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【セクハラ問題】批判より反省を。

  財務省・福田淳一事務次官が辞任を表明し、被害女性とされる記者の所属先であるテレビ朝日が会見をした。 自分から聞き出したい話があるだろうという関係性を利用して、「胸触っていい?」「腕縛っていい?」といった脂ぎった発言を繰り返したとされる福田次官。これが事実なら、言い逃れのできない愚行だと思う。また、一度は女性記者の訴えを受けながらもその事実を握りつぶしたテレビ朝日のセクハラに対する姿勢も、非難を浴びて然るべきものだろうと思う。 だが。 私自身、福田次官に対して鬼の首を取ったように批判するつもりはない。セクハラに対する社会的機運が高まったのはここ数年で、それ以前は私だって女性に対して失礼な発言をしてしまっていたかもしれないからだ。当時の私はそうした意識に欠けていたと言わざるを得ず、今であればセクハラと捉えられてしまう発言をしていた可能性は否定できない。もしも、これまで私と同席した際に不快な思いをしたという方がいらっしゃれば、この場を借りてお詫びさせていただきたい。 「昔は良かった」「厳しい時代になった」という男性陣の嘆きも理解はできる。だが、それはあくまで男性側の視点で、多くの女性にとっては明らかに「昔は酷かった」「やっと声を上げられる時代になった」となるのだろう。やはり、男性が「あの頃は……」と振り返りたくなる社会のあり方が間違っていたのだろうと思う。 少しでもマシな世の中にしていくために、私のようについスケべ心が顔をのぞかせてしまうタイプの人間は、「福田ガー」「テレ朝ガー」ではなく、まずはこれまでの自分の言動を振り返り、反省すべき点は反省して、せめて今後は自分が加害者になることがないよう気を引き締めていくことが大切なのだと思う。 最後に。 「何でもかんでもセクハラだと言われたら、女性を口説くこともできない」「はっきりとした基準を定めてほしい」と散見されるご意見にマジレスすると、自分自身で相手との距離感を測ることができるようになることが、自身がセクハラ加害者になることを避ける道であり、モテる男となるための道なのではないかなと。よく距離感を間違える男としては、そう思うわけです。


浜ちゃんは”フラットフェイス”だ

大学を卒業した私は、スポーツライターとなった。小学校教員となるまでの7年間、オリンピックやサッカーW杯など様々なスポーツイベントを取材する機会に恵まれた。 なかでも最も力を入れて取材をしていたのがプロ野球。暇さえあればグラウンドに足を運び、選手やスタッフの方々にお話を聞かせていただいた。 各チームの監督に取材させていただく機会も多くあった。電動車椅子に乗った手足のないスポーツライター。取材を受ける側にとっても、恐らくは初めての体験だろう。さぞ戸惑わせてしまったことと思う。 私に対する監督たちの対応は、大きく3つのタイプに分けることができた。どう接したらいいのかわからず、表情を硬くする監督。「障害者なのによく頑張って」と過剰な評価をしてくださる監督。そして、私の障害にまったく気を留めることなく、淡々と野球の話だけをする監督。 3つ目のタイプには、「ファンのみなさま、おめでとうございます」という、ほんわかした名言でも知られる若松勉監督(当時ヤクルトスワローズ監督)や、野球界きっての理論派である野村克也監督(当時阪神タイガース監督)がいた。 先に断っておくが、どのタイプの監督からも障害者を差別する気持ちは感じられなかった。ただ、障害を抱えるスポーツライターとしてもっとも居心地が良く感じられたのは、若松監督や野村監督をはじめとする3つ目のタイプの方々だったことは間違いない。彼らには差別する心はもちろん、区別や遠慮という“心の壁”も感じなかったからだ。 一方、私はこれまで数多くのバラエティ番組にも出演してきた。『五体不満足』が出版されて数年後のこと。今や多くの番組で司会を務めるほどの人気者となったあるお笑いコンビと共演させていただく機会があった。 普段は毒舌で鳴らす彼らであったが、この日の収録では私に対して明らかに戸惑いの表情を浮かべ、どういじったらいいのか、それともいじってはいけないのかと対応に苦慮している様子だった。そう、監督でいえば、1つ目のタイプの方々だったのだ。 この番組を観たネット民は辛辣で、「いつもの毒舌はどうした」「まるで借りてきた猫じゃないか」といつもの芸風を発揮できなかった2人をなじるコメントが相次いだ。 私はこのお二人に心から申し訳なく思った。いくらお笑い芸人といえども、それぞれが育ってきた境遇は異なる。これまで障害者と接してきた経験がなければ、いくら話芸のスキルが高くても、私のような“イロモノ”をいじることはそう容易いことではないはずだ。 それ以来、バラエティ番組に出演することに多少の戸惑いを抱えていた私だったが、スポーツライターをしていたことから、当時の人気番組『ジャンクスポーツ』から出演オファーをいただいた。これならバラエティ番組といえどもスポーツ色が強い番組だ。ありがたくオファーを承諾させていただいた。 ところが、ここで私の悪癖が顔を出す。真面目にスポーツの話だけをしていればいいものの、ついつい小ボケを挟みたくなる性分なのだ。そんなどうしようもない私に容赦ないツッコミを繰り出したのがメイン司会を務める浜田雅功さんだった。 「乙武、おまえアホか!」 「おい、いい加減にせえよ!!」 それらのツッコミは、バラエティ番組に出演することに躊躇を感じていた私の心を見事に解きほぐしてくれた。若松監督や野村監督と同じように、浜田さんのツッコミからも、差別の心はもちろん、区別や遠慮も感じられなかった。それが何より私には心地良かった。 年明けから議論を巻き起こしている“ブラックフェイス”問題。「差別する意図はなかったのだから問題ない派」と「国際的な視野に立てば完全にアウト派」が意見を戦わせている。今後、国内での番組づくりにおいては、こうした議論に注意深く耳を傾けていく必要があるだろう。 しかし、私が伝えたいのはそのことではない。今回、ブラックフェイスで槍玉に挙げられている浜田雅功という芸人は、つねに差別という問題と隣り合わせで生きてきた私にとって、差別も区別も、そして遠慮も感じることなく接することができた数少ないタレントの一人である、ということだ。 誰にでも分け隔てなく接してくれる浜田さんは、ブラックフェイスというより、本来は“フラットフェイス”なのだ……と、こんな書き方をしたら、今度は「アジア人差別だ」と怒られてしまうのだろうか。


