OTO ZONE

Yearly Archives: 2014

「香港デモ 現地の声を聞く」

【香港デモ】昨日は、中環(セントラル)、旺角(モンコック)、金鐘(アドミラルティ)の3箇所を訪れ、デモについての街頭インタビューを行いました。年齢、性別、出身――立場が違えば、デモに対する態度も様々。現地の生の声をお聞きください。 [中環……デモの行われていないショッピングエリア] 「若者たちを支持します。政府のやり方はおかしい。」(50代・女性) 「彼らの考えには賛同するけれど、自分はMRT(地下鉄)に勤務していることもあって、デモという手法には賛成できない。ただ、できる範囲でのサポートはしていきたいと思う」(20代・男性)… 「デモには賛同できない。学生たちは、ギャングにそそのかされているだけなんだ」(90代・男性) 「インドのムンバイから9年前に移住してきました。ガンジーが生きていたら、きっと暴力に屈せず主張を続ける彼らのことを誇りに思ったでしょう」(40代・女性) [旺角……デモ第2の基点。金曜から、反対派による暴力行為が起こる] 「怖い。とても怖い。でも、こうしてみんなが戦っているのに、自分だけ逃げ出すことはできない。でも、この先、どうなるのか…」(20代・女性・学生) 「暴力は、たしかに怖い。でも、もう後戻りすることはできない。民主的な選挙を勝ち取るため、ここから後戻りすることはできないんだ」(20代・男性・学生) 「デモは許すことができない。経済はどうなってしまうんだ。学生たちは、いますぐデモをやめるべきだ」(50代・男性・飲食店店長) [金鐘……デモ最大の拠点。数十万人の学生が道路を占拠] 「ニュースを見て、居ても立ってもいられなくなってここへ来た。自分の勤務する会社にはないが、他社では『デモに行くので』と申請すれば、休暇をくれるところもあるらしい」(30代・女性・社会人) 「我々は中国人ではなく、香港人なんです。こうして香港の人々が民主化のために立ち上がり、暴力に臆せず戦っているということを、ぜひ世界に伝えてください」(20代・男性・学生) 日本には、いったいどれほどのことが伝わっているのでしょうか――。


「香港デモを訪れて」

香港デモ。普通選挙を求める学生側と、中国政府を支持する親中派が衝突、「市民の対立が深刻化」と報道されているが、それが事実かは疑わしい。 デモ隊に対して暴力を振るう人々を、警察が傍観する姿も目撃されている。行政も、それを黙認している。学生側は、警察・行政のこうした態度に疑問を抱き、開きかけていた交渉の扉を再び閉じてしまった。これに対して、行政長官は6日にも強制排除することを示唆した。こうした状況から、私は「市民の対立」と表現することにためらいがある。 学生側は、当初から一貫して平和的な態度を崩していない。警察の催涙弾に対して、雨傘を盾に対抗してきたことから、いつしか“雨傘革命”と呼ばれるようになった。占拠地区には、いくつもの雨傘がシンボルのように飾られている。 この“雨傘革命”がどんな結末を迎えるのか。現時点では、まったくわからない。しかし、暴力による解決でないことを心から望んでいる。“第二の天安門事件”となることだけは避けなければならない。 今日5日は、日曜日。学生たちの数は、ますます膨れ上がることが予想される。恐れず、怯まず、現場を訪れたい。  


