OTO ZONE

Monthly Archives: 10月 2012

『渋谷LIVE! ザ・プライムショー』

10月19日(金)19:00~19:50(WOWOW bs9ch) 『渋谷LIVE! ザ・プライムショー』にゲスト出演します! 乙武が影響を受けたエンタメ作品を紹介します。 是非、ご覧ください!


『バリバラ』

10月12日(土)『バリバラ』21:00~21:29(NHK・Eテレ)に生出演します。 ついに乙武がこの番組し出演!今回は生放送でお届けします! 今回のテーマは障害者のあるある話「バリバナ」。 思わず「あるある!」と叫んでしまう身近な体験談をお話する予定です。 是非、ご覧ください!  


愛情のパイプ、詰まっていませんか?

 新刊『ありがとう3組』を書いた理由として、前作には盛り込めなかった「発達障害」と「親子の関係」という2つの事柄について伝えたかったことは昨日触れた。発達障害についてはすでに「ストライクゾーンという幻想」にまとめたので、今日は「親子の関係」について。  小学校教員を3年間経験して、皮肉にも感じたのは「やっぱり家庭が大事」ということ。学校での言動に顕著な変化のあった子に話を聞いてみると、家庭で何らかの環境の変化があったケースがほとんど。大人から見ればささいに思えるようなことでも、子どもたちは大きく精神的なバランスを崩していた。  愛情に包まれ、安定した家庭のなかで育つ子もいれば、親自身が自分のことで精いっぱいで、子どもに愛情が向けられていない家庭もあった。そうした機能不全とも言える家庭のなかで育つ子どもは、どこか不安定だったり、自分に自信が持てなかったり。スタートラインでの不平等さを痛感させられた。  だが、それ以上にもどかしく感じたのは、「親の愛情がうまく伝わっていない」ことだった。そして、このケースがいちばん多いのも事実だった。「ねえ、好きって言ってよ」「バカ、言わなくてもわかるだろ」――こうした「言わなくてもわかる」という文化は、恋愛にかぎらず、親子間にも存在する。  教師という立場で、家庭が抱える問題を解決することは難しい。だが、親子の間をつなぐ“愛情”というパイプの詰まりを掃除し、流れをよくすることならできる。子どもを愛していないなら仕方ないが、そこに愛があるのに伝わっていないのはもどかしい。僕は、あらゆる手立てでパイプ掃除役に徹した。  『ありがとう3組』でも、主人公・赤尾はねじれた親子関係を目の当たりにして苦悩する。そうした親子の問題に直面するうち、赤尾は自分自身の親とも向き合うこととなる。それは、赤尾の物語であり、僕の物語でもあった。最終章は、小説ではなく、ノンフィクションを書いている感覚に近かった。  子育て中のみなさん、「言わなくてもわかる」と、愛を伝えることをサボっていませんか? 「私は愛されてこなかった」と感じているみなさん、それはうまく伝わっていなかっただけではないですか? 照れや、意地や、思い込み――そんなつまらないものが愛情のパイプを詰まらせてはないでしょうか。  「親子」という関係を経験せずにきた人など、だれもいない。きっと、『ありがとう3組』のなかで赤尾とともに「親子問題」の解決に奔走していくことで、おのずと自分自身の親子関係を見つめ直すことになる。書いている僕自身が、そうだったように。それが、今回のタイトルにもつながってくる。  前作『だいじょうぶ3組』では、学校における問題を描くだけで手いっぱいだった。でも、子どもの育ちを語る上で、家庭を、親子の関係を無視するわけにはいかない。だから、今作ではどうしてもそのことを軸に据えたかった。この物語を通じて、いま一度、みなさんにもご自身の親子関係を振り返っていただければ。


『スタジオパークからこんにちは』

10月9日(火)13:27~14:00(NHK総合) 『スタジオパークからこんにちは』に生出演します! 教員時代のお話や、趣味で活動しているバンドのお話など、盛りだくさんの内容です! オトタケの歌声が披露されるかも?是非、ご覧ください!