「障害者」という個人は存在しない

前回書いたブログが「Huffington Post」に転載されました。それを受けて、あらためて。   障害者と接するにあたって困惑する人は多い。 「助けたらいいのか、放っておいたらいいのか、励ましたらいいのか、同情したらいいのか。障害者って、よくわからん」 困惑する気持ちも、わからなくはない。でも、よく考えてみれば「障害者」なんていう個人は存在しないのだから、そりゃ助けてほしい人も、放っておいてほしい人も、励ましてほしい人も、同情してほしい人もいるでしょうよ。 だからね、そもそも「障害者とはどのように接したらいいのか」という発想自体が間違っていると思うんです。いまあなたの目の前にいる相手が何を望んでいて、どう接してほしいのか。それを探ってほしいんです。健常者が相手だと、みんなそれを自然にやっているじゃないですか。   それに加えて。   「乙武さんがこう言ってるから、他の障害者もこうなのだろう」といった発想も、それこそ愚の骨頂なのでやめてほしい。メディアはもっと私以外の障害者の声を積極的に拾いに行くべきだと思う。ホント、いろんな考え方の人がいるから。長らく続いてきた“乙武一極集中”状態はちっとも健全ではないし、多様性がない。 今回、こうしてあもりさんの声がブログに載って多くのみなさんに届いたことは、本当に良かったと思う。同情してほしい障害者がいたって、いいじゃない。あもりさんにはこれからも発信を続けてほしいし、他の障害者の方にもガンガン発信してほしい。そして、みなさんには、ぜひともそうした声に耳を傾けてほしいな、と。 え、ちなみに乙武さんはどうしてほしいのかって? いままでは放っておいてほしかったけど、一昨年の“ある時期”からは、みなさんからの励ましの声が欲しくて仕方ありません(笑)。


