OTO ZONE

Yearly Archives: 2011

クリスマス in 石巻

毎年、年の瀬が迫ってくると、 「今年のクリスマスはどんなふうに過ごそうかなあ」 なんて考えるのが楽しみのひとつだったりする。 でも、今年はもうひとつ、別の考えが生まれてきた。 「被災地の子どもたちは、どんなクリスマスを過ごすのかな……」 クリスマスの夜といえば、ちょっぴり豪華なごちそうが食べられて、 前から欲しかったあのプレゼントが枕元に置いてあって----。 そんなイメージがあるけれど、被災地ではどうなんだろう。 まだ、そこまでの余裕がある家庭ばかりじゃないかもしれない。 じゃあ、学校は? 昨年3月まで、僕は小学校教員を務めていた。 子どもたちと「クリスマス会」をしてはいけないと言われた。 「特定の宗教の行事を公立小学校で行うわけにはいかない」 というのが、その理由だった。 きっと、被災地だって、そのあたりの事情は変わらないだろう。 だとしたら。 子どもたちは、どこで「クリスマス」を味わったらいいんだろう。 家庭でも、学校でも、クリスマスを感じられないとしたら----。 だったら、オレが持ってくぜ!!!! 今年の夏に訪れた石巻市立橋浦小学校に連絡すると、 校長先生が冬休み中の体育館を開放してくださることになった。 北上川のすぐそばにある橋浦小学校には、津波の影響で 校舎が壊滅的な被害にあった近隣の2校の子どもたちも通う。 つまり、いまは3校合同での学校生活が営まれているのだ。 そこで出会った子どもたちの笑顔が、いまでも忘れられない。 彼らに、クリスマスを届けてあげたい。 盟友・FUNKISTに電話すると、ふたつ返事でOKしてくれた。 前日までライブ続きで広島にいるが、そこから石巻まで 車を飛ばして駆けつけてくれるという。 僕らに、何ができるかわからない。 僕らが行ったところで、何かが解決するとも思わない。 だけど、どうしても届けたい気持ちがある。 明日の早朝、石巻に向けて出発します!


『流星ワゴン』

演劇集団キャラメルボックス公演『流星ワゴン』@池袋サンシャイン劇場を観劇してきた。これは、重松清さんの小説『流星ワゴン』の舞台化。重松さんの世界観をどんなふうに体現するのか、行く前からとても楽しみにしていた。 「死んじゃってもいいかなあ」とまで思うほど、人生に失望した主人公。突然現れたワゴンに乗って次々と現実の裏側にあるものを見せられ、さらに打ちのめされていく。だが、同時に、自分のなかで何かが、確実に変わっていく。 2011年は未曾有の大震災に襲われ、この国全体が暗く沈んだ。被災地であれ、非被災地であれ、つらい経験を味わい、悲しみに暮れた。だが、だからといって、そこで僕らの人生が終わるわけではない。それでも僕らの人生は続いていく。僕らは、生きていく。だとしたら、どう生きていけばいいのか。 あきらめて、投げ出してしまうのか。厳しい現実に四方を取り囲まれても、もがき、あがいていくのか。主人公も、そこに苦悩し、葛藤を抱く。そして、最後には――。今年、苦しい現実を突きつけられた僕らが、一年の終わりに観るにふさわしい作品だと思った。 また、この作品を貫いているのは親子愛。劇中、ふたりの息子のことを思い浮かべつつ、十年前に亡くなった父の姿も脳裏に浮かんだ。もし、父が生きていて、酒でも酌み交わせたらなあ。まあ、いくら考えても叶わない夢だから、もし実現したらどんな会話をするのかを想像しながら、今夜はゆっくり湯船にでも浸かろう。 キャラメルボックスのクリスマス公演といえばファンタジー作品が定番だが、今回はまたちょっと毛色が違う。でも、それが良かったようにも思う。こうした年だからこそ、この『流星ワゴン』という作品で良かったのだと、心から思う。本公演は、25日(日)まで。良席で観るなら平日がオススメ。女性は、メイクが崩れるのでご注意あれ。


オトことば。

34万人のフォロワーに読まれております乙武のtwitter。 笑いあり、涙あり、自虐(?)あり。乙武のありのままをつぶやいております。 そのtwitter上のやりとりを一冊の本にまとめました。 教育現場の現実、障害者や差別語をめぐる状況、震災で感じた無力感と希望、人生相談的なやりとりなど「生きるヒント」が満載です! 発行:文藝春秋(2011年11月) 税込価格:1,050円 購入はこちらから


