親愛なる「おまえら」へ
Twitter上では、不思議とアニメアイコンの若者たちから話しかけられることが多い。そのほとんどは、およそ面識のない相手に向けられたとは思えない口汚い言葉や、僕の身体的特徴をあげつらった発言であることが多い。だけど、なんとなくスルーできなくて、返信をすることも少なくない。
「あいつクソまじめにリプしてくるぞ」と面白がられたのか、昨夜は一時間に200~300近いリプライが寄せられた。そのほとんどが、アニメアイコンの若者たちだった。昨晩はどうしても仕上げなければいけない仕事があったのに、なぜか無視することができず、可能なかぎりリプライし続けていた。
初めのうちは僕のことをからかうようなコメントばかりだったのが、そのうち相談めいた内容のものが交じるようになってきた。「僕、いじめられてるんです」「学校で(ひとり)ぼっちで、いつも便所で昼飯食ってます」――どこまで本当かはわからないと思いつつも、僕はできるだけリプライを続けた。
一夜明けて、朝になると、彼らが続々とコメントをくれた。「おはよー」。僕も返した。「おはよー」。夕刻、仕事のために大阪へ向かう新幹線のなかで、僕はなぜだか彼らのことばかり考えていた。「今日は、みんなと昼食食べられたかな」「あいつ今日テストって言ってたけど、ちゃんとできたかな」「昨日の夕飯、あいつはコンビニのパンだけだったけど、今日はちゃんと食べられるのかな」
そう、不思議なことに、彼らとの間に奇妙な友情のようなものが芽生えていたのだ。いや、彼らは僕のことをからかっているだけだろうから、僕の一方的な片思いなのかもしれない。でも、息子を思う母のような、教え子を思う教師のような――とにかく、僕のなかでうまく説明のつかない感情が生まれていたのだ。
ただ、そうした僕の対応を見て、「あんな心ない言葉をぶつけてくる相手に、いちいち反応する必要はない」と顔をしかめる“良識ある”大人たちも少なくない。なかには、僕のことを心配してそう言ってくださる方もいる。だけど、僕はそうした良識ある方たちにこそ、どうしても伝えたいことがある。
彼らは「アニメアイコン」という生き物じゃない。一人ひとりに感情があり、悩みもある、血の通った若者たちなのだ。勉強ができる子もいれば、できない子もいる。家族とうまくいっている子もいれば、いってない子もいる。ただ、どの子も、「どのアイコンも」、それぞれに、必死に、生きているのだ。
僕が子どもの頃、『うちの子にかぎって…』というドラマがあった。田村正和扮する小学校教師が主人公で、クラスの子どもたちは様々な苦悩やトラブルを抱えているのだが、親は「うちの子はちゃんとしてる」と思い込み、向き合おうとすらしない。もう三十年近く前のドラマだが、現代にも共通するテーマであると思う。
彼らは、決して異世界に住んでいるわけじゃない。誰かの、いや、僕らのすごく身近なところに存在しているはずだ。「あんなやつら」と眉をしかめる大人たちは、それがもしかしたら自分の息子や娘かもしれない――という想像を、わずかながらでも抱いたことがあるだろうか。
子どもたちが仮面の奥でつぶやく言葉に耳を澄ませられる大人でありたい。注意深く耳を傾けていれば、「うるせえ、クソババア」という言葉が、「母ちゃん、助けて」と聞こえるかもしれない。「はい、頑張ります」という強がりも、「もうこれ以上、頑張れないよ」と聞こえるかもしれない。
おい、おまえら。正直、カチンと来ることもあるけど、オレ……けっしておまえらのこと嫌いじゃないからな。宿題やれよ。歯磨けよ。PCでエロ画像見たまま寝こけて、母ちゃんに見つかるなよ。明日もちゃんと学校行けよ。でも、どうしても行けない日があったら、またここに帰ってこいよ。
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