あもりさん、ごめんね。

あもりさんという女性が書いた文章に出会った。 「キミは障害者で可哀想だね」と言われたい私のような障害者がいることも知ってほしい|文◎あもり(欠損バー『ブッシュドノエル』所属) 以前に紹介した欠損バー『ブッシュ・ド・ノエル』に勤務するその女性が書いたそのブログを、私は何度も読み返した。 「ひたすら障害を隠すことに必死だった自分にとっては、あまりにも眩しく、すぐに目をそらしました......」 「ただただ、テレビを見るたびにチラチラ視界に入る鬱陶しい存在」 とても、とても胸が苦しくなった。 私の存在が、彼女にこのようなしんどい思いをさせてきた。いや、彼女だけではない。あもりさんと同じような思いに苦しんできた方は、驚くほど多くいる。 「ほら、乙武さんだってあんなに頑張ってるんだから、あなたも頑張りなさい」 「あなたも乙武さんみたいに前向きに生きないと」 あもりさんの場合は本棚に『五体不満足』が置かれるという間接的なメッセージだったようだが、親御さんや周囲の方からこうした直接的な言葉をかけられたという人も少なくない。もちろん、かけた側だって悪気があったわけではない。むしろ、励まそうと口にした言葉だ。だが、かけられた側にしてみれば、そりゃしんどい。「私」と「誰か」は別人だ。 『五体不満足』で伝えたかったのは、「障害者といっても、じつに様々な人がいる」というメッセージ。出版当初、「なんだ、ちっとも伝わっていなかったのか」と肩を落としたのをよく覚えている。結局、健常者の方々からは「同じ障害者なのだから」とひとくくりにされてしまうのだな、と。 その一方で、この20年間、障害当事者やそのご家族から幾度となく耳にしてきた言葉がある。 「乙武さんは特別だから」 そうかもしれないなと思う反面、はたして本当にそうなのだろうかとも思う。 たしかに歴史を遡っても、私のように頻繁にメディアに登場し、発言の機会を与えられてきた障害者は稀有な存在かもしれない。そういう意味では、特異な存在と言われれば、そうなのかもしれない。しかし、なぜ私は“特別”になってしまったのだろう。 生まれたら、たまたま障害があった。育つ環境に、たまたま恵まれた。こんな「たまたま」が折り重なって、「乙武洋匡」ができあがった。負けず嫌いな性格もあって、ちょっぴり努力した場面もあったかもしれない。だが、私以上に努力してきた障害者なんて、それこそゴマンといるだろう。 大学時代、出版社から勧められるがまま書いた本が、歴史的なベストセラーに。最も驚いたのは、この私だ。気づいたら、「あの乙武さん」になっていた。ほかの障害者からは「あの人は特別だから」と言われるようになっていた。どうして私は“特別”になってしまったのだろう。じつは、いまだにピンと来ていない。 あもりさんはブログの終盤で、私の本を「今だからやっと読んでみようかなという気持ちになりました」と綴ってくださっている。その心境の変化は、もしかしたら彼女が欠損バーで働くようになったことで少しずつ自分のことを認められるようになってきたことが理由かもしれない。 しかし、彼女はその直前でこうも綴っている。 数年前にスキャンダルがあった時も、色んな衝撃もありましたが、私の中では「あぁ彼はただの人間だったんだ」と、スゥっと心にあったモヤモヤがなぜだか少し減りました。 彼女がずっと避けてきた『五体不満足』。このタイミングで読んでみようと思ってもらえたのは、もしかしたら「乙武さんは特別な存在なんかじゃなかった」と気づいたからかもしれない。そして、そんなふうに「なあんだ」とホッとしたり、心のモヤモヤが少し減ったりという心境になった障害者は、あもりさんだけではないのかもしれない。 そうだとしたら、それはそれで私もホッとする。心のモヤモヤが、少しだけ軽くなる。私は、私が障害者のなかの“特別“でいることに、どこか居心地の悪さを覚えていたから。   欠損バー、今年こそ行かなきゃなあ。でも、もし行ったら、きっと彼女たちを口説こうとしてしまうんだろうなあ。欠損ガールにフラれる欠損オヤジ。まあ、それも悪くないか。


なぜLGBTをネタにしてはいけないのか

駒崎弘樹さんが怒っています。 https://news.yahoo.co.jp/byline/komazakihiroki/20171010-00076753/ 普段から村本さんと交流がなく、彼の活動やツイートを追っていなければ、怒って当然の内容だと思います。同じ立場だったら、僕自身も激しい憤りを感じていたことと思います。 だけど、普段から村本さんの考えを知っていると、「待てよ」と引っかかるんです。おそらく、村本さんが言いたかったのは、「チビ」「デブ」「ハゲ」などが笑いのネタとして容認されているなか、「LGBTだけはNG」とすると、かえって差別になりかねないぞ、という警鐘だったのではないかなあと。彼の日頃の発言を見ていても、差別を助長するようなタイプの人でないことは一目瞭然ですし。 でも、今回のツイートだと、ちょっと真意が伝わりにくかったかもしれないなあ。村本さんがよく使う「おまえら」も、普段から彼のTwitterをフォローしていれば相手に対して愛情を込めた表現なのだと伝わるけど、やっぱり初対面の(というか面識もない)人にとっては、横柄で失礼に映ってしまう言い方だろうし。バカとか頻発するし。 でも、村本さんの指摘は本質を突いているとも思うんですよね。なぜ「チビ」「デブ」「ハゲ」ネタは容認されていて、LGBTネタはNGなのか。みんなで議論すべき点は、ここにあるような気がするんです。村本さんの考えは、「だからLGBTもネタにしていこうぜ」なのだと思うけど、僕はちょっと反対。やっぱり、「まだ早い」のではないかと思うんです。 “市民権”と言ったら語弊があるでしょうか。チビ・デブ・ハゲに関しては、恋愛においてマイナスに働いたりはするかもしれないけど、就職する上で不利に働いたり、親に勘当されたりする例って、まあ聞いたことないですよね。でも、LGBTはまだまだあるんですよ。生きていくのが窮屈なんですよ。あまりに不当な不利益が大きすぎる。だから、その境遇を隠して生きていかなくちゃならない。仮面をつけてなくちゃならない。 もっとLGBTについての正しい知識が広がって、誰にその事実を伝えても、「へえ、そうなんだ」と言ってもらえるような時代になったら、、就職でも不利にならない、親にも悲しまれたりしない、そんな時代が訪れたら、初めて「そろそろネタにしてもいいかもね」となるんじゃないかなあ。 いまは、残念だけど、まだそういう時代じゃない。もちろん、笑える当事者もいると思う。みずからネタにする当事者もいると思う。だけど、ネタとして受け入れられない当事者のほうが、いまは圧倒的に多いと思うんですよ。だから、僕としては公共の電波を使ってやるネタとしては、まだ早いのかなと。 “障害”についても同じことが言えると思うんですよね。まだネタとして受け入れられない人も多くいるから、障害ネタはやっぱり炎上する。だから、村本さんの言わんとするところは、僕自身もすごく理解できるんです。障害だって、LGBTだって、早くネタにできる時代が来てほしい。早く「ちょっとした違い」だと捉えてもらえる社会になってほしい。 でも、その前には、まだまだ超えなければならないハードルがある気がします。なので、村本さんには村本さんなりの切り口で、今後もそのハードルを超えていくお手伝いをしていただけたらな、と。そうしてみんながネタとして楽しめる社会になったら、思う存分、イジってください。このエロダルマを。