北欧で感じた「新しい世界」

今月上旬、社会学者・古市憲寿氏とともにデンマーク、ノルウェー、スウェーデン、フィンランドの四ヶ国を回った。オスロへの留学経験もある古市氏の案内のもと、福祉や教育の面で評価の高い北欧諸国を回り、その実態を肌で感じることが目的だった。   四ヶ国を通じて最も強く感じたのは、北欧の人々は「障害者を特別視しない」ということ。町を歩いていても、交通機関に乗っていても、「お手伝いしましょうか?」と声をかけられたり、特別な対応をされたりすることはほとんどなかった。もちろん、こちらが助けを求めれば快く応じてくれるのだろうが、こちらから頼まなければ、とくに見向きもされなかった。それは、私にとってじつに新鮮で、心地の良い世界だった。   好むと好まざるとにかかわらず、私はどの国においても、“特別視”され続けてきた。背の高い電動車椅子に興味を示し、「これは日本製か?」などと人懐っこい笑顔で話しかけてくる東南アジア。宗教心からか、街角に立ち止まっているだけで車椅子の座席に1ユーロを置いていこうとする西欧諸国。そして、「どう接したらいいかわかりません」と人々の顔にくっきり書いてある日本。北欧は、そのどれとも違った。   おそらく、北欧では、とりわけ親切にしたり、同情したりせずとも、障害者が自由に生きていける社会なのだろう。こうした社会が成立するには、段差をなくすなどの物理的なバリアを排除することや、就労や保障によって障害者の生活基盤を安定させることなどが前提条件となる。北欧諸国は、ハードも、ソフトも整えることで、障害者をあらゆるバリアから解放してきたのだろうと思う。   翻って、日本はどうか。東京などの大都市にかぎって言えば、ハード面は世界的に見てもトップクラスだと感じる。あとは、ソフト面。多くの日本人が、「どう接したらいいかわかりません」となってしまうのは、いまだ社会のなかで障害者が「特別な存在」であり、多くの人が「慣れていない」から。まずは、障害者政策を、人々の意識を、「隔離」から「共生」へと転換することが必要になってくる。   もちろん、北欧がすべてに優れた、完璧な社会であるなどと言うつもりはない。たった数日間の滞在では気づくことのできなかった綻びだって、多々あることだろう。ただ、これは障害者の問題に限らず、日本社会が抱える課題に対して、他国の制度などを参考にしながら、それを日本の現状や風土に合わせてカスタマイズしていく試みは、決してムダなことだとは思えない。   2020年、東京にはオリンピックだけでなく、パラリンピックもやってくる。あと6年で何もかもが解決できるとは思わないが、海外から訪れた人々に少しでも、「日本は障害者が生き生きと暮らしていける国だ」と感じてもらえるよう、私なりに尽力していくつもりだ。   「障害者だから頑張る」でもなく、「障害者だから頑張れない」でもない、ひとりの人間として生きていくことのできる社会を目指して。


乙武洋匡、「新宿そうじ」始めます!

