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なぜLGBTをネタにしてはいけないのか

駒崎弘樹さんが怒っています。 https://news.yahoo.co.jp/byline/komazakihiroki/20171010-00076753/ 普段から村本さんと交流がなく、彼の活動やツイートを追っていなければ、怒って当然の内容だと思います。同じ立場だったら、僕自身も激しい憤りを感じていたことと思います。 だけど、普段から村本さんの考えを知っていると、「待てよ」と引っかかるんです。おそらく、村本さんが言いたかったのは、「チビ」「デブ」「ハゲ」などが笑いのネタとして容認されているなか、「LGBTだけはNG」とすると、かえって差別になりかねないぞ、という警鐘だったのではないかなあと。彼の日頃の発言を見ていても、差別を助長するようなタイプの人でないことは一目瞭然ですし。 でも、今回のツイートだと、ちょっと真意が伝わりにくかったかもしれないなあ。村本さんがよく使う「おまえら」も、普段から彼のTwitterをフォローしていれば相手に対して愛情を込めた表現なのだと伝わるけど、やっぱり初対面の(というか面識もない)人にとっては、横柄で失礼に映ってしまう言い方だろうし。バカとか頻発するし。 でも、村本さんの指摘は本質を突いているとも思うんですよね。なぜ「チビ」「デブ」「ハゲ」ネタは容認されていて、LGBTネタはNGなのか。みんなで議論すべき点は、ここにあるような気がするんです。村本さんの考えは、「だからLGBTもネタにしていこうぜ」なのだと思うけど、僕はちょっと反対。やっぱり、「まだ早い」のではないかと思うんです。 “市民権”と言ったら語弊があるでしょうか。チビ・デブ・ハゲに関しては、恋愛においてマイナスに働いたりはするかもしれないけど、就職する上で不利に働いたり、親に勘当されたりする例って、まあ聞いたことないですよね。でも、LGBTはまだまだあるんですよ。生きていくのが窮屈なんですよ。あまりに不当な不利益が大きすぎる。だから、その境遇を隠して生きていかなくちゃならない。仮面をつけてなくちゃならない。 もっとLGBTについての正しい知識が広がって、誰にその事実を伝えても、「へえ、そうなんだ」と言ってもらえるような時代になったら、、就職でも不利にならない、親にも悲しまれたりしない、そんな時代が訪れたら、初めて「そろそろネタにしてもいいかもね」となるんじゃないかなあ。 いまは、残念だけど、まだそういう時代じゃない。もちろん、笑える当事者もいると思う。みずからネタにする当事者もいると思う。だけど、ネタとして受け入れられない当事者のほうが、いまは圧倒的に多いと思うんですよ。だから、僕としては公共の電波を使ってやるネタとしては、まだ早いのかなと。 “障害”についても同じことが言えると思うんですよね。まだネタとして受け入れられない人も多くいるから、障害ネタはやっぱり炎上する。だから、村本さんの言わんとするところは、僕自身もすごく理解できるんです。障害だって、LGBTだって、早くネタにできる時代が来てほしい。早く「ちょっとした違い」だと捉えてもらえる社会になってほしい。 でも、その前には、まだまだ超えなければならないハードルがある気がします。なので、村本さんには村本さんなりの切り口で、今後もそのハードルを超えていくお手伝いをしていただけたらな、と。そうしてみんながネタとして楽しめる社会になったら、思う存分、イジってください。このエロダルマを。