移住から2年半。日本人夫婦が語る「日本」と「オランダ」の違い。

日本の教育改革を進めていく上で大きなヒントを与えてくれるオランダのイエナプラン教育。オランダのバレンドレヒトという小さな町にある学校を訪れ、イエナプラン教育について視察した内容については、東洋経済オンラインに寄稿した。 案内してくださったのは、わが子に受けさせる教育のためにオランダへと移住した石原基良さん。石原さんはどんな思いで日本を離れることを決意し、移住から2年半経ったいま、子どもたちが成長する姿からどんなことを感じているのか。妻・靖子さんとともに、学校からすぐ近くにあるご自宅にて、じっくりお話をお伺いした。 ——本日はよろしくお願いします。それにしても、学校とご自宅は目と鼻の先にあるんですね。 基良「ちょうど物件を探しに来ていたときにここを見つけて、この学校に通わせるためにオランダへ来るのだから、もうここでいいなと」 ——まず、オランダ移住のきっかけからお聞かせください。 基良「もともとオランダありきではなかったんです。子どもにどんな教育を受けさせたらいいのかといろいろ調べているうちに、イエナプラン教育について紹介している本と出会って。それが2013年ですね。その夏に教師向けのイエナプラン教育の研修があるというので参加してみたんです。2週間くらいオランダに滞在して、この目で見て、やっぱりこれはいいなと」 ——すごい行動力ですね。もともとは教育関係のお仕事を? 基良「いえ、貸しスタジオをいくつか経営していました。収入としては恵まれていたほうだったと思うのですが、とにかく仕事上のお付き合いも多く、テレビ局からは深夜にまで電話がかかって来る。ちょっとこの生活はいつまでも続けていられないなという思いもあったんですよね」 ——そこに、お子さんの教育問題が重なった。 基良「日本では港区の青山に住んでいたのですが、とにかくお受験、お受験という風潮になじめなかったんです。最初はお受験も検討して、幼児教室も見学に行ったんですよ。そこでは子どもたちが鯉のぼりの絵を描いていたのですが、先生がある男の子に『◯◯君、違うよね。そこは青色で塗ることになっているよね』と声をかけていたんです。びっくりして、『それをやる子が合格するんですか?』と聞いたら、『そうです。それができる子は学級崩壊を起こしませんから』と。その時点で、お受験はないなと」 ——なるほど。たしかに、あまり個性が尊重されていない印象を受けますね。 基良「それなら地域の学校でいいじゃないかとも思っていたんですが、その学校には、どうやら “お受験の負け組”という空気が蔓延しているということがわかってきて、ここもしんどいなと。地域の学校に行ったところで、結局は“お受験”という枠組みから抜け出せていないような気がしたんです」 ——「青山を脱出したい」という思いが、なぜ一足飛びにオランダへ。 靖子「当時2歳だった娘がシュタイナー教育のプレ幼稚園に通っていたのですが、幼稚園はこのままでいいとして、小学校はどこに通わせたらいいんだろうと。日本じゅう探したけど、私たちの考えに合う学校がどこにも見つけられなかったんですよね」 ——「私たちの考えに合う学校」とは? 基良「自分のことになってしまいますけど、私は大学を卒業するまでスポーツばかりやっていて、たいして勉強してこなかったんです。でも、正直、小学校・中学校・高校で学ぶような内容なんて、大人になってから本気で勉強すれば2年間で習得できると思いますし、実際に社会人になってから学んだことのほうが、大学までの22年間で学んだことよりも多いように思うんです」 ——つまり、スイッチさえ入れば、知識の習得はいくらでも挽回できる、と。 基良「そうです。だから、学校教育では『learn(学ぶ)』よりも『How to learn(学び方)』のほうが大事になってくるのかなと。どのように学べばいいのかさえ身につけておけば、子どもはやりたいことを見つけたら、あとは勝手に学び、勝手に成長していく。親は、それを邪魔しないように見守っていればいいと思っているんです」 ——日本では、『How to learn』を身につけることのできる学校を見つけられなかった。 基良「日本の幼児教育は、国際的に見てもレベルが高いと思うんです。そこは、すごくいいなと。ところが、小・中・高になると、うーん……やっぱり受験というシステムに組み込まれてしまうからなのか、どうしても『先生が生徒に教える』という形に終始してしまうんですよね」 ——そんななか、イエナプラン教育のどんな点が魅力的に映ったのでしょう? 基良「まずは学校で子どもの芽を摘んでる感じがしなかった。子どもたちの邪魔をしていないというのかな。その意味で、娘が通っていたシュタイナー教育は良かったんですけど、ただ“自主性の尊重”はともすると放置主義につながってしまうんですよね。その点、イエナプラン教育では、子どもたちが自分で計画を立てて学習しているのが、すごくいいなと思って」 ——子どもたち一人ひとりが、自分に合わせたオリジナルの時間割を作成していたのには驚かされました。 基良「それならば自宅でe-learningしてればいいのかというと、やっぱり社会性という面で不安ですし、そういう意味でイエナプランはすごくバランスがいいというか、私たちが考える教育にカチッとはまったんですよね」 ——イエナプラン教育、日本では受けることができないんですか? 靖子「イエナプランに精通している先生が部分的に取り入れたりはしているのですが、なかなか学校全体で取り組んでいるところというのは見つけられなかったんです」 ※2019年、長野県佐久穂町で日本初の「イエナプラン教育」小学校の開校が予定されている。 ——自分たちが理想とする教育がオランダに見つかった。でも、日本を離れるということに抵抗はありませんでしたか? 基良「そこは、うーん……あまりなかったですね。VISAも出そうだったし、学校に問い合わせたら、『ぜひ来てください』という感じだったし、だったら行ってみるかと。本当はそういうの、子どもにはよくないんでしょうけれど、最悪、ダメだったら日本に戻ればいいじゃないかと」 靖子「私が心配だったのは、お金のことと子どもがなじめるか、の2点。でも、子どものことは行ってみないとわからないし、彼が『最初のうちは日本の会社を残して、リモートで仕事をする』と言っていたので、それなら最低限、食べていくだけは何とかなるなと。それなら行ってみようとなったんです」 ——こちらに移住して2年半、お子さんに最も身につけたかった『How to learn』、着実に身についていると感じますか? 靖子「感じますね。日本に一時帰国したとき、漢字ドリルのようなものを買って帰ったんですね。それを見つけた娘が、『やってみよう』とか言って、学校でアルファベットを勉強したときと同じように、まずは空で10回なぞってから実際に書いてみたりしてるんです。こちらからは特に何も言ってなかったのに」 ——まさに“理想の教育”に出会えた。 基良「いえ、私は“理想の教育”というものは存在しないと思っています。それは価値観によっても変わってきますし、時代によっても変わってくるでしょうし。親が『こういう力を身につけさせたい』と思うものは、それぞれ違っていいと思うんです。私たち夫婦は、少なくとも日本で行われている教育を子どもに受けさせたいとは思わなかったし、『ぜひこの教育を受けさせたい』と思えた学校が、たまたまオランダにあった。だから、そこに移り住んだというだけの話です」 ——実際にオランダで暮らし始めて、期待通り、または想像以上だったことは? 靖子「まずは何と言っても、娘が毎日楽しそうに学校へ通ってくれていること。もともとは引っ込み思案で、人前で意見を言うような子ではなかったのに、いまでは真っ先に手を挙げるようになった。それは、やっぱり安心感があるからだと思います」 基良「それと挙げられるのは、オランダ人が思っていた以上にフレンドリーだったこと。それはこの町の特色かもしれないけど、荷物が届いたときに留守だと、ここではとなりの家に預ける習慣があるんですよ。それにほら、あそこ見えますかね。となりの家との仕切りに穴が開いているんですけど、あそこから、おとなりさんとおしゃべりしたり、晩御飯を交換しあったり。とにかくそういう雰囲気ですから、子育てはしやすいですね。困ったときには、すぐに助けてくれる」 靖子「私たちがここに越してきたのは、まだ娘が入学できる年齢になる前のことだったんですけど、家の前を歩いていたら理事長が、『あら、こんど入学してくるモト(基良さん)のご家族ね。いまから学校を見ていく?』なんて誘ってくださって。実際に学校に行ってみたら、子どもたちが『へえ、もうすぐうちの学校に来るんだ』と集まってきて、入学前から遊び友達になってくれたんです。こういう雰囲気は想像以上でしたね」 ——では、逆に期待はずれだったこと、予想外に苦しんだことは? 基良「やっぱりオランダ語ですかね(苦笑)。いまとなれば、英語が簡単にさえ感じられます。まあ、日常会話なら何とかなるレベルにはなりましたけど、オランダで仕事しようと思うなら、もっとレベルアップしていかないとダメだなと感じています」 靖子「いまでは娘のほうが上手ですね。はじめのうちこそ、私たちは本で勉強したりしますから大人のほうが上なんですけど、学校に通い始めたらもう3ヶ月で抜かされました。いまは日本語よりもオランダ語のほうが先に出てきますね」 ——言語以外にも何かありますか? 基良「まあ、日本ほど便利な国はないですよ。部分最適という観点からは、世界でも日本が最も優れていると思います。ですから、こちらに来た当初は、ちょこちょこ不便さみたいなものは感じていました。でも、結局はどれも些細なことなんですよね。それに、日本の生産性の低さはその便利さから来ているのかなと」 ——どういうことですか? 基良「物事を80%前後まで仕上げることって、全体の2割程度の力でできてしまうと思うんですよ。でも、その80%のものを100%に、つまり完璧に仕上げようと思うと、残りの8割の力が必要になってくる。日本人って、つねに100%を目指すし、完璧を求められるからこそ疲弊してしまうんじゃないのかなと」 ——「だいたいの物事は80%で十分だ」と思えれば、不便な社会にはなるけれど、もっとゆとりのある生活が送れるのではないか、ということですね。 基良「あ、そうそう。とても大事なことを忘れていました。この2年半、一度も差別を受けたことがないんです。パリなんか旅行に行くだけで差別を感じますけど、こちらでは一度もない。まあ、アムステルダムやロッテルダムなどの大都市ではわからないですけど、少なくともこの町で暮らしていて差別を感じたことは一度もないですね。それどころか、困っていれば助けてくれる」 ——ここまでお聞きしていると、とてもオランダを気に入っていること、そしてお子さんたちもオランダ社会になじんでいる様子が伝わってきます。そこで気になってくるのが、日本に戻って来たときに苦労するのではないかということなのですが……。 基良「まず、私たちに関して言えば、日本に戻ることはないと思います。私は、『仕事をする場所』『生活する場所』『投資する場所』『余暇を過ごす場所』の4つをすべて切り離して考えているんですね。