OTO ZONE

Monthly Archives: 1月 2011

講演会について

Twitter上で、講演会についての質問が多いので、 ここにまとめておきますね。 Q.1 講演では、どんなことをお話しするのですか? A.1 もちろん、そのイベントの趣旨や聴講者の層にもよりますが、 教員時代のエピソードやみずからの子育て、さらには自分の幼少期の 話などを交えつつ、「教育」「個性」「チャレンジ精神」などをテーマに お話しさせていただくことが多いです。 Q.2 講演スケジュールは、どこかに掲載されていますか? A.2 誠に申し訳ないのですが、原則として当HPには掲載していません。 各講演会とも、主催者様が独自に告知活動をされており、それによって いつも会場いっぱいのお客様にご来場いただいております。 そのため、僕のほうでブログやTwitterなどで告知をしてしまうと、 定員を大幅に上回る問い合わせが主催者様に殺到してしまい、 たいへんご迷惑をおかけしてしまう事態も予想されます。 このような事情もあり、あえてHPなどで告知することはなく、 いつも前日または当日にTwitter上でつぶやくような形での ご報告となってしまいますことを、何卒ご容赦ください。 Q.3 ○○県の○○町もいいところなので、ぜひ来てください! A.3 講演会は僕らが主催をしているわけではないので、せっかく みなさんから「来てください!」と声をかけていただいても、 こちらから勝手にお伺いすることはできないんです。 ぜひ、地元の自治体や大学などの教育機関、その他公共団体などに、 「乙武洋匡講演会を開催してほしい!」との声を届けてみてください。 Q.4 乙武さんを講演会にお呼びしたいのですが、どうしたら? A.4 当HPのトップページに、「出演依頼はこちら」という項目がありますので、そこから概要をお送りいただければ幸いです。当事務所スタッフが対応させていただきます。 以上、よろしくお願いいたします。


『1/6900000000』ができるまで①

FUNKISTのVOCAL・染谷西郷から電話がかかってきたのは、 昨年10月の終わり頃だった。 「僕たち、年明けにニューアルバムを出すことになったんです。 ほぼ全曲が出そろったところなんですけど、どうも僕のなかでは 『完成』と言えなくて…。どうしても最後のピースとして、 メッセージ性のある曲を、このアルバムのなかに入れたいんです」 そして、「そのメッセージを伝える曲を一緒につくりたいんです」と、 電話口の向こうで西郷は言ってくれた。 FUNKISTとの出会いは、もう6年前。 マカオのライブハウスで、彼らのステージに衝撃を受けた。 「バナナトレイン」 それは、南アフリカ人の母と日本人の父を持つ西郷が、 みずからの母国で直面した、白人と黒人の間に存在する壁、 そこで何もできずにただ涙を流すことしかできない自分の無力感、 でも、大好きな音楽を通して絶対に変えてやるという決意が、 なんのてらいもなく、ストレートにつづられた曲だった。 気づくと、僕は泣いていた。 「ああ、逃げてちゃダメだな」 『五体不満足』出版以来、僕はスポーツライターとして活動していた。 「スポーツの魅力が伝えたい」との思いに偽りはなかったけれど、 『五体不満足』が、予想をはるかに超えるほど多くの方に読まれ、 そのあまりの反響の大きさにとまどい、いつしか僕自身が注目を浴び、 僕自身がメッセージを発することに、憶病になっていた。 だから、僕ではない「誰か」の想いを伝える仕事を選んだのだと思う。 ところが、目の前のステージでは、僕よりも2歳年下の若者が、 何の迷いもなく、「音楽で世界を変える」と叫んでいた。 ただかっこつけで口にするような、そんな安っぽいセリフじゃなく、 「こいつは本気でそう思い、力のかぎり叫んでるんだな」と感じた。 だから、気づくと僕のほほは、涙で濡れていたんだと思う。 それ以来、都内で開催されているライブにはほぼ毎回通っている。 FUNKISTのライブに行きたくて、沖縄まで飛んだこともあった。 プライベートでも、よくメンバーとは食事に行った。 一時期、メンバーのひとりが「ちがう活動がしてみたい」と脱退し、 (のちに復帰!)バンドとして悩み、苦しんでいた時期も。 メジャーデビューするかどうかの決断を迫られていたときも。 彼らは仲間のひとりとして僕を受け入れ、相談してくれた。 僕もまた、苦しい時期には、いつも彼らに救われていた。 正直な話、教員時代は毎日が苦しかった。くじけそうだった。 そんなとき、いつも僕の力になってくれたのがFUNKISTだった。 彼らのステージに。彼らの発信するメッセージに。 あたたかな気持ちと、明日への活力をもらっていた。 「いつか、いっしょに作品がつくれる日が来たらいいね」 僕ら8人は、出会った頃からそんな話をしていた。 その願いが、いま叶おうとしている――。 僕は電話の向こうにいる西郷に、何の迷いもなく返事をした。 「やろう、やろう。ぜひ、やろう!」 2日後、僕らは銀座の喫茶店で待ち合わせをした――。


