OTO ZONE

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『THEコンパス』

7月21日(土)21:00~22:25 BSフジLIVE ソーシャルTV 『THEコンパス』において、 乙武の「いじめ問題」についてのツイートが紹介されます。 7月20(金)に出演した「知りたがり!」の映像も流れる予定です。 見逃した方、関東地方以外で見れなかった方、是非、ご覧ください!


『知りたがり!』

7月20日(金)14:00~15:52『知りたがり!』(フジテレビ)に出演します。 「いじめ、自殺」問題について、言及する予定です。 是非、ご覧ください! (番組の内容は変更となる場合もございます)


社会による殺人

先日、自殺で亡くなった方の遺族らによる団体からお話しを聞く機会を得た。彼らは、「自殺」ではなく「自死」という言葉を使った。「自殺」という言葉は、非人道的であり、犯罪的なニュアンスを含む。みずから命を絶つことは、けっして悪ではない。病気や事故で亡くなる方がいるように、自死という最期もあるのだ、と。 たしかに、遺族の方々の多くは、深い悲しみとともに、「どうして気づけなかったのか」「本当に救えなかったのか」という後悔や罪悪感に襲われてしまうのだろう。そのとき、「自殺は悪である」という考え方は、いよいよ自分たちを苦しめることになる。だから、自死という選択を認める。受け入れる。 ただ、この価値観を広く社会に広めていくことに、僕はまだ抵抗がある。いま、まさに苦しみの渦中にいる方に、「自死という選択もあるんだよ」と伝えていいのか。生への執念を捨てさせてしまうことにはならないか。みずから命を絶つことへのハードルをあまりに下げてしまうことへの危惧がある。 だが、お話を聞くうち、僕は「自殺」という言葉にも、「自死」という言葉にも違和感を覚えはじめた。気になったのは、2文字目ではない。「自」――彼らは、本当にみずからの意志で逝ったのか。本当は、生きたくて、生きたくて、仕方がなかったんじゃないか。死にたくなんて、なかったはずだ。 最期まで生への希望を失わず、もがき、あがいたけれど、それでも限界を超えてしまったその人を、僕は責める気になれない。苦悩の末にみずから命を絶った人を「根性がない」「精神的に弱い」などとなじることはできない。彼らは積極的に死を選んだのではなく、選ばざるをえなかったと思うのだ。 そう考えると、自殺とは、みずから命を絶つことではないのかもしれない。誤解をおそれずに言えば、「社会による殺人」なのだ。この国は、レールから外れた生き方をする人がとても生きにくさを強いられる社会であると思う。この排他的な空気は、自殺の大きな原因のひとつであるように思う。 それは、大津の事件にも同じことが言える。あれは、いじめによる自殺などではない。れっきとした殺人事件なのだ。加害者だって存在する。いじめていた少年たち、見て見ぬふりの教師、校長、教育委員会、被害届を受理せずにいた警察署――それだけじゃない。そうした社会をつくりあげてきた、僕ら、一人ひとり。 加害少年や学校関係者、教育委員会やその他の関連機関を非難することはたやすい。自分が「正義」の側に回れるからだ。だが、それだけでいいのか。自分がその場にいたら、はたして適切な行動で少年を救えていたのか――。おそらく、胸を張って「YES」を答えられる人は、そう多くないだろう。 対岸の火事をながめるだけなら、だれにでもできる。真価が問われるのは、こちら岸に火の手があがったとき。僕が担任なら、どうしただろうか。あなたがクラスメイトなら、どうするだろうか。それを必死に考え、今後に生かしていくことが、少年に対するせめてもの供養になるのではないだろうか。 大津の中学生だけでなく、みずから命を絶った方々の苦悩に思いをはせると、胸が詰まる思いです。どんな社会にしていけば、少しでもそうした方々を減らしていくことができるのか、今後も考えを深め、僕なりに行動していきたいと思っています。みなさんにも、ぜひ考えていただければ幸いです。


『BAILA』8月号

7月12日(木)発売『BAILA』8月号(集英社) 「相沢紗世の好奇心・向上心対談」のコーナーに掲載されてます。 モデルとして活躍される相沢紗世さんとの対談です。 オトタケの様々なチャレンジについて、お話してます。 是非、読んでください!  