移住から2年半。日本人夫婦が語る「日本」と「オランダ」の違い。

日本の教育改革を進めていく上で大きなヒントを与えてくれるオランダのイエナプラン教育。オランダのバレンドレヒトという小さな町にある学校を訪れ、イエナプラン教育について視察した内容については、東洋経済オンラインに寄稿した。 案内してくださったのは、わが子に受けさせる教育のためにオランダへと移住した石原基良さん。石原さんはどんな思いで日本を離れることを決意し、移住から2年半経ったいま、子どもたちが成長する姿からどんなことを感じているのか。妻・靖子さんとともに、学校からすぐ近くにあるご自宅にて、じっくりお話をお伺いした。 ——本日はよろしくお願いします。それにしても、学校とご自宅は目と鼻の先にあるんですね。 基良「ちょうど物件を探しに来ていたときにここを見つけて、この学校に通わせるためにオランダへ来るのだから、もうここでいいなと」 ——まず、オランダ移住のきっかけからお聞かせください。 基良「もともとオランダありきではなかったんです。子どもにどんな教育を受けさせたらいいのかといろいろ調べているうちに、イエナプラン教育について紹介している本と出会って。それが2013年ですね。その夏に教師向けのイエナプラン教育の研修があるというので参加してみたんです。2週間くらいオランダに滞在して、この目で見て、やっぱりこれはいいなと」 ——すごい行動力ですね。もともとは教育関係のお仕事を? 基良「いえ、貸しスタジオをいくつか経営していました。収入としては恵まれていたほうだったと思うのですが、とにかく仕事上のお付き合いも多く、テレビ局からは深夜にまで電話がかかって来る。ちょっとこの生活はいつまでも続けていられないなという思いもあったんですよね」 ——そこに、お子さんの教育問題が重なった。 基良「日本では港区の青山に住んでいたのですが、とにかくお受験、お受験という風潮になじめなかったんです。最初はお受験も検討して、幼児教室も見学に行ったんですよ。そこでは子どもたちが鯉のぼりの絵を描いていたのですが、先生がある男の子に『◯◯君、違うよね。そこは青色で塗ることになっているよね』と声をかけていたんです。びっくりして、『それをやる子が合格するんですか?』と聞いたら、『そうです。それができる子は学級崩壊を起こしませんから』と。その時点で、お受験はないなと」 ——なるほど。たしかに、あまり個性が尊重されていない印象を受けますね。 基良「それなら地域の学校でいいじゃないかとも思っていたんですが、その学校には、どうやら “お受験の負け組”という空気が蔓延しているということがわかってきて、ここもしんどいなと。地域の学校に行ったところで、結局は“お受験”という枠組みから抜け出せていないような気がしたんです」 ——「青山を脱出したい」という思いが、なぜ一足飛びにオランダへ。 靖子「当時2歳だった娘がシュタイナー教育のプレ幼稚園に通っていたのですが、幼稚園はこのままでいいとして、小学校はどこに通わせたらいいんだろうと。日本じゅう探したけど、私たちの考えに合う学校がどこにも見つけられなかったんですよね」 ——「私たちの考えに合う学校」とは? 基良「自分のことになってしまいますけど、私は大学を卒業するまでスポーツばかりやっていて、たいして勉強してこなかったんです。でも、正直、小学校・中学校・高校で学ぶような内容なんて、大人になってから本気で勉強すれば2年間で習得できると思いますし、実際に社会人になってから学んだことのほうが、大学までの22年間で学んだことよりも多いように思うんです」 ——つまり、スイッチさえ入れば、知識の習得はいくらでも挽回できる、と。 基良「そうです。だから、学校教育では『learn(学ぶ)』よりも『How to learn(学び方)』のほうが大事になってくるのかなと。どのように学べばいいのかさえ身につけておけば、子どもはやりたいことを見つけたら、あとは勝手に学び、勝手に成長していく。親は、それを邪魔しないように見守っていればいいと思っているんです」 ——日本では、『How to learn』を身につけることのできる学校を見つけられなかった。 基良「日本の幼児教育は、国際的に見てもレベルが高いと思うんです。そこは、すごくいいなと。ところが、小・中・高になると、うーん……やっぱり受験というシステムに組み込まれてしまうからなのか、どうしても『先生が生徒に教える』という形に終始してしまうんですよね」 ——そんななか、イエナプラン教育のどんな点が魅力的に映ったのでしょう? 基良「まずは学校で子どもの芽を摘んでる感じがしなかった。子どもたちの邪魔をしていないというのかな。その意味で、娘が通っていたシュタイナー教育は良かったんですけど、ただ“自主性の尊重”はともすると放置主義につながってしまうんですよね。その点、イエナプラン教育では、子どもたちが自分で計画を立てて学習しているのが、すごくいいなと思って」 ——子どもたち一人ひとりが、自分に合わせたオリジナルの時間割を作成していたのには驚かされました。 基良「それならば自宅でe-learningしてればいいのかというと、やっぱり社会性という面で不安ですし、そういう意味でイエナプランはすごくバランスがいいというか、私たちが考える教育にカチッとはまったんですよね」 ——イエナプラン教育、日本では受けることができないんですか? 靖子「イエナプランに精通している先生が部分的に取り入れたりはしているのですが、なかなか学校全体で取り組んでいるところというのは見つけられなかったんです」 ※2019年、長野県佐久穂町で日本初の「イエナプラン教育」小学校の開校が予定されている。 ——自分たちが理想とする教育がオランダに見つかった。でも、日本を離れるということに抵抗はありませんでしたか? 基良「そこは、うーん……あまりなかったですね。VISAも出そうだったし、学校に問い合わせたら、『ぜひ来てください』という感じだったし、だったら行ってみるかと。本当はそういうの、子どもにはよくないんでしょうけれど、最悪、ダメだったら日本に戻ればいいじゃないかと」 靖子「私が心配だったのは、お金のことと子どもがなじめるか、の2点。でも、子どものことは行ってみないとわからないし、彼が『最初のうちは日本の会社を残して、リモートで仕事をする』と言っていたので、それなら最低限、食べていくだけは何とかなるなと。それなら行ってみようとなったんです」 ——こちらに移住して2年半、お子さんに最も身につけたかった『How to learn』、着実に身についていると感じますか? 靖子「感じますね。日本に一時帰国したとき、漢字ドリルのようなものを買って帰ったんですね。それを見つけた娘が、『やってみよう』とか言って、学校でアルファベットを勉強したときと同じように、まずは空で10回なぞってから実際に書いてみたりしてるんです。こちらからは特に何も言ってなかったのに」 ——まさに“理想の教育”に出会えた。 基良「いえ、私は“理想の教育”というものは存在しないと思っています。それは価値観によっても変わってきますし、時代によっても変わってくるでしょうし。親が『こういう力を身につけさせたい』と思うものは、それぞれ違っていいと思うんです。私たち夫婦は、少なくとも日本で行われている教育を子どもに受けさせたいとは思わなかったし、『ぜひこの教育を受けさせたい』と思えた学校が、たまたまオランダにあった。だから、そこに移り住んだというだけの話です」 ——実際にオランダで暮らし始めて、期待通り、または想像以上だったことは? 靖子「まずは何と言っても、娘が毎日楽しそうに学校へ通ってくれていること。もともとは引っ込み思案で、人前で意見を言うような子ではなかったのに、いまでは真っ先に手を挙げるようになった。それは、やっぱり安心感があるからだと思います」 基良「それと挙げられるのは、オランダ人が思っていた以上にフレンドリーだったこと。それはこの町の特色かもしれないけど、荷物が届いたときに留守だと、ここではとなりの家に預ける習慣があるんですよ。それにほら、あそこ見えますかね。となりの家との仕切りに穴が開いているんですけど、あそこから、おとなりさんとおしゃべりしたり、晩御飯を交換しあったり。とにかくそういう雰囲気ですから、子育てはしやすいですね。困ったときには、すぐに助けてくれる」 靖子「私たちがここに越してきたのは、まだ娘が入学できる年齢になる前のことだったんですけど、家の前を歩いていたら理事長が、『あら、こんど入学してくるモト(基良さん)のご家族ね。いまから学校を見ていく?』なんて誘ってくださって。実際に学校に行ってみたら、子どもたちが『へえ、もうすぐうちの学校に来るんだ』と集まってきて、入学前から遊び友達になってくれたんです。こういう雰囲気は想像以上でしたね」 ——では、逆に期待はずれだったこと、予想外に苦しんだことは? 基良「やっぱりオランダ語ですかね(苦笑)。いまとなれば、英語が簡単にさえ感じられます。まあ、日常会話なら何とかなるレベルにはなりましたけど、オランダで仕事しようと思うなら、もっとレベルアップしていかないとダメだなと感じています」 靖子「いまでは娘のほうが上手ですね。はじめのうちこそ、私たちは本で勉強したりしますから大人のほうが上なんですけど、学校に通い始めたらもう3ヶ月で抜かされました。いまは日本語よりもオランダ語のほうが先に出てきますね」 ——言語以外にも何かありますか? 基良「まあ、日本ほど便利な国はないですよ。部分最適という観点からは、世界でも日本が最も優れていると思います。ですから、こちらに来た当初は、ちょこちょこ不便さみたいなものは感じていました。でも、結局はどれも些細なことなんですよね。それに、日本の生産性の低さはその便利さから来ているのかなと」 ——どういうことですか? 基良「物事を80%前後まで仕上げることって、全体の2割程度の力でできてしまうと思うんですよ。でも、その80%のものを100%に、つまり完璧に仕上げようと思うと、残りの8割の力が必要になってくる。日本人って、つねに100%を目指すし、完璧を求められるからこそ疲弊してしまうんじゃないのかなと」 ——「だいたいの物事は80%で十分だ」と思えれば、不便な社会にはなるけれど、もっとゆとりのある生活が送れるのではないか、ということですね。 基良「あ、そうそう。とても大事なことを忘れていました。この2年半、一度も差別を受けたことがないんです。パリなんか旅行に行くだけで差別を感じますけど、こちらでは一度もない。まあ、アムステルダムやロッテルダムなどの大都市ではわからないですけど、少なくともこの町で暮らしていて差別を感じたことは一度もないですね。それどころか、困っていれば助けてくれる」 ——ここまでお聞きしていると、とてもオランダを気に入っていること、そしてお子さんたちもオランダ社会になじんでいる様子が伝わってきます。そこで気になってくるのが、日本に戻って来たときに苦労するのではないかということなのですが……。 基良「まず、私たちに関して言えば、日本に戻ることはないと思います。私は、『仕事をする場所』『生活する場所』『投資する場所』『余暇を過ごす場所』の4つをすべて切り離して考えているんですね。