「バナナトレイン」
染谷西郷と出会ったのは、9年前。マカオの地だった。FUNKISTというバンドでボーカルを務める彼は、異国のステージ上で激しいパフォーマンスを繰り広げ、熱のこもったメッセージを伝えていた。言葉が通じないはずの観客たちはそれでも熱狂し、となりの観客と肩を組んで踊り、彼の歌声に耳を傾けた。それまで会ったこともない、その存在すら知らなかった彼らのステージに圧倒された僕は、ライブ後すぐに物販コーナーに向かい、彼らのCDを買い求めた。
伝えたいメッセージに多くの共通項を持つ僕らは、すぐに意気投合。交流が始まった。はじめはメンバーが住むアパートで鍋パーティーをしたり、僕の趣味である落語を一緒に聴きに行ったりと、いわゆる友人としての付き合いだったが、やがて一緒に曲作りをしたり、被災地を訪れたりと活動をともにするようになった。彼との付き合いが長く、そして深くなっていくほど、彼の慈愛に満ちた人間性に魅了され、彼のファンになっていった。だから、南アフリカという国が、ずっと気になっていた。
西郷の父は、日本人。母は、イギリス系の南アフリカ人。彼らが出会った当時、南アフリカはアパルトヘイト政策下にあった。黒人に比べればまだ優遇されていたとはいえ、それでもアジア人との交際・結婚が許される環境ではなかった。彼らは意を決してスペインに移り住み、そして日本へと渡った。そこで生まれたのが西郷だった。日本だけでなく、「西にある故郷を忘れないように」というのが、彼の名の由来だ。
彼らの曲のなかには、南アフリカをモチーフにしたものが多い。『バナナトレイン』も、そのひとつだ。西郷は19歳で南アフリカを訪れたとき、祖母にすすめられるままに、「バナナトレイン」と呼ばれる列車に乗った。列車はバナナ畑を抜けていくと、やがて黒人たちが暮らす村に差しかかった。線路脇に群がる子どもたち。その衣服は汚れ、破れている。列車のなかの白人たちは、そのタイミングに合わせて車内販売されるお菓子を窓から投げる。黒人の子どもたちは、それをよろこんで拾い集める。その無邪気な子どもたちの姿に、白人たちはひとつ、またひとつとお菓子を投げていく――。
西郷のポケットには、キャンディが入っていた。だが、彼は周囲の白人たちがそうするように、それを窓から投げることが“正解”なのかわからずにいた。どうしたらいいか戸惑っていると、ふと線路脇に佇むひとりの黒人少女と目が合った。彼女は、幼い弟を抱えていた。西郷はポケットに手を入れた。だが、それを取り出し、窓の外に投げることへのためらいを最後まで拭いきることができなかった。そんな西郷に、少女はとびきりの笑顔を向ける。その笑顔に、西郷は涙を流すことしかできなかった。
そんな経験をもとに書かれたのが、『バナナトレイン』という曲だ。初めてこの曲を聞いたとき、僕は強い衝撃を受けた。他の乗客たちと同じく、線路脇の子どもたちに菓子を投げることが「善」なのか。その行為を「偽善である」と断罪し、何もしないことが「道徳的」なのか。これまで机の上で勉強してきた知識では、まるで太刀打ちすることのできない難問だった。「僕だったら、どうしただろう」――その問いが、しばらく頭のなかから離れなかった。
あれから9年。いまだ、僕のなかで答えは出ていない。だが、この難問に答えを出すための貴重な経験をようやく得ることができる。2014年1月、僕は初めて南アフリカ共和国に降り立った。ここで多くのものを目にし、多くの人と出会い、考える糧としたい。もちろん、たった10日間の経験だけでは、この問題に答えを出すことはできないかもしれない。それでもこの旅は、僕の人生を大いに豊かなものにしてくれると信じている。
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