OTO ZONE

「南アフリカの持つ魅力」

2014年1月9日

 どんな国を旅しても、だいたい2~3日も歩き回れば、何となくその国の雰囲気や感覚というものが肌を通して伝わってくる。だが、ここ南アフリカでは、それが難しい。ケープタウンという都市をずいぶん見て回ったが、いまだ「この国のカタチ」というものがつかめずにいる。

 たとえば、テーブルマウンテン。頂上がナイフで切ったように平らな形をしていることからこの名がついたダイナミックな山は、この町の象徴。ロープウェイで頂上まで登れば、ケープタウン市街地やテーブル湾を一望する絶景が楽しめる――はずだったが、この日は頂上一帯に雲がかかり、あたり一面真っ白。パンフレットにあった眺望を楽しむことはできなかったが、普段はなかなか経験することのできない「雲のなかにいる」感覚を味わうことができた。

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 ウォーターフロントは、旧港を再開発したエリア。水族館やショピングセンター、ホテルやレストランが並ぶ、ケープタウンを訪れた観光客なら誰もが訪れるスポットだ。治安が悪いと言われる南アフリカだが、このウォーターフロントは家族連れでも安心して散策することができる。明るい陽光を浴びながら、港を横目にそぞろ歩きを楽しみ、気に入ったレストランに立ち寄り美味しいシーフードに舌鼓を打っていると、まるでヨーロッパのリゾート地に来たかのような錯覚に陥る。

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17世紀にオランダ領マレーから奴隷として連れて来られた人々の子孫が暮らすマレークォーターには、かわいらしいパステルカラーの家々が建ち並ぶ。なかには18世紀に建てられた古い家もあるそうだが、すべて明るい色調に塗り替えられているので、まったく古さを感じさせない。ピンクやスカイブルーなど色とりどりの邸宅が並ぶ通りを歩いていると、まるで絵本の世界に迷い込んだよう。だが、彼らの先祖がこの地に移り住むようになった経緯を考えると、複雑な気分にさせられる。

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  テーブルマウンテンの南側にあるタウンシップ(旧黒人居住区)。アパルトヘイト時代は人種によって居住区域を定められていたが、いまはどの人種でも自由に住む土地を決めることができる。とはいえ、仕事もなく、いまだに貧しい暮らしを強いられている黒人は多く、彼らは依然としてタウンシップに住み続けている。なかにはレンガ造りで電気・水道のある家もあるが、そのほとんどは集めてきた廃材を利用して建てた小さな家で、大雨が降れば家中が水浸しになってしまうという暮らし。何とか職を探そうとするがうまくいかず、アルコールやドラッグに溺れてしまう人も少なくない。

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  ケープタウンで訪れたこれらのスポットに共通項を見つけることは難しい。自然や歴史、景観や娯楽――様々な切り口からとらえようとも、これらをひとつの枠内におさめることはできそうにない。だが、見方を変えれば、それこそが南アフリカという国なのかもしれない。あまりに様々な、そしてときには相反するような要素を併せ持つこの国を、「南アフリカとは、こんな国である」とたったひと言で説明するには無理がある。だが、まったく異なる様々な要素がモザイク状に集まって成り立つ国なのだと理解すれば、これまで見てきたすべてのエリアがこの国を構成する重要なファクターなのだと合点がいく。

 そんなことを考えていると、僕はごく身近に似たような都市があることに気がついた。僕の育った町・新宿だ。新宿西口には高層ビルが建ち並ぶビジネス街があり、東口には歌舞伎町という日本一の歓楽街もある。新宿二丁目にはLGBTの人々が集い、大久保界隈には韓国人をはじめとする多くの外国人が暮らしている。早稲田大学など多くの大学や専門学校が集まる高田馬場は学生街としてにぎわい、神楽坂には昔ながらの情緒ある店が多く残っている。

 日本にも個性ある町はいくつも存在するが、これだけバラエティに富んだ要素が詰まった町は、新宿をおいてほかにないのではないだろうか。そして、僕の感じる都市の魅力とは、まさにこうしたところにあるのだと気づかされた。一面的ではなく、様々な要素によって構成される多文化共生の町。それだけに摩擦や衝突、格差や偏見というものも生まれやすいのかもしれないが、そうした違いを乗り越えてひとつになることに、僕は大きな魅力を感じるのだ。

 明日はケープタウンを離れ、マーゲートという海辺の小さな町へと移動する。そこにはどんな魅力が詰まっているのか、期待に胸をふくらませている。


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