そういう意味で、今後も日本を対象にした仕事はしていくと思いますが、日本に戻ろうとは思っていません。2〜3年後にはオランダ国籍の取得を目指すことになると思います」 ——お子さんたちについては? 基良「もちろん、それは子どもたちが将来的に決めることですが、おそらく日本に戻ることは難しいのではないでしょうか。正直、そこは捨てています。やっぱり、こちらの言語を話し、こちらの文化で育ち、こちらで教育を受けているわけですから、日本に帰るなら『何のために来たんだ』となってしまう」 ——親として、日本人であるわが子から「日本で暮らす」という選択肢を実質的に奪ってしまうことに抵抗はありませんか? 基良「うーん……ここがオランダだから、ないのかもしれない。だって、そんな人はたくさんいますから。仕事を求めてヨーロッパ中からイギリスやオランダに移住してきますし、逆にオランダ人もアジアやアフリカにばんばん出て行ってます。日本人くらいじゃないですか、そこまで自分の国に固執するのは」 ——それは日本でしか暮らしたことのない日本人にとっては、理解しがたい感覚かもしれませんね。 基良「そもそも、ヨーロッパでは国民国家としての歴史がまだ100年前後しかないなんていう国はいくらでもありますし、日本だって明治維新以前とそれ以降では別の国だったという捉え方もできますよね。江戸時代なんて、薩摩の人々と東北の人々がたがいに同じ国の住人であるという認識があったのかどうか。いまだって、沖縄の人々がどれだけ“日本人”という部分にアイデンティティを抱いているかは怪しいところがあると思いますよ」 ——日本人が自分の国にこだわるのは、言語の問題もあるのでしょうか? 基良「私たちもオランダ語では苦戦していますからね(笑)。そういう意味では、私たちの選択肢としては『オランダか日本か』ではなく、『いま住んでいるような“オランダローカル”かロッテルダムのような大都市か』という選択肢になってくるんだと思います。というのも、いま住んでいるような地域で仕事をしていこうと思うと、どうしてもオランダ語が話せないと厳しいのですが、ロッテルダムのような大都市だとみんな英語を話しますし、むしろ移民が多いのでオランダ語を話せない人もいるくらい」 靖子「以前にロッテルダムへ行ったときも、ホテルのフロントで慣れないオランダ語で話しかけたら、『ごめんなさい、私は移民なのでオランダ語は話せないの』って。そういう人は、たくさんいるみたいですよ」 ——国籍の取得を考えるほど気に入ったオランダという国。その一番の魅力は、どこにあるのでしょうか? 基良「さっきもお話ししたように、とにかく人々がフレンドリーであたたかい。困っていると、すぐに助けてくれる。それなのに、距離感が適度というか、他人の生活や価値観には絶対に口出しをしないんですね。あくまで人は人、という感じで。そういう意味で、オランダは“自由と寛容の国”だなと感じます」 ——どんどん社会が“不寛容化”してきている日本から来ると、ますますそのように感じられるのかもしれませんね。 基良「ははは。たしかに、そうかもしれません」 ——石原さんご夫妻のように、いまの日本の教育には不満を持っているけれど、思いきって海外に出る勇気はない、という方は多くいらっしゃると思います。そうした方々に、何かアドバイスがあれば。 靖子「漠然とした不安を抱いている方は、まずは具体的に調べてみるといいと思うんです。やっぱり、最も不安なことはお金だと思うんですね。じゃあ、家を買うならいくらかかるのか。生活費はどうなのか。学費はどうか。それらは日本と比べて、どれくらいコストがかかるのか。そうしたことを調べたりせず、『まあ、行きたいけど無理だよね』と諦めてしまっているなら、すごくもったいないなと」 基良「私は事業に失敗して、一時は2億円の借金を背負っていたこともあるんですけど、それってどれくらいのリスクなんですかね。日本で自己破産すると、クレジットカードが使用できなくなり、家や車のローンが組めなくなる。でもね、“人生で想定できる最大のリスク”が、クレジットカードが使えない、ローンが組めない不便さですよ。それなのに、『起業はリスクがある』って何をビビっているんだと。海外に移住するなんていうことも、きちんと調べたら、たいしたリスクではないことがわかると思います」 日本人の誰もが辿れる思考回路ではないかもしれない。しかし、石原ご夫妻のお話に海外へと飛び出す勇気をもらった人もいるかもしれないし、日本で何かにチャレンジしていく上で多くのヒントをもらった人もいるかもしれない。 インタビューでは子育てや教育についてのお話をお聞きするつもりでいたが、いつしかお二人の語る生き方や国家観に、私自身の価値観をぐらぐらと揺さぶられていた。そして、オランダという国とその教育について、もっと知りたいと思うようになっていた。 石原 基良 1984年5月5日生まれ 慶應義塾大学経済学部卒。外資系消費財メーカーに従事した後、起業。2009年より撮影スタジオ事業を立ち上げ、これまでに国内外に18スタジオを運営する。家族でオランダに移住し、2013年にオランダで貿易会社「Flatcraft Holland」を設立・代表就任。2014年7月フラット・クラフト日本法人を設立し、同時に取締役に就任。オランダ在住。 石原 靖子 1976年1月8日生まれ 京都薬科大学薬学部卒。化学薬品メーカーに勤務した後、薬剤師として複数の薬局に勤務。漢方、鍼灸、ドイツの代替医療などを学び、新たな医療法を実践。現在はオランダで2児の母親として子育てに奮闘中。趣味はお菓子作り。