そういう意味で、今後も日本を対象にした仕事はしていくと思いますが、日本に戻ろうとは思っていません。2〜3年後にはオランダ国籍の取得を目指すことになると思います」 ——お子さんたちについては? 基良「もちろん、それは子どもたちが将来的に決めることですが、おそらく日本に戻ることは難しいのではないでしょうか。正直、そこは捨てています。やっぱり、こちらの言語を話し、こちらの文化で育ち、こちらで教育を受けているわけですから、日本に帰るなら『何のために来たんだ』となってしまう」 ——親として、日本人であるわが子から「日本で暮らす」という選択肢を実質的に奪ってしまうことに抵抗はありませんか? 基良「うーん……ここがオランダだから、ないのかもしれない。だって、そんな人はたくさんいますから。仕事を求めてヨーロッパ中からイギリスやオランダに移住してきますし、逆にオランダ人もアジアやアフリカにばんばん出て行ってます。日本人くらいじゃないですか、そこまで自分の国に固執するのは」 ——それは日本でしか暮らしたことのない日本人にとっては、理解しがたい感覚かもしれませんね。 基良「そもそも、ヨーロッパでは国民国家としての歴史がまだ100年前後しかないなんていう国はいくらでもありますし、日本だって明治維新以前とそれ以降では別の国だったという捉え方もできますよね。江戸時代なんて、薩摩の人々と東北の人々がたがいに同じ国の住人であるという認識があったのかどうか。いまだって、沖縄の人々がどれだけ“日本人”という部分にアイデンティティを抱いているかは怪しいところがあると思いますよ」 ——日本人が自分の国にこだわるのは、言語の問題もあるのでしょうか? 基良「私たちもオランダ語では苦戦していますからね(笑)。そういう意味では、私たちの選択肢としては『オランダか日本か』ではなく、『いま住んでいるような“オランダローカル”かロッテルダムのような大都市か』という選択肢になってくるんだと思います。というのも、いま住んでいるような地域で仕事をしていこうと思うと、どうしてもオランダ語が話せないと厳しいのですが、ロッテルダムのような大都市だとみんな英語を話しますし、むしろ移民が多いのでオランダ語を話せない人もいるくらい」 靖子「以前にロッテルダムへ行ったときも、ホテルのフロントで慣れないオランダ語で話しかけたら、『ごめんなさい、私は移民なのでオランダ語は話せないの』って。そういう人は、たくさんいるみたいですよ」 ——国籍の取得を考えるほど気に入ったオランダという国。その一番の魅力は、どこにあるのでしょうか? 基良「さっきもお話ししたように、とにかく人々がフレンドリーであたたかい。困っていると、すぐに助けてくれる。それなのに、距離感が適度というか、他人の生活や価値観には絶対に口出しをしないんですね。あくまで人は人、という感じで。そういう意味で、オランダは“自由と寛容の国”だなと感じます」 ——どんどん社会が“不寛容化”してきている日本から来ると、ますますそのように感じられるのかもしれませんね。 基良「ははは。たしかに、そうかもしれません」 ——石原さんご夫妻のように、いまの日本の教育には不満を持っているけれど、思いきって海外に出る勇気はない、という方は多くいらっしゃると思います。そうした方々に、何かアドバイスがあれば。 靖子「漠然とした不安を抱いている方は、まずは具体的に調べてみるといいと思うんです。やっぱり、最も不安なことはお金だと思うんですね。じゃあ、家を買うならいくらかかるのか。生活費はどうなのか。学費はどうか。それらは日本と比べて、どれくらいコストがかかるのか。そうしたことを調べたりせず、『まあ、行きたいけど無理だよね』と諦めてしまっているなら、すごくもったいないなと」 基良「私は事業に失敗して、一時は2億円の借金を背負っていたこともあるんですけど、それってどれくらいのリスクなんですかね。日本で自己破産すると、クレジットカードが使用できなくなり、家や車のローンが組めなくなる。でもね、“人生で想定できる最大のリスク”が、クレジットカードが使えない、ローンが組めない不便さですよ。それなのに、『起業はリスクがある』って何をビビっているんだと。海外に移住するなんていうことも、きちんと調べたら、たいしたリスクではないことがわかると思います」 日本人の誰もが辿れる思考回路ではないかもしれない。しかし、石原ご夫妻のお話に海外へと飛び出す勇気をもらった人もいるかもしれないし、日本で何かにチャレンジしていく上で多くのヒントをもらった人もいるかもしれない。 インタビューでは子育てや教育についてのお話をお聞きするつもりでいたが、いつしかお二人の語る生き方や国家観に、私自身の価値観をぐらぐらと揺さぶられていた。そして、オランダという国とその教育について、もっと知りたいと思うようになっていた。 石原 基良 1984年5月5日生まれ 慶應義塾大学経済学部卒。外資系消費財メーカーに従事した後、起業。2009年より撮影スタジオ事業を立ち上げ、これまでに国内外に18スタジオを運営する。家族でオランダに移住し、2013年にオランダで貿易会社「Flatcraft Holland」を設立・代表就任。2014年7月フラット・クラフト日本法人を設立し、同時に取締役に就任。オランダ在住。 石原 靖子 1976年1月8日生まれ 京都薬科大学薬学部卒。化学薬品メーカーに勤務した後、薬剤師として複数の薬局に勤務。漢方、鍼灸、ドイツの代替医療などを学び、新たな医療法を実践。現在はオランダで2児の母親として子育てに奮闘中。趣味はお菓子作り。