「不幸」の烙印を押さないで

Twitterに、こんな質問が寄せられた。 「最近は出産前に胎児に障害があるとわかると、産まない選択 (中絶)をする親も多いですが、乙武さんとしてはそれを否定しますか?」  この質問を受けて、僕が考えたことを文章にまとめてみました。  身体障害者本人が、みずからの障害をどのように捉えるか。それは、 親の態度が大きく影響するのではないかというのが、僕の持論。 「こんな体に生んでしまい申し訳ない」と考える親のもとに生まれれば、 きっと当人も「自分は不幸の身に生まれたのだ」と、まるで十字架を 背負わされたかのような心持ちになる。  逆に「障害があってもいいじゃない」という、おおらかな親のもとに 生まれたら、みずからの境遇に悲観することなく、障害を重たい十字架と 感じることなく生きていけるのではないか。少なくとも、僕はそういう親の もとに生まれ、みずからの障害についても、とくに悲観することなく生きてきた。  もちろん、どちらが正しく、どちらが間違っているということはない。 どちらも、わが子を愛しているからこその思いなのだから。 ただ、生まれつきの障害者のひとりとして言わせてもらうならば、 後者のような親のもとで育てられたほうが、障害者本人にとっては 「ラク」だろうなあと思う。  障害児の親は、愛ゆえに、生まれたばかりのわが子に「不幸」の 烙印を押してしまっていないだろうか。障害者として生きていくことは、 本当に不幸なことなのか。はたまた障害と幸福の間には、何の 相関関係もないのか。それは親ではなく、本人が生きていくなかで 判断していくべきことだと思うのだ。  もちろん、それが平坦な道でないことはわかっている。いじめ、差別、 偏見――。障害者として生きていくには、まさに多くの「障害」が 待ちかまえている。でも、健常者に生まれたからといって、幸せな 人生を歩めるとはかぎらない。そして、障害者に生まれたからといって、 不幸になるともかぎらない。  つまり、生きてみなければ、その人の人生が不幸かどうかなんて、 わからないと思うのだ。どんな苦しい境遇に生まれても、大逆転で HAPPYな人生を歩むことになるかもしれない。それなのに、生まれた 時点で「この子は不幸だ」と決めつけてしまうのは、あまりにもったい ない気がしてしまうのだ。  ――と、僕がいくら言ったところで、やっぱり子どもを生み、育てて いくのは親だ。その親が、羊水検査をした結果、「やはり、障害者 としての人生は不幸にちがいない。だから、私たちは中絶する」 という決断を下したならば、何も言うことはできない。口をはさむ べきことじゃない。  そこで、僕が何らかの役割を果たせたらと思っている。 「乙武さんみたいに、幸せそうに生きている人もいるな」  お腹のなかの子に身体障害があるとわかっても、僕の生きる姿から 「産む」決断をしてくださる方が、少しでも増えるように。僕がメディアに 登場する理由の多くは、そこにある。  もちろん、「やっぱり、障害者なんて産むんじゃなかった…」と 後悔することのないような社会にしていくことも、僕が果たすべき 役割のひとつだと思っている。でも、こればっかりは、一人じゃどうする こともできない。どうしても、みなさんの理解と手助けが必要です。 大切な命を守っていくために。  長文失礼しました。もしも、自分が障害のある子を授かったら―― そんな視点からお読みいただければ幸いです。最後に、障害の 有無にかかわらず、ひとつひとつの命がすべて輝くものであって ほしいと切に願っています。