◆ 「グリーンバード新宿」誕生!! まあ、何とも気恥ずかしいポスターができあがりました。 じつはこれ、今年4月に発足したボランティア団体「グリーンバード新宿」の告知ポスターなんです。 みなさん、「グリーンバード」はご存じですか? いまから11年前に表参道で始まったお掃除ボランティア団体。いまでは日本全国のみならず、パリやガーナ、シンガポールなど、海外も含め55地域での清掃活動が行われているのです。 そして今年4月、遅ればせながら56番目に発足したのが、この「新宿チーム」。代表は、わたくし乙武洋匡が務めさせていただくこととなりました。 「なんでまた、そんなことを」 「なぜ、新宿なの?」 「そもそも、おまえどうやってゴミ拾うんだよ!」 など、様々なツッコミが聞こえてきそうですが、じつはこんな思いがあるのです。   ◆ 教育には「地域」という文脈も必要 二十代後半から教育に関心を抱き、力を注いできました。 2005年4月~2007年3月 新宿区教育委員会「子どもの生き方パートナー」 2007年4月~2010年3月 杉並区立杉並第四小学校教諭 2013年2月~現在     東京都教育委員 「現場」と「行政」、ふたつの立場から学校教育と関わってきましたが、子どもたちが育つ舞台は「学校」だけではありません。「家庭」や「地域」も同じく重要。しかし、上記のような立場では、なかなか家庭や地域と密なコミュニケーションを図ることができません。 もっと、「地域」に根ざした活動ができないだろうか――。 そんなジレンマを感じていたところに思いついたのが、「グリーンバード」。ゴミ拾いを通じて、地域と関わることができないだろうかと考えたのです。   ◆ 世代間交流の必要性 もうひとつ。今年2月、関東甲信越では記録的な大雪被害に見舞われました。真っ先に心配したのは、都内で一人暮らしをする母のこと。しかし、元気いっぱいの母は、2週連続で降り積もった大雪をひとりで雪かきしてのけ、私を安心させてくれたのでした。 ただ、「いま」はいいかもしれない。しかし、これが5年後、10年後だったらどうなるのか。今回の大雪でも、雪かきができずに困っていた高齢者もいたのではないか。大雪だけでなく、地震などの災害が起こったとき、都心部の高齢者をどのように救えばいいのだろう。 「あそこのおばあちゃん、だいじょうぶかな?」 「あの家には車いすの人がいる。見に行ってこよう」 そうした関係性が築かれていれば、誰もが安心して暮らせるまちとなる。それには、若者や高齢者が普段から交流できる「場」を設けていく必要がある。「グリーンバード」の活動を通じて、そうした世代間交流を図ることができないだろうか――。   ◆ 多様性のまち「新宿」 このグリーンバードの活動に思いが至ったとき、真っ先に頭に浮かんだのが新宿でした。東京都立戸山高校、早稲田大学という経歴をたどった私にとって、新宿はまさに青春を過ごしたまち。私を育ててくれたまちなのです。 それだけではありません。新宿は、“多様性”のまち。高層ビルが建ち並ぶオフィス街があり、日本一と呼ばれる歓楽街があり、性的少数者や外国人が集い、老舗と呼ばれるお店がひしめく――。私が日頃から発信している「みんなちがって、みんないい」というメッセージをこれほどまでに体現しているまちは、他にないと思うのです。 これだけ様々な人が集う新宿だからこそ、日頃からコミュニケーションを図り、世代間交流を促していくことで、さらにまちが活性化していくのではないか。そんな思いが、僕のなかにありました。   ◆ キックオフイベント大成功 今月5日、新宿区のほぼ中央に位置する戸山公園にてキックオフイベントを行いました。初めての試みだったにもかかわらず、学生ボランティアや町会の方々など、総勢60名を超すみなさんが参加してくださいました。 おたがい見知らぬ者同士。はじめのうちは戸惑う姿も見られましたが、おしゃべりしながらゴミを拾っていくうち、次第に笑顔もこぼれるように。ゴミ拾いの後には、引き続き戸山公園にてお花見も開催。みんなで楽しくお弁当を食べ、お酒を飲み、語らい合いました。第1回の活動としては、大成功だったと思います。 この活動は、まだ始まったばかり。すでに今月15日にも高田馬場にて第2回の清掃を行いましたが、今後も定期的に活動していこうと思っています。新宿区民の方も、そうでない方も、ぜひ気軽にご参加ください。ご興味のある方は、下記までメールにてご連絡いただければ、事務局からご案内させていただきます。 グリーンバード新宿事務局 shinjuku@greenbird.jp 【追記】 そうそう、みなさんの大事な疑問に答えていませんでした。 「そもそも、おまえどうやってゴミ拾うんだよ!」 こんな感じです。ぜひ、一緒にゴミ拾いしましょう!  


”元祖炎上”、80歳を祝う。

  昨日は、田原総一朗さん80歳の誕生日。日頃から、『朝まで生テレビ!』などでお世話になっているメンバーを中心に、サプライズパーティーが企画されました。書籍の打ち合わせだと聞かされて会場に入ってきた田原さんを「ハッピーバースデー」の大合唱とクラッカーでお迎え。日頃はどんな事態にも動じない田原さんですが、さすがに鳩が豆鉄砲を食らったような顔で驚かれていました。 続いて出てきたのは、津田大介さんがプロデュースされた特製「朝まで生テレビ!」ケーキ。よく見ると、意気軒昂に叫んでいる田原さんの飴細工がとってもリアルなんです。 思いもよらない粋なプレゼントに、田原さんも相好を崩してよろこんでくださいました。 田原さんのご挨拶。 「気持ち的には、まだ30歳。でも、80歳の肉体がときどき反乱を起こす。しかし、今日こうしてみなさんにお祝いしていただき、85歳くらいまでは頑張れるような気がしてきた」 そのあと、出席者一人ひとりがご挨拶させていただくことに。私が「今日ここにいるメンバーは私も含めてよく炎上していますが、“元祖炎上”と言えば田原さん」と失礼を承知で申し上げたら、「そうそう、炎上するくらいじゃなきゃ面白くない」との力強いお言葉をいただきました。 今後も臆することなく、発信、活動していかなければ――。田原さんの「老いてますます盛ん」な姿勢に、出席者一同、大いに刺激を受けた夜となりました。 というわけで、お祝いに駆けつけたはずなのに、すっかりパワーをいただいて帰ってきた、素敵なバースデーパーティー。企画・運営してくださった講談社「現代ビジネス」編集長の瀬尾傑さん、本当にありがとうございました。 そして田原さん、あらためておめでとうございます!!  