朝日新聞夕刊『かぞくの肖像』

6月21日(木)朝日新聞夕刊『かぞくの肖像』に、 愛犬・シャンティとの写真&記事が掲載されています。 大切な家族との出会いなどを記事にしていただいてます。 ぜひ、ご覧ください。


だからこそできること

Twitterでのやりとりがキッカケで始まった書道家・武田双雲氏との対談本。 ポジティブな二人による幸せの合い言葉「だからこそできること」。 生きるヒントが満載です! 発行:主婦の友社(2012年6月) 税込価格:1365円 購入はこちらから


クリスマス in 石巻

毎年、年の瀬が迫ってくると、 「今年のクリスマスはどんなふうに過ごそうかなあ」 なんて考えるのが楽しみのひとつだったりする。 でも、今年はもうひとつ、別の考えが生まれてきた。 「被災地の子どもたちは、どんなクリスマスを過ごすのかな……」 クリスマスの夜といえば、ちょっぴり豪華なごちそうが食べられて、 前から欲しかったあのプレゼントが枕元に置いてあって----。 そんなイメージがあるけれど、被災地ではどうなんだろう。 まだ、そこまでの余裕がある家庭ばかりじゃないかもしれない。 じゃあ、学校は? 昨年3月まで、僕は小学校教員を務めていた。 子どもたちと「クリスマス会」をしてはいけないと言われた。 「特定の宗教の行事を公立小学校で行うわけにはいかない」 というのが、その理由だった。 きっと、被災地だって、そのあたりの事情は変わらないだろう。 だとしたら。 子どもたちは、どこで「クリスマス」を味わったらいいんだろう。 家庭でも、学校でも、クリスマスを感じられないとしたら----。 だったら、オレが持ってくぜ!!!! 今年の夏に訪れた石巻市立橋浦小学校に連絡すると、 校長先生が冬休み中の体育館を開放してくださることになった。 北上川のすぐそばにある橋浦小学校には、津波の影響で 校舎が壊滅的な被害にあった近隣の2校の子どもたちも通う。 つまり、いまは3校合同での学校生活が営まれているのだ。 そこで出会った子どもたちの笑顔が、いまでも忘れられない。 彼らに、クリスマスを届けてあげたい。 盟友・FUNKISTに電話すると、ふたつ返事でOKしてくれた。 前日までライブ続きで広島にいるが、そこから石巻まで 車を飛ばして駆けつけてくれるという。 僕らに、何ができるかわからない。 僕らが行ったところで、何かが解決するとも思わない。 だけど、どうしても届けたい気持ちがある。 明日の早朝、石巻に向けて出発します!


『流星ワゴン』

演劇集団キャラメルボックス公演『流星ワゴン』@池袋サンシャイン劇場を観劇してきた。これは、重松清さんの小説『流星ワゴン』の舞台化。重松さんの世界観をどんなふうに体現するのか、行く前からとても楽しみにしていた。 「死んじゃってもいいかなあ」とまで思うほど、人生に失望した主人公。突然現れたワゴンに乗って次々と現実の裏側にあるものを見せられ、さらに打ちのめされていく。だが、同時に、自分のなかで何かが、確実に変わっていく。 2011年は未曾有の大震災に襲われ、この国全体が暗く沈んだ。被災地であれ、非被災地であれ、つらい経験を味わい、悲しみに暮れた。だが、だからといって、そこで僕らの人生が終わるわけではない。それでも僕らの人生は続いていく。僕らは、生きていく。だとしたら、どう生きていけばいいのか。 あきらめて、投げ出してしまうのか。厳しい現実に四方を取り囲まれても、もがき、あがいていくのか。主人公も、そこに苦悩し、葛藤を抱く。そして、最後には――。今年、苦しい現実を突きつけられた僕らが、一年の終わりに観るにふさわしい作品だと思った。 また、この作品を貫いているのは親子愛。劇中、ふたりの息子のことを思い浮かべつつ、十年前に亡くなった父の姿も脳裏に浮かんだ。もし、父が生きていて、酒でも酌み交わせたらなあ。まあ、いくら考えても叶わない夢だから、もし実現したらどんな会話をするのかを想像しながら、今夜はゆっくり湯船にでも浸かろう。 キャラメルボックスのクリスマス公演といえばファンタジー作品が定番だが、今回はまたちょっと毛色が違う。でも、それが良かったようにも思う。こうした年だからこそ、この『流星ワゴン』という作品で良かったのだと、心から思う。本公演は、25日(日)まで。良席で観るなら平日がオススメ。女性は、メイクが崩れるのでご注意あれ。


