OTO ZONE

Monthly Archives: 2月 2011

川﨑選手&細川選手

福岡ソフトバンクホークス・川﨑宗則選手、細川亨選手と。


重なれ、みんなの想い!

月曜日に、「まちの保育園」開園のお知らせをしてから、大きな反響をいただいています。朝日新聞はじめ、様々なメディアにも取りあげていただいているようで、深く感謝しています。 なんかね、報道だけを見ていると、「乙武さんがつくった!」というようなイメージを与えてしまいがちだけど、決してそんなことはないんですよ。ブログでもTwitterでもお伝えしているように、この「まちの保育園」は決して僕ひとりで準備を進めてきたわけではないんです。仲間たちと考え、実現を目指してきたものなんです。 その仲間の代表が、この「まちの保育園」の運営会社「株式会社ナチュラルスマイルジャパン」の代表取締役・松本理寿輝(りずき)です。 理寿輝と出会ったのは、教員3年目の冬。友人から「オレの仲間で保育園を作ろうと頑張っているヤツがいて、それがなかなかユニークな取り組みだから、一度会ってみない?」と紹介され、意気投合。 一橋大学在籍時から幼児教育に興味を持ち、「将来は保育園をつくりたい!」と考えていた理寿輝は、卒業後、博報堂に入社。教育関連企業のブランディングに従事することで、幼児教育への関心と見識をさらに深めていきました。 ただ、保育園の「経営」をしていくためには、もっと経営についての勉強をしなければ――と、みずから会社を立ち上げてしまったのが、理寿輝のすごいところ。コインパーキングの空中部分にリユース可能な建築を施し、テナントに提供したり、屋上部分を緑化したりといった事業を手がける株式会社フィル・カンパニーを設立。副社長に就任したのです。 この事業が世間的にも評価され、会社経営も順調。しかし、「僕の本来の目的は保育園をつくること」と、設立から3年が経ったところで退社。保育園を開設するための運営会社「株式会社ナチュラルスマイルジャパン」を立ち上げたのです。 いわば、この「まちの保育園」は、理寿輝が10年という歳月をかけて準備を進め、実現に向けて歩んできた成果が、カタチとなって表れてきたものなのです。 もちろん、理寿輝だけではありません。今回、僕らの想いを想像以上のカタチに具現化してくださった建築家の方、園長先生を始めとする現場で保育活動を行う保育士の方々、園に併設するカフェの準備を進めているスタッフ――様々な人の想いが重なって、4月1日の開園に向かっている。そのことをどうしてもみなさんに知っていただきたく、今回はこうして筆を取りました(あ、キーボードを叩きました)。 僕は、あくまで「経営者のひとり」。ひとつのピースに過ぎません。ですが、そのひとつのピースとして何ができるのかを試行錯誤しながら、子どもたちとまちの人々が笑顔になるよう、力を尽くしていきたいと思います。 ご支援、ご協力のほど、よろしくお願いします。 代表取締役社長・松本理寿輝(りずき)と


まちの保育園

今日は、みなさんにとても大事なお知らせがあります。 ご存じのとおり、僕は2007年4月~2010年3月の3年間、杉並区立杉並第四小学校教諭として小学校に勤務していました。杉並区との契約は「3年間」と当初から任期が決まっていたために、残念ながら昨年3月で退職。それでも、この一年間、また何らかの形で教育現場と関わりたいという想いは、ずっと持ち続けてきました。 そして、その準備も進めてきました。 2011年4月1日、練馬区の小竹向原に保育園を開園します。その名も、「まちの保育園」。 教員時代、僕が強く感じたのは、「やっぱり家庭が大事だ」ということ。家庭が安定していれば、子どもたちは勉強だって落ち着いて取り組めるし、何か新しいことにチャレンジしようという意欲だって生まれてくる。ところが、いざ家庭が不安定な状況に陥ると、子どもたちは途端に落ち着きを失い、学校での様子にも異変が表れるようになってくるのです。 でも、世の中には様々な家庭がある。子どもの成長に目を向ける余裕のない、自分たちのことで精いっぱいの大人たちがたくさんいる。そんな子どもたちのために、何か役に立てないだろうか、より家庭に近い位置で子どもたちのために力を尽くせないだろうか――。 そうした想いが、今回の保育園開園というチャレンジにつながっていきました。僕は保育士免許を取得してないため、今回は僕自身が保育活動を行うというわけではありません。それでも、代表取締役を務める松本理寿輝(りずき)とともに、経営者という立場で保育の現場から子どもたちの成長を支えていけたらと考えています。 僕らの想いがつまった「まちの保育園」。ご支援のほど、どうぞよろしくお願いいたします!