『ノンストップ!』

4月4日(金)9:50~11:25(フジテレビ系)『ノンストップ!』に生出演します! 金曜の名物コーナー「NONSTOP!サミット」では、 主婦・女性が気になるテーマをスタジオ生で徹底討論します! 是非、ご覧ください!


高校生100人と対話

 先週27日(木)、10代の政治関心の向上・政治参加の拡大を目指す高校生・大学生による団体「僕らの一歩が日本を変える。」が主催する『高校生100人×国会議員 vol.4』というイベントにゲストスピーカーとしてお招きいただきました。  参議院議員会館の会議室で行われたそのイベントでは、全国から集った100名の高校生たちが、「IT×教育」「18歳成人」など10のテーマについて、現役国会議員を含む有識者の方々と熱い議論を交わしていました。  私も会場をぐるりと回りながら彼らの討論を聞いていると、突然、「乙武さん、私たちはいま『2020年の働き方』というテーマで話しているのですが、ぜひ乙武さんの考え方を聞かせてください」と声をかけられ、議論に交ぜてもらうことに。私が、「都心部においては、居住地と職場が遠く離れている人が多くいることも論点に入れては?」と提案すると、早速「企業に託児所を作っても、そこまで連れて行くことが難しいね」「そもそもSkypeだってあるのに、毎日会社に行く必要あるのかな」など、さらに議論を膨らませてくれていました。     各テーマでの議論が終わり、最後に私のスピーチ。これだけ意識の高い高校生たちにどんな話をしようか迷ったのですが、こんなことを伝えさせていただきました。   「親が言うから」「教師が言うから」「多くの人がそうするから」ではなく、あくまで自分の考え、自分の判断で道を進んでほしい。たとえ10代でも、そうして生きている人間の意見なら、大人はきっと耳を傾けてくれるはずだ――。   素晴らしいイベントにお招きいただけたことに、心から感謝。さらに成長した100人の高校生たちと、またどこかで再会できますように。