オトことば。

34万人のフォロワーに読まれております乙武のtwitter。 笑いあり、涙あり、自虐(?)あり。乙武のありのままをつぶやいております。 そのtwitter上のやりとりを一冊の本にまとめました。 教育現場の現実、障害者や差別語をめぐる状況、震災で感じた無力感と希望、人生相談的なやりとりなど「生きるヒント」が満載です! 発行:文藝春秋(2011年11月) 税込価格:1,050円 購入はこちらから


「不幸」の烙印を押さないで

Twitterに、こんな質問が寄せられた。 「最近は出産前に胎児に障害があるとわかると、産まない選択 (中絶)をする親も多いですが、乙武さんとしてはそれを否定しますか?」  この質問を受けて、僕が考えたことを文章にまとめてみました。  身体障害者本人が、みずからの障害をどのように捉えるか。それは、 親の態度が大きく影響するのではないかというのが、僕の持論。 「こんな体に生んでしまい申し訳ない」と考える親のもとに生まれれば、 きっと当人も「自分は不幸の身に生まれたのだ」と、まるで十字架を 背負わされたかのような心持ちになる。  逆に「障害があってもいいじゃない」という、おおらかな親のもとに 生まれたら、みずからの境遇に悲観することなく、障害を重たい十字架と 感じることなく生きていけるのではないか。少なくとも、僕はそういう親の もとに生まれ、みずからの障害についても、とくに悲観することなく生きてきた。  もちろん、どちらが正しく、どちらが間違っているということはない。 どちらも、わが子を愛しているからこその思いなのだから。 ただ、生まれつきの障害者のひとりとして言わせてもらうならば、 後者のような親のもとで育てられたほうが、障害者本人にとっては 「ラク」だろうなあと思う。  障害児の親は、愛ゆえに、生まれたばかりのわが子に「不幸」の 烙印を押してしまっていないだろうか。障害者として生きていくことは、 本当に不幸なことなのか。はたまた障害と幸福の間には、何の 相関関係もないのか。それは親ではなく、本人が生きていくなかで 判断していくべきことだと思うのだ。  もちろん、それが平坦な道でないことはわかっている。いじめ、差別、 偏見――。障害者として生きていくには、まさに多くの「障害」が 待ちかまえている。でも、健常者に生まれたからといって、幸せな 人生を歩めるとはかぎらない。そして、障害者に生まれたからといって、 不幸になるともかぎらない。  つまり、生きてみなければ、その人の人生が不幸かどうかなんて、 わからないと思うのだ。どんな苦しい境遇に生まれても、大逆転で HAPPYな人生を歩むことになるかもしれない。それなのに、生まれた 時点で「この子は不幸だ」と決めつけてしまうのは、あまりにもったい ない気がしてしまうのだ。  ――と、僕がいくら言ったところで、やっぱり子どもを生み、育てて いくのは親だ。その親が、羊水検査をした結果、「やはり、障害者 としての人生は不幸にちがいない。だから、私たちは中絶する」 という決断を下したならば、何も言うことはできない。口をはさむ べきことじゃない。  そこで、僕が何らかの役割を果たせたらと思っている。 「乙武さんみたいに、幸せそうに生きている人もいるな」  お腹のなかの子に身体障害があるとわかっても、僕の生きる姿から 「産む」決断をしてくださる方が、少しでも増えるように。僕がメディアに 登場する理由の多くは、そこにある。  もちろん、「やっぱり、障害者なんて産むんじゃなかった…」と 後悔することのないような社会にしていくことも、僕が果たすべき 役割のひとつだと思っている。でも、こればっかりは、一人じゃどうする こともできない。どうしても、みなさんの理解と手助けが必要です。 大切な命を守っていくために。  長文失礼しました。もしも、自分が障害のある子を授かったら―― そんな視点からお読みいただければ幸いです。最後に、障害の 有無にかかわらず、ひとつひとつの命がすべて輝くものであって ほしいと切に願っています。


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