残念な歌声(笑)

みなさん、昨日は『NEWS ZERO』観ていただけましたか? 人気コーナー「ZERO CULTURE」のなかで、FUNKISTとのコラボ曲 『1/6900000000』を特集していただくことができました。 「ああ、見逃しちゃったよ (>_<)」 「もっと曲に込めた想いを知りたい!」 という方は、『1/6900000000』ができるまで――というブログを 連載したので、そちらを読んでみてくださいね! さて、曲作りの相談のため銀座の喫茶店に集まった僕と染谷西郷。 西郷が曲をつくり、僕が歌詞を担当することはすぐに決まったが、 その席で、西郷はとんでもない提案を僕に持ちかけてきた。 「そのできた曲の一部、ぜひ乙武さんにも歌ってほしいんです」 ( ̄□ ̄;)!! 「西郷……何言ってんの!?」 「いや、前に乙武さんとカラオケ行った(ギターの)ヨシロウが 『オトタケさん、歌うまかった』と言ってたし、何より乙武さんにも 歌で参加してもらったほうが、より伝わる曲になると思うんです」 「うまくないし (>_<)」 でも。 〈より伝わる曲に〉かあ。 「わかった。じゃあ、西郷。いまからカラオケに行こう」 「へっ?」 「そこで俺が歌うから、おまえがいかに無謀なことを言ってるのか、 実感してくれ(笑)」 僕らはすぐさま、銀座にあるカラオケボックスに直行。 そこで、僕が普段から友人たちと趣味でやっているバンドで 歌っている曲や、恐れ多くもFUNKISTの曲を歌わせてもらった。     「ほら、どう考えても無理だろ(笑)?」 「いや、なんか乙武さんの歌声って、しゃべってるときとはまた違う、 力強くて、すごくまっすぐで――うん、なんかイメージ湧いてきた!」 湧いてきちゃ、ダメーーーーーーー(◎o◎)!! じつは、いまから10年以上も前、『五体不満足』を出版した直後にも、 同様の話をいただいたことがあった。当時お世話になっていた テレビ局プロデューサーの結婚式で一曲歌わせていただいたら、 その翌日に、同じく出席されていた方から「CDを出さないか?」と。 僕は、その場でお断りをした。だって、「いかにも」でしょ。 本が大ヒットした大学生(当時)が、勢いに乗ってCD発売!!だなんて。 だけど、今回ははじめて「歌ってみようかな」という気になっていた。 僕のなかでは「音楽をやってる」とか「CDを出す」という感覚じゃなく、 「FUNKISTと一緒にメッセージを伝える」という感覚になれていたから。 これまでは、著作や講演会やメディアへの出演を通して、 つまり、「書く」「しゃべる」という行為を通して、メッセージを伝えてきた。 それが、今回はたまたま未体験の「音楽」というフィールドであり、 「歌う」という行為なのかなって。 まあ、ホントはそんなことは後付けの理由で、歌詞を書くだけでなく、 「あのFUNKISTと一緒に、曲に参加できる!」という衝動的な よろこびのほうが大きかったのかもしれないけれど(笑)。 そんなわけで、ファンの方には誠に申し訳ないのですが、 今回の『1/6900000000』、西郷のステキな歌声にまじって、 もれなく僕のザンネンな歌声も聞くことができます(苦笑)。     すでにラジオでのON AIRやCDを聴いてくださった方からは、 「乙武さんがどこを歌っていたのかわからなかった」という声も いただいているので、今日は特別にちょっとだけタネ明かし。 ヨシロウ君のギターソロのあと、 「Ah 初めてだよ 君を感じると 体いっぱいに パワーが 満ちてくんだ 幸せという 魔法のペンキで 僕のすべてを あっという間に 塗り変えた」 という歌詞の部分を僕が歌っています! あとは、西郷とふたりで「ありーがとう♪ ありーがとう♪」 ぜひ、CDを聴いてチェックしてみてくださいね(^O^)/


