『1/6900000000』ができるまで①
FUNKISTのVOCAL・染谷西郷から電話がかかってきたのは、
昨年10月の終わり頃だった。
「僕たち、年明けにニューアルバムを出すことになったんです。
ほぼ全曲が出そろったところなんですけど、どうも僕のなかでは
『完成』と言えなくて…。どうしても最後のピースとして、
メッセージ性のある曲を、このアルバムのなかに入れたいんです」
そして、「そのメッセージを伝える曲を一緒につくりたいんです」と、
電話口の向こうで西郷は言ってくれた。
FUNKISTとの出会いは、もう6年前。
マカオのライブハウスで、彼らのステージに衝撃を受けた。
それは、南アフリカ人の母と日本人の父を持つ西郷が、
みずからの母国で直面した、白人と黒人の間に存在する壁、
そこで何もできずにただ涙を流すことしかできない自分の無力感、
でも、大好きな音楽を通して絶対に変えてやるという決意が、
なんのてらいもなく、ストレートにつづられた曲だった。
気づくと、僕は泣いていた。
「ああ、逃げてちゃダメだな」
『五体不満足』出版以来、僕はスポーツライターとして活動していた。
「スポーツの魅力が伝えたい」との思いに偽りはなかったけれど、
『五体不満足』が、予想をはるかに超えるほど多くの方に読まれ、
そのあまりの反響の大きさにとまどい、いつしか僕自身が注目を浴び、
僕自身がメッセージを発することに、憶病になっていた。
だから、僕ではない「誰か」の想いを伝える仕事を選んだのだと思う。
ところが、目の前のステージでは、僕よりも2歳年下の若者が、
何の迷いもなく、「音楽で世界を変える」と叫んでいた。
ただかっこつけで口にするような、そんな安っぽいセリフじゃなく、
「こいつは本気でそう思い、力のかぎり叫んでるんだな」と感じた。
だから、気づくと僕のほほは、涙で濡れていたんだと思う。
それ以来、都内で開催されているライブにはほぼ毎回通っている。
FUNKISTのライブに行きたくて、沖縄まで飛んだこともあった。
プライベートでも、よくメンバーとは食事に行った。
一時期、メンバーのひとりが「ちがう活動がしてみたい」と脱退し、
(のちに復帰!)バンドとして悩み、苦しんでいた時期も。
メジャーデビューするかどうかの決断を迫られていたときも。
彼らは仲間のひとりとして僕を受け入れ、相談してくれた。
僕もまた、苦しい時期には、いつも彼らに救われていた。
正直な話、教員時代は毎日が苦しかった。くじけそうだった。
そんなとき、いつも僕の力になってくれたのがFUNKISTだった。
彼らのステージに。彼らの発信するメッセージに。
あたたかな気持ちと、明日への活力をもらっていた。
「いつか、いっしょに作品がつくれる日が来たらいいね」
僕ら8人は、出会った頃からそんな話をしていた。
その願いが、いま叶おうとしている――。
僕は電話の向こうにいる西郷に、何の迷いもなく返事をした。
「やろう、やろう。ぜひ、やろう!」
2日後、僕らは銀座の喫茶店で待ち合わせをした――。
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