年末のご挨拶

今年も残すところ、あと数時間。   2016年は、私にとって決して忘れることのできない一年となりました。多くの方の期待を裏切り、失望させてしまったことは私の不徳の致すところであり、痛恨の極みです。   みずから撒いた種とはいえ、仕事を失い、家族を失い、社会的信用を失い、これまで築いてきたすべてを失いました。   しばらくは、そう思い込んでいました。しかし、それは間違いであることに気付かされました。   この一年、本当に多くの方が親身になってあたたかな言葉をかけてくださり、励まし、支えてくださいました。再起に向けてのアドバイスやチャンスをくださいました。そう、すべてを失ったと思い込んでいた私ですが、ありがたいことに「人」という財産だけは失わずに済んだのです。   あれだけの愚行を犯した私ですから、多くの方が離れていくことを覚悟していました。ところが、驚くほど多くの方から「もう一度立ち上がれ」「いつまでも応援している」という心のこもったメッセージを頂戴し、幾度となく涙を流しました。   こんなにも周囲の方々に感謝の念を抱いた年はありません。あらためて多くの方に支えられて生きていることを実感しました。不遜な私のことですから、こんなことでもなければ、そうした当たり前の事実さえ忘れたまま、人生の後半戦を迎えてしまっていたことと思います。   今回の失敗をどのように捉えるかは、今後の私の生き方次第です。ここで得た教訓をどれだけ今後の人生に生かすことができるのか。まさに、そこを問われているのだと思います。失った信頼を回復することは決して簡単なことではありませんが、後年になって、「あのときの失敗は意味のあるものだった」と振り返ることができるよう歩んでいきます。   2017年。出直しの年となる最初のお仕事は、今年一年、あたたかなメッセージを送り続けてくださった『ワイドナショー元旦SP』(フジテレビ系、午前10~12時)への出演です。こんな私に与えてくださったチャンスに心から感謝しつつ、一歩一歩、前に進んでいけたらと思っております。   みなさん、今年一年、本当にお世話になりました。たいへんご迷惑をおかけしました。 どうぞ、良いお年をお迎えください。   2016年12月31日 乙武洋匡


『大学院に進学します』

 日頃からお世話になっているみなさんに、大切なお知らせがあります。   先般、政策研究大学院大学(以下、GRIPS)「平成27年度修士課程国内プログラム」の公共政策プログラムに応募し、第一次試験(書類選考)、第二次試験(論文、英語、面接)を受験いたしましたが、本日2月24日に合格発表があり、晴れて合格することができたことをここにお知らせいたします。   この十年間、私は主に教育分野に情熱を注いで活動してきました。なかでも、公立小学校の教諭として勤務した3年間は、私にかけがえのない経験を与えてくれました。また、現在は東京都教育委員として、教育施策について熟考する機会を得ています。   しかし、この社会のなかで、「教育」とは独立して存在するものではありません。貧困世帯の子どもたちを支援するには福祉的なアプローチも必要になってくるでしょうし、そのためには行政の予算も必要になってきます。もちろん、NPOなどによる支援も欠かせません。高等教育や大学改革を考える上では、国際情勢や雇用問題とも正面から向き合わなくてはなりません。教育は、様々な社会的課題と複雑に絡み合って存在している――。ここ数年、そうした事実をあらためて実感するとともに、自分自身がまだまだ未熟であり、社会問題全般に対しての勉強がまだまだ足りていないことを痛感させられていました。   どこかで、しっかり学びの機会を得なければ――。   そうした思いでいたところ、昨年秋頃にGRIPSの存在を知りました。しかし、GRIPSは通常の大学院とは異なり、学生の大半が霞ヶ関の官僚や各地方自治体の幹部候補生という特殊性のため、私にとってはかなりの難関となることが予想されました。しかし、「ここで学びたい」との思いが日に日に強くなり、昨年末より準備を進めてきました。   このたび、縁あって学びの機会をいただけたことに深く感謝し、今年4月より一年間、しっかりと学んでいきたいと思います。また、今回のチャレンジを後押ししてくれた家族や友人、そして事務所のスタッフにも心から感謝しています。   いまは、4月から始まる新生活にワクワクするとともに、合格させていただいた責任に身の引き締まる思いでおります。いつも支えてくださるみなさんにも、心より御礼申し上げます。   2015年2月24日 乙武洋匡  


