OTO ZONE

Monthly Archives: 1月 2018

浜ちゃんは”フラットフェイス”だ

大学を卒業した私は、スポーツライターとなった。小学校教員となるまでの7年間、オリンピックやサッカーW杯など様々なスポーツイベントを取材する機会に恵まれた。 なかでも最も力を入れて取材をしていたのがプロ野球。暇さえあればグラウンドに足を運び、選手やスタッフの方々にお話を聞かせていただいた。 各チームの監督に取材させていただく機会も多くあった。電動車椅子に乗った手足のないスポーツライター。取材を受ける側にとっても、恐らくは初めての体験だろう。さぞ戸惑わせてしまったことと思う。 私に対する監督たちの対応は、大きく3つのタイプに分けることができた。どう接したらいいのかわからず、表情を硬くする監督。「障害者なのによく頑張って」と過剰な評価をしてくださる監督。そして、私の障害にまったく気を留めることなく、淡々と野球の話だけをする監督。 3つ目のタイプには、「ファンのみなさま、おめでとうございます」という、ほんわかした名言でも知られる若松勉監督(当時ヤクルトスワローズ監督)や、野球界きっての理論派である野村克也監督(当時阪神タイガース監督)がいた。 先に断っておくが、どのタイプの監督からも障害者を差別する気持ちは感じられなかった。ただ、障害を抱えるスポーツライターとしてもっとも居心地が良く感じられたのは、若松監督や野村監督をはじめとする3つ目のタイプの方々だったことは間違いない。彼らには差別する心はもちろん、区別や遠慮という“心の壁”も感じなかったからだ。 一方、私はこれまで数多くのバラエティ番組にも出演してきた。『五体不満足』が出版されて数年後のこと。今や多くの番組で司会を務めるほどの人気者となったあるお笑いコンビと共演させていただく機会があった。 普段は毒舌で鳴らす彼らであったが、この日の収録では私に対して明らかに戸惑いの表情を浮かべ、どういじったらいいのか、それともいじってはいけないのかと対応に苦慮している様子だった。そう、監督でいえば、1つ目のタイプの方々だったのだ。 この番組を観たネット民は辛辣で、「いつもの毒舌はどうした」「まるで借りてきた猫じゃないか」といつもの芸風を発揮できなかった2人をなじるコメントが相次いだ。 私はこのお二人に心から申し訳なく思った。いくらお笑い芸人といえども、それぞれが育ってきた境遇は異なる。これまで障害者と接してきた経験がなければ、いくら話芸のスキルが高くても、私のような“イロモノ”をいじることはそう容易いことではないはずだ。 それ以来、バラエティ番組に出演することに多少の戸惑いを抱えていた私だったが、スポーツライターをしていたことから、当時の人気番組『ジャンクスポーツ』から出演オファーをいただいた。これならバラエティ番組といえどもスポーツ色が強い番組だ。ありがたくオファーを承諾させていただいた。 ところが、ここで私の悪癖が顔を出す。真面目にスポーツの話だけをしていればいいものの、ついつい小ボケを挟みたくなる性分なのだ。そんなどうしようもない私に容赦ないツッコミを繰り出したのがメイン司会を務める浜田雅功さんだった。 「乙武、おまえアホか!」 「おい、いい加減にせえよ!!」 それらのツッコミは、バラエティ番組に出演することに躊躇を感じていた私の心を見事に解きほぐしてくれた。若松監督や野村監督と同じように、浜田さんのツッコミからも、差別の心はもちろん、区別や遠慮も感じられなかった。それが何より私には心地良かった。 年明けから議論を巻き起こしている“ブラックフェイス”問題。「差別する意図はなかったのだから問題ない派」と「国際的な視野に立てば完全にアウト派」が意見を戦わせている。今後、国内での番組づくりにおいては、こうした議論に注意深く耳を傾けていく必要があるだろう。 しかし、私が伝えたいのはそのことではない。今回、ブラックフェイスで槍玉に挙げられている浜田雅功という芸人は、つねに差別という問題と隣り合わせで生きてきた私にとって、差別も区別も、そして遠慮も感じることなく接することができた数少ないタレントの一人である、ということだ。 誰にでも分け隔てなく接してくれる浜田さんは、ブラックフェイスというより、本来は“フラットフェイス”なのだ……と、こんな書き方をしたら、今度は「アジア人差別だ」と怒られてしまうのだろうか。


