OTO ZONE

Monthly Archives: 10月 2011

「不幸」の烙印を押さないで

Twitterに、こんな質問が寄せられた。 「最近は出産前に胎児に障害があるとわかると、産まない選択 (中絶)をする親も多いですが、乙武さんとしてはそれを否定しますか?」  この質問を受けて、僕が考えたことを文章にまとめてみました。  身体障害者本人が、みずからの障害をどのように捉えるか。それは、 親の態度が大きく影響するのではないかというのが、僕の持論。 「こんな体に生んでしまい申し訳ない」と考える親のもとに生まれれば、 きっと当人も「自分は不幸の身に生まれたのだ」と、まるで十字架を 背負わされたかのような心持ちになる。  逆に「障害があってもいいじゃない」という、おおらかな親のもとに 生まれたら、みずからの境遇に悲観することなく、障害を重たい十字架と 感じることなく生きていけるのではないか。少なくとも、僕はそういう親の もとに生まれ、みずからの障害についても、とくに悲観することなく生きてきた。  もちろん、どちらが正しく、どちらが間違っているということはない。 どちらも、わが子を愛しているからこその思いなのだから。 ただ、生まれつきの障害者のひとりとして言わせてもらうならば、 後者のような親のもとで育てられたほうが、障害者本人にとっては 「ラク」だろうなあと思う。  障害児の親は、愛ゆえに、生まれたばかりのわが子に「不幸」の 烙印を押してしまっていないだろうか。障害者として生きていくことは、 本当に不幸なことなのか。はたまた障害と幸福の間には、何の 相関関係もないのか。それは親ではなく、本人が生きていくなかで 判断していくべきことだと思うのだ。  もちろん、それが平坦な道でないことはわかっている。いじめ、差別、 偏見――。障害者として生きていくには、まさに多くの「障害」が 待ちかまえている。でも、健常者に生まれたからといって、幸せな 人生を歩めるとはかぎらない。そして、障害者に生まれたからといって、 不幸になるともかぎらない。  つまり、生きてみなければ、その人の人生が不幸かどうかなんて、 わからないと思うのだ。どんな苦しい境遇に生まれても、大逆転で HAPPYな人生を歩むことになるかもしれない。それなのに、生まれた 時点で「この子は不幸だ」と決めつけてしまうのは、あまりにもったい ない気がしてしまうのだ。  ――と、僕がいくら言ったところで、やっぱり子どもを生み、育てて いくのは親だ。その親が、羊水検査をした結果、「やはり、障害者 としての人生は不幸にちがいない。だから、私たちは中絶する」 という決断を下したならば、何も言うことはできない。口をはさむ べきことじゃない。  そこで、僕が何らかの役割を果たせたらと思っている。 「乙武さんみたいに、幸せそうに生きている人もいるな」  お腹のなかの子に身体障害があるとわかっても、僕の生きる姿から 「産む」決断をしてくださる方が、少しでも増えるように。僕がメディアに 登場する理由の多くは、そこにある。  もちろん、「やっぱり、障害者なんて産むんじゃなかった…」と 後悔することのないような社会にしていくことも、僕が果たすべき 役割のひとつだと思っている。でも、こればっかりは、一人じゃどうする こともできない。どうしても、みなさんの理解と手助けが必要です。 大切な命を守っていくために。  長文失礼しました。もしも、自分が障害のある子を授かったら―― そんな視点からお読みいただければ幸いです。最後に、障害の 有無にかかわらず、ひとつひとつの命がすべて輝くものであって ほしいと切に願っています。


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