「香港デモ 現地の声を聞く」

【香港デモ】昨日は、中環(セントラル)、旺角(モンコック)、金鐘(アドミラルティ)の3箇所を訪れ、デモについての街頭インタビューを行いました。年齢、性別、出身――立場が違えば、デモに対する態度も様々。現地の生の声をお聞きください。 [中環……デモの行われていないショッピングエリア] 「若者たちを支持します。政府のやり方はおかしい。」(50代・女性) 「彼らの考えには賛同するけれど、自分はMRT(地下鉄)に勤務していることもあって、デモという手法には賛成できない。ただ、できる範囲でのサポートはしていきたいと思う」(20代・男性)… 「デモには賛同できない。学生たちは、ギャングにそそのかされているだけなんだ」(90代・男性) 「インドのムンバイから9年前に移住してきました。ガンジーが生きていたら、きっと暴力に屈せず主張を続ける彼らのことを誇りに思ったでしょう」(40代・女性) [旺角……デモ第2の基点。金曜から、反対派による暴力行為が起こる] 「怖い。とても怖い。でも、こうしてみんなが戦っているのに、自分だけ逃げ出すことはできない。でも、この先、どうなるのか…」(20代・女性・学生) 「暴力は、たしかに怖い。でも、もう後戻りすることはできない。民主的な選挙を勝ち取るため、ここから後戻りすることはできないんだ」(20代・男性・学生) 「デモは許すことができない。経済はどうなってしまうんだ。学生たちは、いますぐデモをやめるべきだ」(50代・男性・飲食店店長) [金鐘……デモ最大の拠点。数十万人の学生が道路を占拠] 「ニュースを見て、居ても立ってもいられなくなってここへ来た。自分の勤務する会社にはないが、他社では『デモに行くので』と申請すれば、休暇をくれるところもあるらしい」(30代・女性・社会人) 「我々は中国人ではなく、香港人なんです。こうして香港の人々が民主化のために立ち上がり、暴力に臆せず戦っているということを、ぜひ世界に伝えてください」(20代・男性・学生) 日本には、いったいどれほどのことが伝わっているのでしょうか――。


「香港デモを訪れて」

香港デモ。普通選挙を求める学生側と、中国政府を支持する親中派が衝突、「市民の対立が深刻化」と報道されているが、それが事実かは疑わしい。 デモ隊に対して暴力を振るう人々を、警察が傍観する姿も目撃されている。行政も、それを黙認している。学生側は、警察・行政のこうした態度に疑問を抱き、開きかけていた交渉の扉を再び閉じてしまった。これに対して、行政長官は6日にも強制排除することを示唆した。こうした状況から、私は「市民の対立」と表現することにためらいがある。 学生側は、当初から一貫して平和的な態度を崩していない。警察の催涙弾に対して、雨傘を盾に対抗してきたことから、いつしか“雨傘革命”と呼ばれるようになった。占拠地区には、いくつもの雨傘がシンボルのように飾られている。 この“雨傘革命”がどんな結末を迎えるのか。現時点では、まったくわからない。しかし、暴力による解決でないことを心から望んでいる。“第二の天安門事件”となることだけは避けなければならない。 今日5日は、日曜日。学生たちの数は、ますます膨れ上がることが予想される。恐れず、怯まず、現場を訪れたい。  