「障害者」という個人は存在しない

前回書いたブログが「Huffington Post」に転載されました。それを受けて、あらためて。   障害者と接するにあたって困惑する人は多い。 「助けたらいいのか、放っておいたらいいのか、励ましたらいいのか、同情したらいいのか。障害者って、よくわからん」 困惑する気持ちも、わからなくはない。でも、よく考えてみれば「障害者」なんていう個人は存在しないのだから、そりゃ助けてほしい人も、放っておいてほしい人も、励ましてほしい人も、同情してほしい人もいるでしょうよ。 だからね、そもそも「障害者とはどのように接したらいいのか」という発想自体が間違っていると思うんです。いまあなたの目の前にいる相手が何を望んでいて、どう接してほしいのか。それを探ってほしいんです。健常者が相手だと、みんなそれを自然にやっているじゃないですか。   それに加えて。   「乙武さんがこう言ってるから、他の障害者もこうなのだろう」といった発想も、それこそ愚の骨頂なのでやめてほしい。メディアはもっと私以外の障害者の声を積極的に拾いに行くべきだと思う。ホント、いろんな考え方の人がいるから。長らく続いてきた“乙武一極集中”状態はちっとも健全ではないし、多様性がない。 今回、こうしてあもりさんの声がブログに載って多くのみなさんに届いたことは、本当に良かったと思う。同情してほしい障害者がいたって、いいじゃない。あもりさんにはこれからも発信を続けてほしいし、他の障害者の方にもガンガン発信してほしい。そして、みなさんには、ぜひともそうした声に耳を傾けてほしいな、と。 え、ちなみに乙武さんはどうしてほしいのかって? いままでは放っておいてほしかったけど、一昨年の“ある時期”からは、みなさんからの励ましの声が欲しくて仕方ありません(笑)。


あもりさん、ごめんね。

あもりさんという女性が書いた文章に出会った。 「キミは障害者で可哀想だね」と言われたい私のような障害者がいることも知ってほしい|文◎あもり(欠損バー『ブッシュドノエル』所属) 以前に紹介した欠損バー『ブッシュ・ド・ノエル』に勤務するその女性が書いたそのブログを、私は何度も読み返した。 「ひたすら障害を隠すことに必死だった自分にとっては、あまりにも眩しく、すぐに目をそらしました......」 「ただただ、テレビを見るたびにチラチラ視界に入る鬱陶しい存在」 とても、とても胸が苦しくなった。 私の存在が、彼女にこのようなしんどい思いをさせてきた。いや、彼女だけではない。あもりさんと同じような思いに苦しんできた方は、驚くほど多くいる。 「ほら、乙武さんだってあんなに頑張ってるんだから、あなたも頑張りなさい」 「あなたも乙武さんみたいに前向きに生きないと」 あもりさんの場合は本棚に『五体不満足』が置かれるという間接的なメッセージだったようだが、親御さんや周囲の方からこうした直接的な言葉をかけられたという人も少なくない。もちろん、かけた側だって悪気があったわけではない。むしろ、励まそうと口にした言葉だ。だが、かけられた側にしてみれば、そりゃしんどい。「私」と「誰か」は別人だ。 『五体不満足』で伝えたかったのは、「障害者といっても、じつに様々な人がいる」というメッセージ。出版当初、「なんだ、ちっとも伝わっていなかったのか」と肩を落としたのをよく覚えている。結局、健常者の方々からは「同じ障害者なのだから」とひとくくりにされてしまうのだな、と。 その一方で、この20年間、障害当事者やそのご家族から幾度となく耳にしてきた言葉がある。 「乙武さんは特別だから」 そうかもしれないなと思う反面、はたして本当にそうなのだろうかとも思う。 たしかに歴史を遡っても、私のように頻繁にメディアに登場し、発言の機会を与えられてきた障害者は稀有な存在かもしれない。そういう意味では、特異な存在と言われれば、そうなのかもしれない。しかし、なぜ私は“特別”になってしまったのだろう。 生まれたら、たまたま障害があった。育つ環境に、たまたま恵まれた。こんな「たまたま」が折り重なって、「乙武洋匡」ができあがった。負けず嫌いな性格もあって、ちょっぴり努力した場面もあったかもしれない。だが、私以上に努力してきた障害者なんて、それこそゴマンといるだろう。 大学時代、出版社から勧められるがまま書いた本が、歴史的なベストセラーに。最も驚いたのは、この私だ。気づいたら、「あの乙武さん」になっていた。ほかの障害者からは「あの人は特別だから」と言われるようになっていた。どうして私は“特別”になってしまったのだろう。じつは、いまだにピンと来ていない。 あもりさんはブログの終盤で、私の本を「今だからやっと読んでみようかなという気持ちになりました」と綴ってくださっている。その心境の変化は、もしかしたら彼女が欠損バーで働くようになったことで少しずつ自分のことを認められるようになってきたことが理由かもしれない。 しかし、彼女はその直前でこうも綴っている。 数年前にスキャンダルがあった時も、色んな衝撃もありましたが、私の中では「あぁ彼はただの人間だったんだ」と、スゥっと心にあったモヤモヤがなぜだか少し減りました。 彼女がずっと避けてきた『五体不満足』。このタイミングで読んでみようと思ってもらえたのは、もしかしたら「乙武さんは特別な存在なんかじゃなかった」と気づいたからかもしれない。そして、そんなふうに「なあんだ」とホッとしたり、心のモヤモヤが少し減ったりという心境になった障害者は、あもりさんだけではないのかもしれない。 そうだとしたら、それはそれで私もホッとする。心のモヤモヤが、少しだけ軽くなる。私は、私が障害者のなかの“特別“でいることに、どこか居心地の悪さを覚えていたから。   欠損バー、今年こそ行かなきゃなあ。でも、もし行ったら、きっと彼女たちを口説こうとしてしまうんだろうなあ。欠損ガールにフラれる欠損オヤジ。まあ、それも悪くないか。


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