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北欧で感じた「新しい世界」
今月上旬、社会学者・古市憲寿氏とともにデンマーク、ノルウェー、スウェーデン、フィンランドの四ヶ国を回った。オスロへの留学経験もある古市氏の案内のもと、福祉や教育の面で評価の高い北欧諸国を回り、その実態を肌で感じることが目的だった。 四ヶ国を通じて最も強く感じたのは、北欧の人々は「障害者を特別視しない」ということ。町を歩いていても、交通機関に乗っていても、「お手伝いしましょうか?」と声をかけられたり、特別な対応をされたりすることはほとんどなかった。もちろん、こちらが助けを求めれば快く応じてくれるのだろうが、こちらから頼まなければ、とくに見向きもされなかった。それは、私にとってじつに新鮮で、心地の良い世界だった。 好むと好まざるとにかかわらず、私はどの国においても、“特別視”され続けてきた。背の高い電動車椅子に興味を示し、「これは日本製か?」などと人懐っこい笑顔で話しかけてくる東南アジア。宗教心からか、街角に立ち止まっているだけで車椅子の座席に1ユーロを置いていこうとする西欧諸国。そして、「どう接したらいいかわかりません」と人々の顔にくっきり書いてある日本。北欧は、そのどれとも違った。 おそらく、北欧では、とりわけ親切にしたり、同情したりせずとも、障害者が自由に生きていける社会なのだろう。こうした社会が成立するには、段差をなくすなどの物理的なバリアを排除することや、就労や保障によって障害者の生活基盤を安定させることなどが前提条件となる。北欧諸国は、ハードも、ソフトも整えることで、障害者をあらゆるバリアから解放してきたのだろうと思う。 翻って、日本はどうか。東京などの大都市にかぎって言えば、ハード面は世界的に見てもトップクラスだと感じる。あとは、ソフト面。多くの日本人が、「どう接したらいいかわかりません」となってしまうのは、いまだ社会のなかで障害者が「特別な存在」であり、多くの人が「慣れていない」から。まずは、障害者政策を、人々の意識を、「隔離」から「共生」へと転換することが必要になってくる。 もちろん、北欧がすべてに優れた、完璧な社会であるなどと言うつもりはない。たった数日間の滞在では気づくことのできなかった綻びだって、多々あることだろう。ただ、これは障害者の問題に限らず、日本社会が抱える課題に対して、他国の制度などを参考にしながら、それを日本の現状や風土に合わせてカスタマイズしていく試みは、決してムダなことだとは思えない。 2020年、東京にはオリンピックだけでなく、パラリンピックもやってくる。あと6年で何もかもが解決できるとは思わないが、海外から訪れた人々に少しでも、「日本は障害者が生き生きと暮らしていける国だ」と感じてもらえるよう、私なりに尽力していくつもりだ。 「障害者だから頑張る」でもなく、「障害者だから頑張れない」でもない、ひとりの人間として生きていくことのできる社会を目指して。