ストライクゾーンという幻想

 新刊『ありがとう3組』が、ついに発売となりました。なぜ、映画化まで決まった『だいじょうぶ3組』の続編を書こうと思ったのか。それは、前作にはどうしても盛り込めなかった内容が2つあったから。ひとつは、「発達障害」。ひとつは、「親子の関係」。今日は、「発達障害」について書いてみたいと思います。  まずは、こちらをお読みください。「発達障害について、正しい認識を(http://togetter.com/li/297720)」――これは今年5月、大阪維新の会による家庭教育支援条例(案)に対して僕が感じた疑問と、発達障害の当事者やご家族の方々からのコメントをまとめたものです。  お読みいただいてわかるように、いまの日本の社会において、発達障害に対する正しい理解・認識はそれほど高くありません。それだけに、その当事者やご家族は、この社会にかなりの息苦しさ、生きづらさを抱えていることでしょう。それは、僕が3年間の教員生活のなかでも、強く感じていたことです。   現在の教育現場では、診断を受けていないケースや軽度も含めれば、各クラスに1~2人は発達障害のお子さんが在籍しています。もちろん、僕のクラスにもユニークな特性を持つお子さんが何人かいました。彼らとどう向き合い、どんな指導をしていくのか。これは現場で喫緊の課題だと感じていました。   新刊『ありがとう3組』には、泰示という発達障害のある転入生が登場します。強烈な個性の出現に、周囲は面食らい、ドン引きし、拒否反応を示します。ある意味、それは自然なことだとも思います。でも、そのまま彼を孤立させるわけにもいかない。だけど、彼の欲求にすべて応えれば、秩序が乱れていく――。   これは主人公・赤尾だけの悩みではなく、現場に立つすべての教師の悩みと言っても、過言ではありません。まさに、今日の教育現場における大きな課題と言っていい。でも、課題と認識されはじめてから日が浅く、研究もそこまで進んでいるとは言いがたい。だからこそ、「正解」はなく、教師一人ひとりが悩みながら、暗中模索している。   主人公・赤尾も、彼なりのやり方で泰示と向き合い、周囲との溝を埋めていこうと努力します。これは赤尾の手法であり、教師としての僕の手法でもありました。でも、職員室のなかでは、僕と(赤尾と)正反対の対応をする先生もいました。いまでも、どれが正解なのかはわかりません。けれど、これだけは言いたい。   大人は、社会は、勝手にストライクゾーンを作り出し、そこに子どもたちをはめこもうとする。そして、どうにもその枠にはまらない子に対しては、眉をひそめたり、声を荒げたり。発達障害の子どもたちは、そうしたストライクゾーンから最も遠くに位置する存在。彼らの生きづらさは、想像を絶します。   でも、よく考えてみれば、そのストライクゾーンは、大人たちが効率のいい社会にするために勝手に作り出したもの。発達障害のある子どもたちは、決して「悪い子」なんかじゃない。ただ大人たちにとって、「都合の悪い子」であるだけなのです。「困った子」ではなく、当事者自身が「困っている」のです。   以前から繰り返し述べているように、障害者は「劣っている」のではなく、「違っている」のだと思っています。それは、発達障害に関しても同じ。日本が真に成熟した社会となっていくには、この「違い」に対して寛容になることが重要だと思っていますが、発達障害者への意識、対応は、まさにその試金石。   新刊『ありがとう3組』が、当事者やご家族の苦悩を知るきっかけとなり、みなさんが発達障害に対する考えを深める端緒となれば、これ以上の幸せはありません。また、当事者やご家族の方にもお読みいただき、ご意見をいただければうれしく思います。  『ありがとう3組』(講談社) http://ototake.com/books/209/


ありがとう3組

映画化された感動作『だいじょうぶ3組』の続編。 6年生に進級した子どもたちと赤尾先生の卒業までの日々。 万引きやいじめ、親子の葛藤――。 前作を超える感涙必至のエピソードが満載です! 発行:講談社 税込価格:1,470円 購入はこちらから


幸せの定義

 先日、映画『夢売るふたり』を観た。『ゆれる』や『ディア・ドクター』等の作品で知られる西川美和監督の最新作。同時期に観賞した『最強のふたり』とは対照的な作品で、笑いや涙を誘うような場面はない。ただ、人間の弱さをじっくりとあぶりだし、観賞後に「幸せって何だろう?」と考えさせる良作だった。  松たか子と阿部サダヲ演じる夫婦が、火事で焼失してしまった小料理屋を再開するため、結婚詐欺を働く。だから、物語には騙される様々なタイプの女性が登場する。彼女たちには、共通点があった。彼女たちは、「幸せ」を追っていた。「幸せ」に飢えていた。でも、何が「幸せ」なのかをわからずにいた。  Twitter上で、フォロワーの方々からよく質問を受ける。先日も、「幸せの定理とは?」と問われた。どんな状態を「幸せ」と感じられるのかは、人それぞれ。万人に当てはまる答えなどない。なのに、多くの人が「幸せ」の定義を他者に任せる。もしくは、巷間言われる「幸せ」のカタチを、盲目的にみずからの解とする。  女性で言えば、結婚・出産。この2つを通らなければ「幸せ」にたどり着けないと妄信する人が、あまりに多い。たしかに夫と子どもに恵まれ、よき妻、よき母となることは、わかりやすい「幸せのカタチ」だ。だが、それはあくまでひとつのケースに過ぎない。それが唯一絶対の幸せでは、決してない。  自分にとっての「幸せ」とは何か。そこに思いを巡らせる行為を怠り、世間一般の「幸せのカタチ」を鵜呑みにすることほど、危険なことはない。ほんの一例にしか過ぎない「結婚・出産」という列車に乗り遅れそうだと焦り、あわてて飛び乗ってみれば、「こんなはずじゃなかった…」とほぞを噛む。  「幸せとは何か」――もちろん、たやすく答えが出るものではない。でも、少なくとも他者にその答えを求めるのはやめにしよう。世間体とやらに幸せを預けるのもやめにしよう。自分で悩み、考え抜いたって、たどり着けるかはわからないのに、他者から与えられた答えを追って、何になるというのか。  結婚しなければ、幸せになれない――。  子どもを産めないなんてかわいそうに――。  手足がないなんて不幸な人生だ――。  そんなの、ぜんぶ、決めつけ。オレの幸せは、オレが決める。あなたの幸せは、あなたが決めればいい。だれの人生でもなく、あなたの人生なのだから。これはほかでもない、僕の人生なのだから。  「幸せの定義」を他者任せにして人生を歩んでいると、大きな落とし穴が潜んでいる。その落とし穴を、西川監督は「結婚詐欺」として表現したのかもしれない。そして、松たか子さん演じる主人公は、確固たる「幸せ」の定義を持っていたから、まるで揺るがないし、凛として見える。そこに、僕らが幸せを手にするヒントがある。  自分にとっての幸せとは、何だろう。親に言われたから結婚しようとしていないか。友人たちの出産ラッシュに焦りを感じていないだろうか。自分の人生には、本当に出世レースが必要なのだろうか。映画『夢売るふたり』は、あらためてそんなことを考える機会を与えてくれる作品でした。みなさんも、ぜひ。


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