年末のご挨拶

今年も残すところ、あと数時間。   2016年は、私にとって決して忘れることのできない一年となりました。多くの方の期待を裏切り、失望させてしまったことは私の不徳の致すところであり、痛恨の極みです。   みずから撒いた種とはいえ、仕事を失い、家族を失い、社会的信用を失い、これまで築いてきたすべてを失いました。   しばらくは、そう思い込んでいました。しかし、それは間違いであることに気付かされました。   この一年、本当に多くの方が親身になってあたたかな言葉をかけてくださり、励まし、支えてくださいました。再起に向けてのアドバイスやチャンスをくださいました。そう、すべてを失ったと思い込んでいた私ですが、ありがたいことに「人」という財産だけは失わずに済んだのです。   あれだけの愚行を犯した私ですから、多くの方が離れていくことを覚悟していました。ところが、驚くほど多くの方から「もう一度立ち上がれ」「いつまでも応援している」という心のこもったメッセージを頂戴し、幾度となく涙を流しました。   こんなにも周囲の方々に感謝の念を抱いた年はありません。あらためて多くの方に支えられて生きていることを実感しました。不遜な私のことですから、こんなことでもなければ、そうした当たり前の事実さえ忘れたまま、人生の後半戦を迎えてしまっていたことと思います。   今回の失敗をどのように捉えるかは、今後の私の生き方次第です。ここで得た教訓をどれだけ今後の人生に生かすことができるのか。まさに、そこを問われているのだと思います。失った信頼を回復することは決して簡単なことではありませんが、後年になって、「あのときの失敗は意味のあるものだった」と振り返ることができるよう歩んでいきます。   2017年。出直しの年となる最初のお仕事は、今年一年、あたたかなメッセージを送り続けてくださった『ワイドナショー元旦SP』(フジテレビ系、午前10~12時)への出演です。こんな私に与えてくださったチャンスに心から感謝しつつ、一歩一歩、前に進んでいけたらと思っております。   みなさん、今年一年、本当にお世話になりました。たいへんご迷惑をおかけしました。 どうぞ、良いお年をお迎えください。   2016年12月31日 乙武洋匡


