昔は自分のなかに「黒」があることなんて認めたくなかったし、 それが怖くて仕方なかった。でも、いつからだろう。いまの僕は、 自分のなかにある「黒」をじっくり見つめたり、いろいろな角度から ながめている時間が、決して嫌いじゃない。 なんなら酒でも汲み交わしながら、ゆっくりと己のなかの「黒」と 語り合いたい。 自分のなかの「黒」とじっくり向き合えるようになってから、 僕はバランスが取れてきた気がする。 昔は、何かあればポキリと折れてしまいそうな脆さがあったけれど、 いまはそう簡単に折れやしない。 まあ、折れたら折れたで、また叩いて、延ばして、好きな形に 作り変えたらいいや、という開き直りにも近い思いがある。 僕がFUNKISTを愛してやまないのも、 彼らのメッセージが決してきれいごとの「白」なんかじゃなく、 社会の「黒」、人間の「黒」とさんざん向き合って、語り合ってきた 過去から生みだされる「白」だからなんだと思う。 そうした人間にしか生みだせない、叫び。思い。色――。 だから、僕の心に響く。 だから、太宰治が好き。 己のなかの「黒」に苦しめられ、翻弄されつづけたにもかかわらず、 その「黒」と誠実に向き合い、その「黒」を抱きしめつづけた太宰。 彼は、弱かったんじゃなく、マジメだったのだと思う。 そんな迷いや葛藤が、素直に垂れ流される彼の作品が、 たまらなく愛おしい。 映画『ブラック・スワン』、僕は表現者としての「白」と「黒」について じっくり考えさせられた作品でした。 そして、主演のナタリー・ポートマンは、その「白」も「黒」も、 どちらの色も最高の形で表現してみせてくれました。 本当にすばらしい女優さんだと思います。 あくまでも、僕の所感です。 みなさんの感想も、ぜひ聞かせてくださいね。


運動会でのお弁当

みなさん、こんにちは。 ブログは、約一ヶ月ぶりの更新となってしまいました。 楽しみにしてくださっているみなさん、ごめんなさい。 さて、今日は「運動会」について。 東京では降り続いた雨の影響で、今日が運動会という学校も 多かったみたい。すると、それに関連して、ツイッターで友人が こんなつぶやきをしているのを見かけました。 【最近の小学校の運動会、昼ご飯は校庭で食べないらしい。 みんな教室で食べるんだって。親も家で食べたりするようです。 天気良ければ、外で食った方が気持ちいいのになー。 親が来られないとか色々あるのだろうけど、 その辺は工夫して外で食べるぐらいはできるんじゃないかと、思ふ。 無責任な発言ですが。】 僕が昨年3月まで勤務していた杉並第四小学校では、運動会の日、 子どもたちも家族と一緒に校庭やベランダでお弁当を広げていました。 でも、新宿区教育委員会の非常勤職員「子どもの生き方パートナー」 として新宿区立の小・中学校を回っていたときには、運動会の日でも 給食を出し、子どもたちは教室のなかで食べるという学校もあった。 大人たちはさみしく、子どもたちのいなくなった校庭で弁当を食べるか、 なかには一度家に帰り、午後になって出直してくるという家庭もあった。 子どもを教室に入れてしまう理由は、「親が来れない子が傷つくから」、 「弁当格差によって、パン1枚しか持たされない子が傷つくから」。 前から言っているように、何でも傷つけないようにビニールハウスで囲い、 温室栽培をすることが教育ではないと思っている。 それぞれの資質や能力、容姿や家庭環境は生まれもったものであり、 その前提を変えることはなかなか難しい。「違い」は、たしかに存在する。 いくら学校が、その「違い」を感じさせないような配慮しても、 社会に出ればビニールハウスで囲ってくれる存在などいないのだ。 寒風にも、害虫にも、すべて自分の力で立ち向かっていくことになる。 つまり、傷つく機会はいくらでもある。 子どもたちには、そのときまで「違い」があることに気づかせず、 無菌状態のまま社会に送り出すことのほうが、僕は無責任だと思う。 「私の家はお母さんが来れなくてさみしい」 「あの子の家の弁当は豪華だから、うらやましい」 もちろん、運動会にそんな苦い思い出を持つ人もいるだろうう。 だから、そう感じる子が出ないように、みんなで教室に入り、給食を。 そんな“平等”を図ることが教育なのか。僕は、そうは思わない。 社会に出れば、傷つくこともある。挫折することもある。 そんなとき、どう立ち上がり、ふたたび歩いていけばよいのか。 そんな経験をさせておくことのほうが、よほど教育的だと思うのだ。 絶対的に存在する“違い”に布をおおいかぶせ、「みんな平等だよ」と うそぶくことが教育だとは、僕は思わない。 もちろん、学校だけを一方的に批判するつもりはない。 「このことで、うちの子が傷ついたらどうするんだ?」と厳しい調子で ご意見を寄せる保護者の存在があることも、決して忘れてはいけない。 でも、学校にはそうした声にも、もう少し毅然と対応してもらいたいのだ。 学校はサービス業じゃなく、教育機関であるべきだと思うから。 ここまで書くと、ツイッターには賛否さまざまな意見が寄せられた。 そのなかに、こんな質問があった。 【同意ですが、具体的に運動会の昼ごはんがパン1枚で傷ついた子の 挫折感、悔しい気持ちに、教師はどう向き合うべきなんでしょうか?】 たとえば遠足の日、僕はあらかじめコンビニでサンドイッチひとつを 買っておき、弁当の時間になると、日頃の家庭環境からお弁当が 望めなさそうな子どものとなりにすわり、そのサンドイッチを広げた。 「同じだね」 子どもは、それだけでホッとした顔をする。 みなさんからの意見でとても多かったのが、 「そんな子がいても、『うちと一緒に食べよう』と声をかけてあげるのに」。 これが「地域で子どもを育てる」ということなのだと、うならされた。 しかし残念ながら、そうした地域のつながりや結びつきも、 いまや失われつつある。 今回のツイートと、みなさんからのご意見を読んで、 「まちの人と協力しながら、まち全体での子育てを」という理念のもとに 今年4月開園させた「まちの保育園」が目指す方向性は、 決して間違っていなかったと確認することができました。 不平等を生き抜く強さを育てることと、それを支える人々の存在。 このふたつの重要性を実感するといともに、まさに僕自身は、 このふたつの要素によって、ここまでこれたのだと感謝するばかりです。


乙武洋匡公式サイト|OTO ZONE |
©2014 Office Unique All Rights Reserved.