北欧で感じた「新しい世界」

今月上旬、社会学者・古市憲寿氏とともにデンマーク、ノルウェー、スウェーデン、フィンランドの四ヶ国を回った。オスロへの留学経験もある古市氏の案内のもと、福祉や教育の面で評価の高い北欧諸国を回り、その実態を肌で感じることが目的だった。   四ヶ国を通じて最も強く感じたのは、北欧の人々は「障害者を特別視しない」ということ。町を歩いていても、交通機関に乗っていても、「お手伝いしましょうか?」と声をかけられたり、特別な対応をされたりすることはほとんどなかった。もちろん、こちらが助けを求めれば快く応じてくれるのだろうが、こちらから頼まなければ、とくに見向きもされなかった。それは、私にとってじつに新鮮で、心地の良い世界だった。   好むと好まざるとにかかわらず、私はどの国においても、“特別視”され続けてきた。背の高い電動車椅子に興味を示し、「これは日本製か?」などと人懐っこい笑顔で話しかけてくる東南アジア。宗教心からか、街角に立ち止まっているだけで車椅子の座席に1ユーロを置いていこうとする西欧諸国。そして、「どう接したらいいかわかりません」と人々の顔にくっきり書いてある日本。北欧は、そのどれとも違った。   おそらく、北欧では、とりわけ親切にしたり、同情したりせずとも、障害者が自由に生きていける社会なのだろう。こうした社会が成立するには、段差をなくすなどの物理的なバリアを排除することや、就労や保障によって障害者の生活基盤を安定させることなどが前提条件となる。北欧諸国は、ハードも、ソフトも整えることで、障害者をあらゆるバリアから解放してきたのだろうと思う。   翻って、日本はどうか。東京などの大都市にかぎって言えば、ハード面は世界的に見てもトップクラスだと感じる。あとは、ソフト面。多くの日本人が、「どう接したらいいかわかりません」となってしまうのは、いまだ社会のなかで障害者が「特別な存在」であり、多くの人が「慣れていない」から。まずは、障害者政策を、人々の意識を、「隔離」から「共生」へと転換することが必要になってくる。   もちろん、北欧がすべてに優れた、完璧な社会であるなどと言うつもりはない。たった数日間の滞在では気づくことのできなかった綻びだって、多々あることだろう。ただ、これは障害者の問題に限らず、日本社会が抱える課題に対して、他国の制度などを参考にしながら、それを日本の現状や風土に合わせてカスタマイズしていく試みは、決してムダなことだとは思えない。   2020年、東京にはオリンピックだけでなく、パラリンピックもやってくる。あと6年で何もかもが解決できるとは思わないが、海外から訪れた人々に少しでも、「日本は障害者が生き生きと暮らしていける国だ」と感じてもらえるよう、私なりに尽力していくつもりだ。   「障害者だから頑張る」でもなく、「障害者だから頑張れない」でもない、ひとりの人間として生きていくことのできる社会を目指して。


乙武洋匡、「新宿そうじ」始めます!