また、会いましょう

東日本大震災から、4ヶ月半が経ちました。震災直後、僕は被災地に 駆けつけ、炊き出しや瓦礫撤去といったボランティアができないことに もどかしさを感じていました。こんな僕が行っても、むしろ迷惑をかける だけだろう、と。 けれど、震災から一ヶ月ほどが経ち、食糧や生活に必要最低限の 物資が届きはじめたという報道を見て、僕のなかで少しずつ心境に 変化が起こりはじめました。 次に重要なのは、被災地の方々が、「もう一度、希望を捨てずに 生きていこう」と前向きな気持ちを取り戻していくことではないか。 そして、そのためのお手伝いなら、僕にも何かお役に立てることが あるのではないだろうか、と。 そんな気持ちから、五月上旬、僕は被災地へと向かいました。 破壊された街並み。大切な人を失った悲しみ。訪れた地では、 想像以上に胸を締めつけられる場面が多くありました。 でも、それと同時に、希望を失うことなく、前を向いて歩み出した 勇敢な人々と出会うこともできました。彼らは、本当に輝いていた。 だから、僕は新刊のタイトルを『希望 僕が被災地で考えたこと』と しました。 そして、僕がいちばん頭を悩ませたのは、そうした被災地の人々と 別れるとき、どんな言葉をかけたらよいのだろうか、ということでした。 難しいことだとわかっていながらも、相手の立場を慮ってみる。 それでも、なかなか答えの出るものではありません。 「頑張ってください」「頑張りましょう」「元気を出してください」―― どれも、僕のなかでは、しっくり来るものではりませんでした。 結局、僕が選んだのは、「また、会いましょう」という言葉でした。 苦しい状況のなか、少しでも未来を感じられる言葉にしたかったから。 未来に光を感じてほしかったから。「また、会いましょう」と。 東京に戻ってきた僕は、「あの言葉を口約束にだけはしたくない」と、 ずっと思っていました。そして、その約束を果たす日がやってきました。 今日から、また被災地へ行ってきます。 今回は3日間しか確保できなかったので、訪れる場所も限られて しまうと思うけど、僕なりの、僕だからこそできることを意識しながら、 3日間を過ごしてきたいと思います。 また、ご報告させてください。僕が感じたことを。 ※前回訪問時の活動詳細については、楽天イーグルスでの始球式や 石巻での特別授業の様子も含め、『希望 僕が被災地で考えたこと』に 詳しくあります。ぜひ、そちらをお読みいただければと思います。


なでしこJAPAN・澤穂希選手

なでしこJAPAN・澤穂希選手と、神戸にて。


なでしこ優勝に思うこと

サッカー女子日本代表・なでしこJAPANが、W杯で優勝。 朝から、胸が熱くなった。おめでとう。本当に、おめでとう!! 今大会、キャプテンとしてチームをけん引した澤穂希選手とは、 取材でお世話になってから、もう十年来のお付き合い。 怪我で苦しんでいた時期も、渡米先で悩んでいた時期も、 ずっと前を向いて頑張ってきた彼女の姿をそばで見てきたからこそ、 この試合に臨む彼女の表情を見るだけで、ぐっと来た。 いや、そんな背景を知らなくたって、今日の勝利は僕らに力をくれた。 それだけ、彼女たちは素晴らしいスピリットを見せてくれた。 だが、“世界一”という偉業を達成した彼女たちも、日頃は驚くほど 過酷な生活を送っている。海外組や一部のプロ契約選手以外、 ほとんどの女子サッカー選手は、サッカーを職業としていない。 つまり、サッカーでは「メシが食えていない」のだ。 昼間は会社勤めをしている。もしくは、バイトをしている。 そして、夜になって、所属チームの練習に参加する。 きっと、疲れているだろうに。サボりたい日もあるだろうに。 同僚のOLたちが、気晴らしに飲みに行ったりしている間、 彼女たちはグラウンドでサッカーボールを追っている。 もちろん、「好きだからやっているんでしょ」の声はある。 だけど、恋人や友人と過ごす時間も削り、すべての空き時間を サッカーに費やす日々には、「好きだから云々」のひとことでは とても片づけることのできないストイックさがある。 忘れてはならないと思う。今日、僕らが得た感動は、彼女たちが 犠牲にしてきた多くのものに支えられているのだということを。 僕らはそんな事実を忘れ、しばらくすると、また次の感動に飛びつく。 そんな「感動のいいとこどり」を繰り返してきた。 感動の準備段階では、「好きでやっているんでしょ」。 でも、いざ感動の場面になると、「感動をありがとう」。 僕らはたいした対価を払うことなく、ただ感動だけを享受してきた。 あえて強い言葉を使うならば、競技者から感動を“搾取”してきた。 いつも日本中を駆け巡る「感動をありがとう」の言葉は、 選手たちの心の支えになっても、生活の支えにはならないのだ。 たとえば、かなりの可能性を秘めた選手がいたとしても、 「家族や友人と過ごす時間とお金、そのすべてを犠牲にできるか」 という問題に直面したとき、その競技を断念することだってあるだろう。 しかし、僕らが、社会が、その下支えとなり、競技に専念できる環境を 整えることができれば、そうした選手だって競技を続けることができる。 これは、スポーツに限った話ではない。 音楽にも、芸術にも、伝統文化にも、ほぼ同じことが言える。 いまは、競技や文化が到達した“結果”にしか目が向けられていない。 だが、それらがある地点まで到達しようとする“過程”にまで 目が向けられるようになれば、そこにはきっとお金も生まれる。 文化が成熟するって、たぶん、そういうことなんじゃないだろうか。 ただ、国民に「これだけ感動したんだから対価を払え」と言っても、 そうした文化が定着していない日本では、なかなかその考えを 受け入れてもらえないないように思う。だから、言い方を変えよう。 「感動の準備段階にもっとお金を使えば、いままでより多くの感動を 得られるかもしれませんよ」と。あくまでも、ポジティブにね。 スポーツを含めた文化全般を支えていく仕組みを、いま一度、 みんなで知恵を出し合って考えていきたい。 あらためて、そんなことを思わせてくれた、歓喜の朝。 なでしこJAPAN、本当におめでとう!! ※本文は、このテーマについて陸上・為末大選手とTwitter上で 交わした会話をもとにして、大幅にリライトしたものです。 詳しくは、Togetter「なでしこ優勝の裏側で…」にありますので、 ご興味のある方は、そちらをご覧ください。