鈴木宗男氏への回答「政治家だからこそ、弱者への心配りを」

鈴木宗男様  3月20日付のムネオ日記を拝読いたしました。同時に、とても残念な気持ちになりました。政治家というのは、弱者に対して心を寄り添わせることが必要なのではなかったでしょうか。そして、私は貴殿に対してそれができる政治家であると信じてきました。 ◆ 母親は「なんの懸念も心配もせず」わが子を預けたのか。  乙武氏と駒崎氏に言いたい。「あなた方は見ず知らずの人に自分の子供をなんの懸念も心配もせず預けますか」と。    お答えします。私自身は、見ず知らずの方に自分の子供は預けません。また、おそらくは多くの方もそうすることに抵抗を覚えるでしょう。しかし、私がこの問いに対してNOと答えられるのも、「夫婦ともに健在である」「近所に頼める間柄の知人がいる」「経済的に困窮しているわけではない」などの条件を幸運にもクリアしているからです。   ですが、世の中には様々な環境で生きておられる方々がいます。当然、「ひとり親で」「近所に知人などもおらず」「経済的に困窮している」方もいらっしゃるでしょう。もし私がそうした状況下だったら、それでも子どもを見ず知らずの方に預けることなく、日々を生き抜いていくことができるのか、正直、自信がありません。  また、貴殿は「あなた方は見ず知らずの人に自分の子供をなんの懸念も心配もせず預けますか」と問われていますが、事件の被害者となった母親は「なんの懸念も心配もせず」わが子を預けたとお考えなのでしょうか。もし、そうだとしたら、その浅慮に驚き、あきれます。  子どものことが愛おしく、一時も離れていたくはないけれど、それでも生きていくためにやむなく子どもを預け、仕事に出かけなければならない親がどれほど多くいるか、貴殿はご存じでしょうか。そうした人々の声を、じかに聞いたことがあるでしょうか。彼女たちの苦しみに思いを巡らせたことがあるでしょうか。 子供は宝であり、かけがえのない存在である。にもかかわらず2歳としかももう一人8ヶ月の子供を3日間も預けるなら身元やベビーシッターとしての信用等、念には念を入れて預けるのが普通で、どの親でも考えるのが当たり前でないか。    ムネオ先生、おっしゃる通りです。「一般的には」誰もがそう考えるでしょう。ですが、政治家というのは、その「当たり前」をすべての国民に押しつけ、それができなかった者を断罪することが仕事でしょうか。むしろ、「当たり前」に生きることのできない人々の事情に思いを寄せ、彼らの苦しみに耳を傾け、そこに救いの手を差し伸べることが責務なのではないでしょうか。少なくとも、鈴木宗男という政治家は、これまでそうしてきたのではなかったでしょうか。 ◆ 政治家だからこそ、弱者への心配りを。 乙武氏と駒崎氏に言いたい。ツイッターとかではなく、顔を合わせて平場で話をしようではないか。無責任な評論家的な話は懲り懲りである。    お言葉を返すようですが、駒崎弘樹氏はNPO「フローレンス」代表理事として、長年、病児保育の問題に取り組んでこられた第一人者です。また、僭越ながら私自身も3年前より、認証保育園と認可保育園という2園の経営に携わっております。そうした意味で、ふたりとも、日々、育児と仕事を両立している保護者のみなさまの努力と苦労を間近で見てきている立場から発言しております。決して「無責任な評論家」として論じているわけではないこと、ご理解ください。  長年、国政の場でご活躍されてきた氏に対し、親子ほど年の離れた私のような若輩者が物申したことでご気分を害したのであれば、お詫びいたします。ですが、弱者への心配りを忘れない政治活動を行ってきた氏だからこそ、今回の事件を「無責任な母親の愚行」で片づけてほしくなかったのです。「今回の事件は、あくまで氷山の一角であり」「同様の困難を抱えるひとり親は数多くいる」という認識に基づき、ぜひ政策面でのバックアップをお願いできれば、これほど心強いことはありません。  ご検討、ご尽力のほど、何卒よろしくお願い致します。                                    乙武洋匡


東京都教育委員としてのヒアリング・第二弾

  先日、東京都教育委員としてもっと現場の声をお聞きしたいとの思いから、私の地元である新宿区立戸塚第一小学校PTAのみなさまにご協力いただき、子育てや教育について感じていらっしゃることをお聞きするヒアリングの場を設けさせていただきました。  今回は、その第二弾。新宿区障害者福祉協会様のお声がけにより、主に障害のある子を持つ親の立場から活動するいくつかの団体の方々にお集まりいただき、教育についてお感じになっていることについて率直なご意見をいただく場を設けさせていただきました。    みなさんのお話を聞かせていただき、僕のように「見てわかる障害」についての理解や対応はずいぶんと進んできたものの、「パッと見てわからない、わかりづらい障害」については、まだまだ理解・対応が不十分であることを実感しました。しかし、その対応の遅れを現場の教師一人ひとりのマンパワーで埋めなければならないのが現状。これでは教員もつぶれてしまいます。  また、特別支援学校・学級に通っていると、なかなか通常学級や地域社会との接点を持てずに困惑しているというお話もお聞きしました。いくら学校という学びの場を分けても、その出口である“社会”はひとつ。「健常者用の社会」「障害者用の社会」と分かれているわけではありません。それぞれの能力や特性に応じた教育を受けながら、どう地域との交流を図っていくのか。大きな課題のひとつです。  行政の立場から何ができるのか――。あらためて考えさせていただく貴重な時間となりました。参加者のみなさん、本当にありがとうございました!  