『1/6900000000』ができるまで③

昨日のブログの続き。 「誰もひとりじゃない」 FUNKISTとそんなメッセージを伝えようと、僕は曲を書き始めた。 書きあげた曲をはじめてメンバーに見せたのは、彼ら7人が Vocal・染谷西郷の母国である南アフリカツアーから帰国した直後。 銀座での打ち合わせから、2週間ほど経ったときのことだった。 大阪・梅田のポニーキャニオン会議室。 僕が書いた歌詞が印刷され、メンバー一人ひとりに配られる。 手渡されたA4サイズの紙を受け取り、無言で読み始める7人。 僕は、祈るような気持ちでその様子を見守っていた。 「すげえ」 沈黙を破ったのは、西郷だった。 「なんか、いま乙武さんが書いてくれたこの歌詞を読んで、 パッとジグソーパズルが頭に思い浮かんだんですよね。 みんな一人ひとり、形は違うけど、でもそのすべてが必要で。 それぞれ得意なこと、苦手なことは違うけど、みんなでつながって。 なんか、ジグソーパズルみたいだなって」 その言葉に、僕は目を丸くし、部屋のすみに座っていた 事務所スタッフと顔を見合わせた。 「西郷、あのね。俺がいつも講演会で必ず話すのが、そのことなんだ。 まさにジグソーパズルの例えを使って、『みんなちがって、みんないい』 って」 「えっ、ホントですか?いや、そんなことまったく知らなかったけど、 この歌詞を読んで、本当にジグソーパズルが頭に浮かんだんですよ」 やっぱり、ふたりが見ているのは、同じ景色だったんだ――。 僕は、全身に鳥肌が立つようなよろこびと興奮を覚えていた。 歌詞は決まった。あとは、この曲にタイトルをつけなければならない。 「たしか、前に乙武さんが話してくれましたよね。小学校で先生を やっていたとき、模造紙にデカデカと書いたメッセージを教室に 貼っていたって」 「ああ、『1/6800000000』というやつね。みんなは、この地球上に 68億人もいるうちの、たった一人でしかないけれど、その一人の 代わりを務められる人なんて誰もいない、一人ひとりがかけがえの ない存在なんだってことを伝えたくて」 「タイトル、それをそのまま持ってくるんじゃダメですかね? なんか、この曲のメッセージを伝えるのに、乙武さんが教室に 貼っていたその言葉をタイトルにするのが、いちばんいいんじゃないか と思って」 「じゃあ、あれから人口が増えているから、『69億人』に。 『1/6900000000』に、僕らのメッセージを託していこうか!」 他のメンバーも、口々に賛同してくれた。 こうして、僕らの友情と大切な想いが詰まった曲『1/6900000000』が 完成した。 ****************************************************** 本日2月2日(水)、僕が作詞&サブボーカルとして参加した FUNKISTとのコラボ曲『1/6900000000』を収録した FUNKISTのNewアルバム『Pieceful』が発売されます。 また、今夜、日本テレビ系『NEWS ZERO』(22:54~23:58)の 人気コーナー「ZERO CULTURE」にて、『1/6900000000』が 特集される予定です。 レコーディングの様子や先日出演した渋谷O-WESTでのライブ映像、 さらには染谷西郷×乙武洋匡がこの「1/6900000000」に込めた 想いをたっぷり語った独占インタビューなど、見どころが満載。 ウルトラ必見&完全保存版です!! ※放送日は、予告なく変更になることがあります。


『1/6900000000』ができるまで②

昨日のブログの続き。 「メッセージを伝える曲を一緒につくりたいんです」 電話口の向こうでそう言ってくれたFUNKIST・染谷西郷の言葉に、 僕は何の迷いもなくうなずいていた。 その2日後、銀座の喫茶店で待ち合わせた僕らは、 すぐに具体的な曲づくりの話に移った。 西郷「僕が先に曲をつくって、そこに乙武さんが歌詞を書くのと、 乙武さんが先に歌詞を書いて、そこから僕が曲をつくるのと、 どっちのほうがやりやすいですか?」 乙武「じゃあ、西郷がやりにくくなければ、先に曲をつくってよ。 その曲を聴いて、そのあとで俺が詩を考えるから。 ちなみに、どんな感じの曲にする? テーマというか……」 西郷「とくに決めてるものはないんです。ただ、これまでFUNKISTが 伝えてきたことと、乙武さんが伝えてきたことが重なっている部分、 それをひとつの曲に込められたら、十分にメッセージ性のある、 みんなに伝わる曲になるのかなって」 その言葉に、僕はとても安心したのを覚えている。 それまで6年近くともに歩んできて、「僕とFUNKISTの重なる部分」は 心の底で十分に感じていたから。 その日から、僕はずっと曲づくりのことばかり考えていた。 そのとき、ちょうどあのニュースが飛び込んできた。 群馬県桐生市で、小学6年生の女児が首をつって自殺したという。 その原因は、間違いなく学校で受けていた「いじめ」にあった。 「学校はいじめに気づかなかったのか」「親は何をしてたんだ」――。 自分には何の責任もないと信じ込む人々の非難する声に、 「いじめはなかった」と心ない言葉を平気で口にする校長に、 何も力になってあげられなかった自分の無力さに、ただ腹が立った。 情けなくて、申し訳なくて、「ごめんね、ごめんね」と何度も思った。 僕は、このときの心境をつづったブログのなかで、最後にこう書いた。 「君のような苦しい思いで、この世を去っていく子どもが、 一人でもいなくなるように――。 僕にできる精いっぱいのこと、力を尽くしていくからね」 それが、この曲なんじゃないか。強く、そう思った。 「誰もひとりじゃないぞ!」 西郷が、ステージ上からそう叫ぶシーンを何度も観てきた。 そう、僕らはひとりなんかじゃない。 いまは孤独で、さみしくて、誰にも理解されていない―― そう思っている人もいるかもしれない。 だけど、どこかに必ず、君のことを受け止め、理解し、 ありのままの君でいることを認めてくれる人がいる。 きっと、いるはずだから――。 そんなメッセージを社会全体で発信していくことができたら、 いま孤独感にさいなまれている若い世代を、 みずから命を奪ってしまうような子どもたちを、 救ってあげられるんじゃないだろうか。 西郷の言葉が、耳の奥によみがえった。 「音楽で世界を変えよう」 僕は、猛烈な勢いでパソコンのキーボードを叩きはじめた。


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