父との時間
今年9月、東京新聞『わが街わが友』というコーナーで、
全12回の連載を担当させていただいていました。
なんと、今回、東京新聞さんのご好意により、全12回のコラムを
当サイトにも掲載させていただけるようになりました!
掲載は、11月中の月曜、水曜、金曜を予定しています。
どうぞ、お楽しみに(^O^)/
では、まずは第1回「父との時間」から。
第1回 『父との時間』
僕にとって、「生まれ育った街」と言われて真っ先に思いつくのは、世田谷区用賀。砧公園や馬事公苑など、緑豊かな土地であるだけでなく、多くの幹線道路に囲まれた交通の便にも恵まれた街だった。
いまや用賀のランドマークにもなっている地上28階建ての駅ビルも、完成したのは僕が新宿区へ転居した翌年(93年)のこと。当時は、“用賀村”と呼ばれるほど、のんびりとした街だった。
現在は駅ビルの地下にある優文堂書店。当時は、駅からすぐそばにある路面店だった。日曜日、父に連れられて自宅から本屋までふたりで出かけていくのが、週に一度の楽しみだった。父が仕事から帰宅するのは夜遅く。平日はあまり話をすることができなかったから、その一週間に学校であった出来事などを話す約20分の道のりは、僕にとってとても待ち遠しい時間でもあった。
いざ本屋に着くと、しばし別行動。僕の車いすをマンガ売り場まで押していくと、建築家だった父は、美しい建物が載る雑誌をぱらぱらとやりに行った。わが家には「マンガ本を買うのは月に一冊」というルールがあったから、毎回、欲しかった『ドラえもん』を買ってもらえたわけではなかったけれど、僕はそれでもふくれ面をすることはなかった。大好きな父と一緒に出かけられるだけで、それだけで十分に幸せだったから。
あれから20年以上が経ち、僕にもふたりの息子ができた。気づいたことがある。父は、別に毎週のように本屋に用事があったわけではないのだ、ということ。平日は僕にかかりきりで、自分の時間など持つことができなかった母に、わずかなからも休息の時間をつくってあげたかったのだろう。さて、息子よ。僕たちはどこに出かけようか。
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