「感動をありがとう」と胸を熱くしたみなさんへ

 ソチ冬季五輪が閉幕する。浅田真央選手の演技、羽生結弦選手の快挙、葛西紀明選手の奮闘――今回も様々なドラマがあった。きっと多くの人が心を動かされ、「感動をありがとう」と口にしたことだろう。そんな方にこそ、ぜひご一読いただきたいのが、下記の文章。これは、いまから2年半前、サッカー女子日本代表がW杯で初優勝に輝いた翌日に書いたブログ。「この感動を、どう次につなげるか」という視点で読んでいただければ。 「なでしこ優勝に思うこと」(2011年7月18日)  サッカー女子日本代表・なでしこJAPANが、W杯で優勝。朝から、胸が熱くなった。おめでとう。本当に、おめでとう!!  今大会、キャプテンとしてチームを牽引した澤穂希選手とは、取材でお世話になって以来、もう十年来のお付き合い。怪我で苦しんでいた時期も、渡米先で悩んでいた時期も、ずっと前を向いて頑張ってきた彼女の姿をそばで見てきたからこそ、この試合に臨む彼女の表情を見るだけで、ぐっと来た。いや、そんな背景を知らなくたって、今日の勝利は僕らに力をくれた。それだけ、彼女たちは素晴らしいスピリットを見せてくれた。  だが、“世界一”という偉業を達成した彼女たちも、日頃は驚くほど質素な生活を送っている。海外組や一部のプロ契約選手以外、ほとんどの女子サッカー選手は、サッカーを職業としていない。つまり、サッカーでは「メシが食えていない」のだ。昼間は、会社勤め。もしくは、バイトをしている。そして、夜になって、所属チームの練習に参加する。きっと、疲れているだろうに。サボりたい日もあるだろうに。  同僚のOLたちが気晴らしに飲みに行ったりしている間、彼女たちはグラウンドでサッカーボールを追いかけている。もちろん、「好きだからやっているんでしょ」の声はある。だが、恋人や友人と過ごす時間も削り、すべての空き時間をサッカーに費やす日々には、「好きだから」のひとことではとても片づけることのできないストイックさがある。  忘れてはならないと思う。今日、僕らが得た感動は、彼女たちが犠牲にしてきた多くのものに支えられているのだということを。僕らはそんな事実を忘れ、しばらくすると、また次の感動に飛びつく。そんな「感動のいいところどり」を繰り返してきた。  感動の準備段階では、「好きでやっているんでしょ」。でも、いざ感動の場面になると、「感動をありがとう」。僕らはたいした対価を払うことなく、ただ感動だけを享受してきた。あえて強い言葉を使うならば、競技者から感動を“搾取”してきた。いつも日本中を駆け巡る「感動をありがとう」の言葉は、選手たちの心の支えになっても、生活の支えにはならないのだ。  たとえば、大きな可能性を秘めた選手がいたとしても、「家族や友人と過ごす時間とお金、そのすべてを犠牲にできるか」という問題に直面したとき、その競技を断念することだってあるだろう。しかし、僕らが、社会が、その下支えとなり、競技に専念できる環境を整えることができれば、そうした選手だって競技を続けることができる。  これは、スポーツに限った話ではない。音楽にも、美術にも、伝統文化にも、ほぼ同じことが言える。いまは競技や文化が到達した“結果”にしか目が向けられていないが、それらがある地点まで到達しようとする“過程”にまで目が向けられるようになれば、そこにはきっとお金も生まれる。それは間違いなく、そのスポーツや芸術の振興につながるだろう。文化が成熟するというのは、きっと、そういうことなのではないかと思うのだ。  ただ、そうした文化が定着していない日本では、「これだけ感動したんだから対価を払え」と言っても、なかなか受け入れてもらうのは難しいように思う。だから、言い方をポジティブな表現に変えてみよう。  「感動の準備段階にもっとお金を使えば、いままでより多くの感動を得られるかもしれませんよ」  スポーツを含めた文化全般を支えていく仕組みを、いま一度、知恵を出し合って考えていきたい。あらためて、そんなことを思わせてくれた、歓喜の朝。 (引用ここまで)  引き続き、パラリンピック出場選手の健闘を祈って――。


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