PV撮影中!

FUNKISTと『1/6900000000』のPV撮影中!


ミスマッチ

昨夜は、タリーズコーヒージャパン創業者であり、現参議院議員でもある 松田公太さんとの会食でした。おいしいワインと食事をいただきながら、 ゆっくりとお話をさせていただいたけれど、いまの社会に対して 「ここがおかしい」「こう変えていきたい」という感覚がとても似ている ように思えました。あらためて、今後もお付き合いできたらうれしいなあ。 (あ、だからと言って、僕が出馬云々という話ではないですよ(^o^;) さて、その席上で、とてもユニークなコンセプトでビジネス展開している 社長さんと出会いました。「リトルミスマッチ」という靴下を販売する 会社を経営する佐藤禎之社長。年齢は、僕より1歳年上。 まあ、ただ靴下を売っているだけではめずらしくも何ともないのですが、 この「リトルミスマッチ」の靴下、なんと左右バラバラの柄で 販売しているうえ、「3本1セット」での提供なのです。 佐藤社長「そもそも、なぜ靴下は左右同じ柄でなければいけないのか。 右と左でちがう色、ちがうデザインの靴下をはいたっていいじゃないか という考え方が、このブランドの始まりなんです」 コンセプトは、創造性(creativity) と 個性(individuality)。 実際、この靴下が売られていると、子どもたちは目を輝かせて選び始め、 大人では思いつかないような自分なりの組み合わせをチョイスするのだとか。 だけど、残念なことに、 「左右バラバラの靴下なんておかしいでしょ」 「そんな靴下をはいていって、学校でイジメられたらどうするの?」 と、せっかく子どもが選んだ商品を棚に戻してしまう親が多いのだとか。 佐藤社長「日本は、この“既成概念”というものが非常に根強い」 たとえば、靴下の数え方。英語では、かたっぽだけだと「ソック」。 2本以上だと、複数形で「ソックス」。それが、たとえ3本でも、4本でも。 佐藤社長「ところが、日本では左右そろって初めて“1足”。 足というのは、2本あるのが当たり前という概念があるわけですよ」 なるほど。ここまで聞いて、なぜ佐藤社長が足のない僕に、 ここまで熱く“靴下”について語ってくれたのか合点がいった。   佐藤社長「乙武さん、今日はぜひうちの靴下をプレゼントさせてください」 乙武「え、僕に靴下を!?」 佐藤社長「ドアノブにかけたり、加工してがま口として使ったり。 どう使うかは、乙武さんの自由です!」 そういえば、親友・手塚真輝は、もう十年以上も前から、 左右バラバラの靴下をはいている。それどころか、ときには靴までも。 他人からはギョッとされることが多いけれど、彼自身はそんな “ミスマッチ”をいつも楽しんでいる。 そんな既成概念にとらわれない自由さも、僕と彼を結びつける 共通点のひとつなんだろうなあ。


ピースボート乗船!!

みなさん、三連休いかがお過ごしですか!? 2011年は、みなさんがあっと驚くようなお知らせを たくさんお届けすることができそう! そして、今日はその第1弾。 オトタケ、ピースボートに乗船します!! ピースボートとは、世界各地での国際交流を目的として、 世界一周をする船舶旅行。 今回、僕が参加するのは今年4月24日に横浜から出航する 「第73回クルーズ」。 いったい、どの区間に乗船するのかは、お楽しみ! 今回の船旅でどんな出会いがあり、どんな経験ができるのか。 いまから、ワクワクしています。 みなさん、船上で待っていますよ!


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