◆ 「グリーンバード新宿」誕生!! まあ、何とも気恥ずかしいポスターができあがりました。 じつはこれ、今年4月に発足したボランティア団体「グリーンバード新宿」の告知ポスターなんです。 みなさん、「グリーンバード」はご存じですか? いまから11年前に表参道で始まったお掃除ボランティア団体。いまでは日本全国のみならず、パリやガーナ、シンガポールなど、海外も含め55地域での清掃活動が行われているのです。 そして今年4月、遅ればせながら56番目に発足したのが、この「新宿チーム」。代表は、わたくし乙武洋匡が務めさせていただくこととなりました。 「なんでまた、そんなことを」 「なぜ、新宿なの?」 「そもそも、おまえどうやってゴミ拾うんだよ!」 など、様々なツッコミが聞こえてきそうですが、じつはこんな思いがあるのです。   ◆ 教育には「地域」という文脈も必要 二十代後半から教育に関心を抱き、力を注いできました。 2005年4月~2007年3月 新宿区教育委員会「子どもの生き方パートナー」 2007年4月~2010年3月 杉並区立杉並第四小学校教諭 2013年2月~現在     東京都教育委員 「現場」と「行政」、ふたつの立場から学校教育と関わってきましたが、子どもたちが育つ舞台は「学校」だけではありません。「家庭」や「地域」も同じく重要。しかし、上記のような立場では、なかなか家庭や地域と密なコミュニケーションを図ることができません。 もっと、「地域」に根ざした活動ができないだろうか――。 そんなジレンマを感じていたところに思いついたのが、「グリーンバード」。ゴミ拾いを通じて、地域と関わることができないだろうかと考えたのです。   ◆ 世代間交流の必要性 もうひとつ。今年2月、関東甲信越では記録的な大雪被害に見舞われました。真っ先に心配したのは、都内で一人暮らしをする母のこと。しかし、元気いっぱいの母は、2週連続で降り積もった大雪をひとりで雪かきしてのけ、私を安心させてくれたのでした。 ただ、「いま」はいいかもしれない。しかし、これが5年後、10年後だったらどうなるのか。今回の大雪でも、雪かきができずに困っていた高齢者もいたのではないか。大雪だけでなく、地震などの災害が起こったとき、都心部の高齢者をどのように救えばいいのだろう。 「あそこのおばあちゃん、だいじょうぶかな?」 「あの家には車いすの人がいる。見に行ってこよう」 そうした関係性が築かれていれば、誰もが安心して暮らせるまちとなる。それには、若者や高齢者が普段から交流できる「場」を設けていく必要がある。「グリーンバード」の活動を通じて、そうした世代間交流を図ることができないだろうか――。   ◆ 多様性のまち「新宿」 このグリーンバードの活動に思いが至ったとき、真っ先に頭に浮かんだのが新宿でした。東京都立戸山高校、早稲田大学という経歴をたどった私にとって、新宿はまさに青春を過ごしたまち。私を育ててくれたまちなのです。 それだけではありません。新宿は、“多様性”のまち。高層ビルが建ち並ぶオフィス街があり、日本一と呼ばれる歓楽街があり、性的少数者や外国人が集い、老舗と呼ばれるお店がひしめく――。私が日頃から発信している「みんなちがって、みんないい」というメッセージをこれほどまでに体現しているまちは、他にないと思うのです。 これだけ様々な人が集う新宿だからこそ、日頃からコミュニケーションを図り、世代間交流を促していくことで、さらにまちが活性化していくのではないか。そんな思いが、僕のなかにありました。   ◆ キックオフイベント大成功 今月5日、新宿区のほぼ中央に位置する戸山公園にてキックオフイベントを行いました。初めての試みだったにもかかわらず、学生ボランティアや町会の方々など、総勢60名を超すみなさんが参加してくださいました。 おたがい見知らぬ者同士。はじめのうちは戸惑う姿も見られましたが、おしゃべりしながらゴミを拾っていくうち、次第に笑顔もこぼれるように。ゴミ拾いの後には、引き続き戸山公園にてお花見も開催。みんなで楽しくお弁当を食べ、お酒を飲み、語らい合いました。第1回の活動としては、大成功だったと思います。 この活動は、まだ始まったばかり。すでに今月15日にも高田馬場にて第2回の清掃を行いましたが、今後も定期的に活動していこうと思っています。新宿区民の方も、そうでない方も、ぜひ気軽にご参加ください。ご興味のある方は、下記までメールにてご連絡いただければ、事務局からご案内させていただきます。 グリーンバード新宿事務局 shinjuku@greenbird.jp 【追記】 そうそう、みなさんの大事な疑問に答えていませんでした。 「そもそも、おまえどうやってゴミ拾うんだよ!」 こんな感じです。ぜひ、一緒にゴミ拾いしましょう!  


”元祖炎上”、80歳を祝う。

  昨日は、田原総一朗さん80歳の誕生日。日頃から、『朝まで生テレビ!』などでお世話になっているメンバーを中心に、サプライズパーティーが企画されました。書籍の打ち合わせだと聞かされて会場に入ってきた田原さんを「ハッピーバースデー」の大合唱とクラッカーでお迎え。日頃はどんな事態にも動じない田原さんですが、さすがに鳩が豆鉄砲を食らったような顔で驚かれていました。 続いて出てきたのは、津田大介さんがプロデュースされた特製「朝まで生テレビ!」ケーキ。よく見ると、意気軒昂に叫んでいる田原さんの飴細工がとってもリアルなんです。 思いもよらない粋なプレゼントに、田原さんも相好を崩してよろこんでくださいました。 田原さんのご挨拶。 「気持ち的には、まだ30歳。でも、80歳の肉体がときどき反乱を起こす。しかし、今日こうしてみなさんにお祝いしていただき、85歳くらいまでは頑張れるような気がしてきた」 そのあと、出席者一人ひとりがご挨拶させていただくことに。私が「今日ここにいるメンバーは私も含めてよく炎上していますが、“元祖炎上”と言えば田原さん」と失礼を承知で申し上げたら、「そうそう、炎上するくらいじゃなきゃ面白くない」との力強いお言葉をいただきました。 今後も臆することなく、発信、活動していかなければ――。田原さんの「老いてますます盛ん」な姿勢に、出席者一同、大いに刺激を受けた夜となりました。 というわけで、お祝いに駆けつけたはずなのに、すっかりパワーをいただいて帰ってきた、素敵なバースデーパーティー。企画・運営してくださった講談社「現代ビジネス」編集長の瀬尾傑さん、本当にありがとうございました。 そして田原さん、あらためておめでとうございます!!  


『ノンストップ!』

4月4日(金)9:50~11:25(フジテレビ系)『ノンストップ!』に生出演します! 金曜の名物コーナー「NONSTOP!サミット」では、 主婦・女性が気になるテーマをスタジオ生で徹底討論します! 是非、ご覧ください!


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