OTO ZONE

おちんちんのついた女の子

2013年4月21日

 先日、友達が新宿二丁目にオープンしたお店に飲みに行った。二丁目と言っても、いわゆるゲイバーではなく、お客様が女装を楽しめるという風変わりなお店だ。普段から女装が趣味の人もいれば、ノリで女装を楽しむ人もいれば、そうした雰囲気を味わいに来るだけの人もいる。客層は、まちまちなのだとか。

 店内が盛り上がっていれば、僕も勢いに任せて女装してみようかなどと思っていたが、あいにくその日は客もまばら。そこで、僕はオーナーである友人と店のスタッフを相手にグラスを傾けることにした。そこで深夜3時まで繰り広げられた“性”についての会話は、とても興味深く、また刺激的だった。

 オーナーである僕の友人は、みずからを女性だと思っている。だが、与えられた肉体は男性だった。つまり、「おちんちんのついた女の子」として生を享けたのだ。戸籍上は男性となるが、カウンセリングののちに性別適合手術を受け、一定の要件を満たせば、戸籍上の性別を変更することができる。

 こうして「心」と「体」の性が一致しない人々は、トランスジェンダーと呼ばれる。ここ数年でずいぶんメディアでも取り上げられるようになり、以前に比べれば少しずつ理解も進んできた。ちなみに僕の友人は、かつて男性の肉体であったことが信じられないくらいの美人で、思わず口説きそうになる。

 だが、お店のスタッフのMちゃんは、また事情が異なる。彼女もまた男性の肉体を与えられたが、普段は女性の格好をして暮らしている。身長こそ178cmあるが、その姿はどう見ても女性だ。そして、恋愛対象は男性。じゃあ、Mちゃんもトランスジェンダーなのかというと――。

「いえ、私は違います」

「えっ、どこが違うの!?」

「私は自分のことを男性だと思っているんです」

 なるほど、彼女がみずからを「男だと思っている」以上、それはトランスジェンダーではないのかもしれない。もっと言えば、「彼女」と表現していいのかもわからない。だが、どう見てもMちゃんは女性にしか見えない。それでもMちゃんは、「自分は男性だ」とかわいらしい表情で口にするのだ。

 さらに混乱したのは、Mちゃんの「私はゲイにあたるんです」という言葉。そうか、男性だと自認するMちゃんの恋愛対象は男性なのだから、たしかに無理やりカテゴライズすれば、それはゲイになる、のか。え、こんなに美しいひとが男に惚れて……ゲイ? もう、何が何だかわからない。無理やりカテゴライズすることに、意味なんてないんじゃないかと思えてくる。

 さらには同席した男性客が大胆な告白をしてくれた。

「僕は男性の性器に興奮を覚えるんです。だから十代の頃から自分はゲイなんだと思ってきたけど、どうやらそうでもない。いろいろ試してみたけど、好きになるのは女性なんです。でも性的に興奮するのは男性器で……」

 さまざまな人の、さまざまな話を聞くうち、僕がなぜ思考回路を混線させられているのか、わかってきた気がした。おそらく、どこかで「この人はこういうタイプ」と分類・整理しようとしていたのだろう。でも、そんなことは土台無理な話。こうした性的指向や嗜好は、きっとグラデーションのようになっているのだろうと、そう思った。

 僕はふだんから、「みんなちがって、みんないい」と言っている。こうしたセクシャリティの問題だって同じこと。ただ、僕のような身体障害者以上に、彼らのほうが不当な差別や偏見を受けている気がする。それは、きっと教育現場でも。セクシャリティを苦に自殺を考える若者が後を絶たないと聞く。胸が痛む。

 小学校教員時代、保健体育で「思春期」について教える機会があった。教科書に「異性を意識するようになる。これを思春期と呼ぶ」といった記述に違和感を覚えた僕は、子どもたちのまえでこう付け加えた。

「男の子が男の子を、女の子が女の子を好きになることだってある。それは数が少ないだけで、けっして変なことじゃないんだよ」

 教育現場でできることが、もっとあるはずだ。教科書の記述や、制服の選択、現場の先生方の意識改革も必要かもしれない。今年2月、東京都教育委員に就任した。何かできることはないだろうか。勉強してみよう。考えてみよう。

追記。専門家ではないために、不正確な表記や表現によって、当事者の方々に不快な思いをさせてしまっていたら、心からお詫びします。でも、わからないながらも、当事者ではない人間が関心を持ち、声をあげていくことも必要だと思うのです。どうぞ、これからも向き合わせてください。理解したいのです。


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