OTO ZONE

なでしこ優勝に思うこと

2011年7月18日

サッカー女子日本代表・なでしこJAPANが、W杯で優勝。
朝から、胸が熱くなった。おめでとう。本当に、おめでとう!!

今大会、キャプテンとしてチームをけん引した澤穂希選手とは、
取材でお世話になってから、もう十年来のお付き合い。

怪我で苦しんでいた時期も、渡米先で悩んでいた時期も、
ずっと前を向いて頑張ってきた彼女の姿をそばで見てきたからこそ、
この試合に臨む彼女の表情を見るだけで、ぐっと来た。

いや、そんな背景を知らなくたって、今日の勝利は僕らに力をくれた。
それだけ、彼女たちは素晴らしいスピリットを見せてくれた。

だが、“世界一”という偉業を達成した彼女たちも、日頃は驚くほど
過酷な生活を送っている。海外組や一部のプロ契約選手以外、
ほとんどの女子サッカー選手は、サッカーを職業としていない。
つまり、サッカーでは「メシが食えていない」のだ。

昼間は会社勤めをしている。もしくは、バイトをしている。
そして、夜になって、所属チームの練習に参加する。
きっと、疲れているだろうに。サボりたい日もあるだろうに。

同僚のOLたちが、気晴らしに飲みに行ったりしている間、
彼女たちはグラウンドでサッカーボールを追っている。
もちろん、「好きだからやっているんでしょ」の声はある。

だけど、恋人や友人と過ごす時間も削り、すべての空き時間を
サッカーに費やす日々には、「好きだから云々」のひとことでは
とても片づけることのできないストイックさがある。

忘れてはならないと思う。今日、僕らが得た感動は、彼女たちが
犠牲にしてきた多くのものに支えられているのだということを。

僕らはそんな事実を忘れ、しばらくすると、また次の感動に飛びつく。
そんな「感動のいいとこどり」を繰り返してきた。

感動の準備段階では、「好きでやっているんでしょ」。
でも、いざ感動の場面になると、「感動をありがとう」。

僕らはたいした対価を払うことなく、ただ感動だけを享受してきた。
あえて強い言葉を使うならば、競技者から感動を“搾取”してきた。

いつも日本中を駆け巡る「感動をありがとう」の言葉は、
選手たちの心の支えになっても、生活の支えにはならないのだ。

たとえば、かなりの可能性を秘めた選手がいたとしても、
「家族や友人と過ごす時間とお金、そのすべてを犠牲にできるか」
という問題に直面したとき、その競技を断念することだってあるだろう。

しかし、僕らが、社会が、その下支えとなり、競技に専念できる環境を
整えることができれば、そうした選手だって競技を続けることができる。

これは、スポーツに限った話ではない。
音楽にも、芸術にも、伝統文化にも、ほぼ同じことが言える。

いまは、競技や文化が到達した“結果”にしか目が向けられていない。
だが、それらがある地点まで到達しようとする“過程”にまで
目が向けられるようになれば、そこにはきっとお金も生まれる。
文化が成熟するって、たぶん、そういうことなんじゃないだろうか。

ただ、国民に「これだけ感動したんだから対価を払え」と言っても、
そうした文化が定着していない日本では、なかなかその考えを
受け入れてもらえないないように思う。だから、言い方を変えよう。

「感動の準備段階にもっとお金を使えば、いままでより多くの感動を
得られるかもしれませんよ」と。あくまでも、ポジティブにね。

スポーツを含めた文化全般を支えていく仕組みを、いま一度、
みんなで知恵を出し合って考えていきたい。
あらためて、そんなことを思わせてくれた、歓喜の朝。

なでしこJAPAN、本当におめでとう!!
※本文は、このテーマについて陸上・為末大選手とTwitter上で
交わした会話をもとにして、大幅にリライトしたものです。
詳しくは、Togetter「なでしこ優勝の裏側で…」にありますので、
ご興味のある方は、そちらをご覧ください。


オトタケ先生と3つの授業 なでしこJAPAN・澤穂希選手
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