ピストリウス逮捕に思う
以前にも書いたように、僕はいずれオリンピックとパラリンピックが統合され、ひとつの大会となることを願っている。
(Togetter「パラリンピックをなくしたい!」 参照)。
多くの人が「無理だ」「現実味がない」と考えるだろうが、そこに一人のアスリートが登場した。
パラリンピックのみならず、オリンピックにも出場し、さらには好成績を収めた義足のランナー、オスカー・ピストリウス選手(南アフリカ)の登場は、僕らに大きな衝撃を与えた。彼の出現は、ただ「障害があるのに頑張っている」という精神論に留まらない、じつに重要な議論を巻き起こした。
カーボン製の競技用義肢を使用するピストリウス選手がオリンピックに出場することに対して、「五輪という舞台に障害者が参加できることは素晴らしい」と称賛する声がある一方、「義肢を改造すれば、いずれ健常者より速く走れてしまうのではないか」と、その公平性に疑問を投げかける声も上がった。
どちらも、傾聴に値する意見だ。オリンピック・パラリンピック両大会の統合を願う僕としては、「どちらが正しい」「どちらが間違っている」ではなく、こうした議論が起こること自体が重要だと考えている。また、今回こうした形で問題提起をしてくれたピストリウス選手には、心から敬意を表したい。
そのピストリウス選手が、恋人を自宅で射殺した罪で、殺人容疑に問われている。本人は誤射だと供述しているが、検察側は計画的殺人だと主張している。さらには、自宅から筋肉増強剤と注射器が見つかった。殺人とともにドーピング疑惑も浮上。障害者界のスーパースターは、一気に窮地へと陥った。
僕は「同じ障害者だから」「彼の功績は偉大だから」という理由で、盲目的に彼を擁護するつもりはない。今後の捜査の進展を、慎重に見守っていくつもりだ。だが、たとえ彼の容疑が確定したとしても、ピストリウス選手が殺人を犯していたとしても、それは示唆に富んだ事例になるだろうと思っている。
彼らは清らかな存在で、けっして悪いことなど考えるはずがない――『五体不満足』出版以来、僕もこうしたステレオタイプな障害者観に苦しみ、窮屈な思いをしてきた。もしも、ピストリウス選手が殺人を犯し、筋肉増強剤を使用していたとなれば、そうした障害者観に大きなヒビを入れることになる。
今後、ピストリウス選手は無実が証明されるかもしれないし、獄中に入ることになるかもしれない。いずれにせよ、彼の存在、彼の言動は、これからも一面的な障害者観に一石を投じることになるだろう。そしてまた、僕自身もそうした存在でありたいと思う。いい意味で、期待を裏切っていきたいと思う。
障害者にだって、飲んべえや、エロや、ろくでなしもいる。肉体というものは、言ってみれば“容器”なのだ。その中にどんな中身が詰まっているかなんて、開けてみなければわからない。その容器だけを見て、蔑んだり、期待したり――それがいかにバカバカしいことか、僕らはそろそろ気づくべきだ。
そんなわけで、今日も僕は僕らしく、肉体にとらわれることなく、自由に生きていきます。みなさんも、肉体にかぎらず、さまざまなカテゴライズに縛られることなく、自由に生きてみてください。もしかしたら、この世界はもっと広く、その人生はもっと楽しいものかもしれませんよ。
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