『大学院に進学します』

 日頃からお世話になっているみなさんに、大切なお知らせがあります。   先般、政策研究大学院大学(以下、GRIPS)「平成27年度修士課程国内プログラム」の公共政策プログラムに応募し、第一次試験(書類選考)、第二次試験(論文、英語、面接)を受験いたしましたが、本日2月24日に合格発表があり、晴れて合格することができたことをここにお知らせいたします。   この十年間、私は主に教育分野に情熱を注いで活動してきました。なかでも、公立小学校の教諭として勤務した3年間は、私にかけがえのない経験を与えてくれました。また、現在は東京都教育委員として、教育施策について熟考する機会を得ています。   しかし、この社会のなかで、「教育」とは独立して存在するものではありません。貧困世帯の子どもたちを支援するには福祉的なアプローチも必要になってくるでしょうし、そのためには行政の予算も必要になってきます。もちろん、NPOなどによる支援も欠かせません。高等教育や大学改革を考える上では、国際情勢や雇用問題とも正面から向き合わなくてはなりません。教育は、様々な社会的課題と複雑に絡み合って存在している――。ここ数年、そうした事実をあらためて実感するとともに、自分自身がまだまだ未熟であり、社会問題全般に対しての勉強がまだまだ足りていないことを痛感させられていました。   どこかで、しっかり学びの機会を得なければ――。   そうした思いでいたところ、昨年秋頃にGRIPSの存在を知りました。しかし、GRIPSは通常の大学院とは異なり、学生の大半が霞ヶ関の官僚や各地方自治体の幹部候補生という特殊性のため、私にとってはかなりの難関となることが予想されました。しかし、「ここで学びたい」との思いが日に日に強くなり、昨年末より準備を進めてきました。   このたび、縁あって学びの機会をいただけたことに深く感謝し、今年4月より一年間、しっかりと学んでいきたいと思います。また、今回のチャレンジを後押ししてくれた家族や友人、そして事務所のスタッフにも心から感謝しています。   いまは、4月から始まる新生活にワクワクするとともに、合格させていただいた責任に身の引き締まる思いでおります。いつも支えてくださるみなさんにも、心より御礼申し上げます。   2015年2月24日 乙武洋匡  


「香港デモ 現地の声を聞く」

【香港デモ】昨日は、中環(セントラル)、旺角(モンコック)、金鐘(アドミラルティ)の3箇所を訪れ、デモについての街頭インタビューを行いました。年齢、性別、出身――立場が違えば、デモに対する態度も様々。現地の生の声をお聞きください。 [中環……デモの行われていないショッピングエリア] 「若者たちを支持します。政府のやり方はおかしい。」(50代・女性) 「彼らの考えには賛同するけれど、自分はMRT(地下鉄)に勤務していることもあって、デモという手法には賛成できない。ただ、できる範囲でのサポートはしていきたいと思う」(20代・男性)… 「デモには賛同できない。学生たちは、ギャングにそそのかされているだけなんだ」(90代・男性) 「インドのムンバイから9年前に移住してきました。ガンジーが生きていたら、きっと暴力に屈せず主張を続ける彼らのことを誇りに思ったでしょう」(40代・女性) [旺角……デモ第2の基点。金曜から、反対派による暴力行為が起こる] 「怖い。とても怖い。でも、こうしてみんなが戦っているのに、自分だけ逃げ出すことはできない。でも、この先、どうなるのか…」(20代・女性・学生) 「暴力は、たしかに怖い。でも、もう後戻りすることはできない。民主的な選挙を勝ち取るため、ここから後戻りすることはできないんだ」(20代・男性・学生) 「デモは許すことができない。経済はどうなってしまうんだ。学生たちは、いますぐデモをやめるべきだ」(50代・男性・飲食店店長) [金鐘……デモ最大の拠点。数十万人の学生が道路を占拠] 「ニュースを見て、居ても立ってもいられなくなってここへ来た。自分の勤務する会社にはないが、他社では『デモに行くので』と申請すれば、休暇をくれるところもあるらしい」(30代・女性・社会人) 「我々は中国人ではなく、香港人なんです。こうして香港の人々が民主化のために立ち上がり、暴力に臆せず戦っているということを、ぜひ世界に伝えてください」(20代・男性・学生) 日本には、いったいどれほどのことが伝わっているのでしょうか――。


「香港デモを訪れて」

香港デモ。普通選挙を求める学生側と、中国政府を支持する親中派が衝突、「市民の対立が深刻化」と報道されているが、それが事実かは疑わしい。 デモ隊に対して暴力を振るう人々を、警察が傍観する姿も目撃されている。行政も、それを黙認している。学生側は、警察・行政のこうした態度に疑問を抱き、開きかけていた交渉の扉を再び閉じてしまった。これに対して、行政長官は6日にも強制排除することを示唆した。こうした状況から、私は「市民の対立」と表現することにためらいがある。 学生側は、当初から一貫して平和的な態度を崩していない。警察の催涙弾に対して、雨傘を盾に対抗してきたことから、いつしか“雨傘革命”と呼ばれるようになった。占拠地区には、いくつもの雨傘がシンボルのように飾られている。 この“雨傘革命”がどんな結末を迎えるのか。現時点では、まったくわからない。しかし、暴力による解決でないことを心から望んでいる。“第二の天安門事件”となることだけは避けなければならない。 今日5日は、日曜日。学生たちの数は、ますます膨れ上がることが予想される。恐れず、怯まず、現場を訪れたい。  


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