オトタケ先生と3つの授業

乙武が小学校教員として実際に行った授業が、かわいいイラスト入りで、読み物として生まれ変わりました。 収録した3篇の授業すべてが、クラスの子どもたちのために考えたオリジナル授業。言わば、「世界にひとつだけの授業」です。 発行:講談社(2011年7月) 税込価格:1,365円 購入はこちらから


希望 僕が被災地で考えたこと

3月11日、東日本大震災が起こり、乙武はあらためて障害者としての自身の無力さに打ちのめされました。 そこから、「自分にも力になれることがあるのではないか」と考え直し、被災地に向かい、現地で出会った人々との交流をつづった一冊。 発行:講談社(2011年7月) 税込価格:1,365円 購入はこちらから


命のアルバム

まだ6月だというのに、連日、30℃を超える暑さ。 みなさん、バテたりしてませんか? 先日、Twitterで日本酒を飲んでいることを書きこんだら、 実家が宮城県で酒蔵を営んでいるというフォロワーの方が、 「ぜひ、私の実家で製造している日本酒を飲んでください!」と、 わざわざ日本酒を送ってくださいました。 今回送っていただいた「黄金澤 大吟醸」は、全国新酒鑑評会で なんと12回も金賞を受賞したことがあるという逸品です。 今回の震災で、工場も大きなダメージを受けたとのことですが、 それでも前を向いて頑張っておられるようです。 さて、今回はその方から送っていただいたお手紙のなかにあった エピソードがあまりにステキだったので、ご本人の許可を得て、 ここに紹介させていただきたいと思います。 以下、仙台で就職活動中という学生さん(送り主さん)からの 手紙の引用です。 ~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・ 今回の震災で、私自身も、10年来の大切な友人を亡くしました。 訃報を受けてからしばらくは現実を受け入れられず、気持ちの整理が つかない日々を送っていました。 そんななか、乙武さんのツイートが目に留まりました。 「人と人とが関わりあって生きていくうえで、相手の気持ちには、 もちろんなれない。けれども、相手の気持ちを想像し、 心を寄り添わせようとすることはできる」 このツイートを読み、「何かしなくちゃ!」と考えました。 友人の家族は、友人のほかに、お父様、弟さんの3人が亡くなり、 お母様だけが生き残りました。一番つらい思いをされているだろう お母様に、私たちができることは何か、必死に考えました。 ご自宅も津波に流され、家族の思い出のものがほとんど 残っていないとのことで、同じ学年の仲間同士で呼びかけ、 彼女が写っている写真、彼女が書き残したもの、 仲間から彼女に宛てた手紙をまとめてアルバムを作り、 お母様にお渡しすることにしました。 たくさんの仲間や母校の先生たちが力を貸してくれたおかげで、 数百枚の写真、百通近い手紙からなるアルバムをお渡しする ことができました。 お母様は、「写真なんて、もうあきらめてたの。短かったけど、 あの子は生きていたんだね。こんな宝物、どうもありがとう」と、 涙を流して喜んでくださいました。 大切な友人を生んでくれたお母様に喜んでいただけたのも、 乙武さんのツイートに勇気をいただいたおかげです。 本当に、どうもありがとうございました!! ~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・ 友人と、残されたご家族への想い。 そして、その行動に、思わず目頭が熱くなりました。 本当に、本当に、ステキなお手紙をありがとうございました。 来月、また僕も被災地へ行こうと思っています。


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