OTO ZONE

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トモダチ

東京新聞『わが街わが友』全12回の連載をお届けするシリーズ。 今日は、外国人女性との不思議な友情をつづった 第6回「トモダチ」をお送りします!   第6回『トモダチ』 高校時代、アメフト部の活動と映画製作に明け暮れていた僕は、勉強は二の次という生活を送っていた。当然のように、浪人生活に突入。「車いすの方はちょっと……」と、いくつもの予備校に門前払いされて途方に暮れていた僕を快く受けて入れてくれたのが、駿台予備校新宿校(現在は閉校)だった。 新宿校という名ではあったが、最寄り駅はJR大久保駅。コリアンタウンとして有名な大久保は、多国籍な街。韓国語以外にも中国語や東南アジア、南米など様々な地域の言葉が聞こえてくる。 ある冬の日、自習室で遅くまで勉強して帰ろうとした時のことだ。首をすくめるようにして寒さをしのぎ、家路を急いでいた僕の前に、客を求めて歩いていたひとりの娼婦が立ちふさがった。その場で固まってしまった僕に、彼女は自動販売機を指さしながら、カタコトの日本語で話しかけてきた。「アナタ、何飲む?」彼女の名は、ミレーナ。コロンビアから来たという。 それから、何度も大久保の街で彼女とすれ違うようになり、そのたびに立ち話をするようになった。たがいの身の上話までするようになった。そこには、いつしか友情にも似た感情が芽生えていた。数ヵ月後、志望校に合格した僕は、早稲田の地で大学生活をスタートさせ、ミレーナとはそれっきり顔を合わせなくなった。 十年後、大江戸線東新宿駅のエレベーターで、小さな男の子を連れた南米系女性に声をかけられた。 「ヒサシブリ、オボエテル?」 ミレーナだった。いまは日本人男性と結婚し、幸せに暮らしているという。ミレーナのスカートの裾をつかんだ男の子が、不思議そうに顔を見上げた。 「ねえ、誰?」 「ママのトモダチよ」 トモダチとの再会が、やけにうれしい一日だった。


そして、頂上へ

東京新聞『わが街わが友』全12回の連載をお届けするシリーズ。 今日は、高校時代のアメリカンフットボール部での思い出をつづった 第5回「そして、頂上へ」をお送りします!   第5回『そして、頂上へ』 高田馬場にある都立戸山高でアメフト部に入部した僕は、仲間とともに優勝を目指し、奮闘していた。決して広くはないグラウンドをサッカー部やラグビー部など他の運動部とも共用するものだから、ひとたび野球部がノックを始めると、硬球がミサイルのごとく飛んでくる。防具をつけている選手たちと違い、丸腰で危険にさらされる僕らマネージャーは、びくびくしながら練習を見守ったものだ。 百キロ以上ある大柄な選手をそろえる私立校のチームと違って、僕ら戸山高校は小粒ぞろい。そうした体格面でのハンディを埋めるためにも、僕らは戦術面を重視した。相手チームは右へ展開してくるのか、それとも左か。パスを多用してくるチームなのか、それともラン攻撃なのか――。パソコンを駆使し、相手チームの攻撃傾向を分析するのが僕の仕事だった。ときには徹夜での作業となることもあったが、歯を食いしばって練習に励む仲間の姿を思い浮かべれば、眠気などどこかへ吹き飛んでいった。 迎えた二年生の春季大会、僕らは快進撃を続け、ついに都大会優勝という快挙を成し遂げた。チームメイトとよろこびを分かち合ったあの瞬間はかけがえのない思い出だが、僕が楕円形のボールを見つめ続けた青春から得たものは、決してそれだけではない。 体格に自信があれば、相手とぶつかり合うポジション。細身でも判断力にすぐれ、肩が強ければ司令塔。背が低くても足が速ければ、ボールを託される。アメフトには個性に応じた様々なポジションがあった。その後、「みんな違って、みんないい」というメッセージを発信していくことになる僕の素地がつくられたのは、このアメフトというスポーツを通じてのことだったように思う。


楕円形に夢を乗せて

東京新聞『わが街わが友』全12回の連載をお届けするシリーズ。 今日は、高校時代の青春の思い出をつづった 第4回「楕円形に夢を乗せて」をお送りします!   第4回『楕円形に夢を乗せて』 JR高田馬場駅から徒歩10分ほどの距離にある都立戸山高校。制服もない自由な雰囲気と、上からの押し付けではなく生徒自身に考えさせるという校風がとても気に入り、僕は進学先としてこの創立100年以上の歴史を誇る伝統校を選んだ。 入学後にまず圧倒されたのは、各クラブの熾烈な新入部員獲得競争。ランチタイムにがらりと扉を開けて入ってきた演劇部員が黒板の前で即興劇を演じたかと思うと、休み時間には合唱部が整列して、美声を披露する。そのなかで僕の視線を釘づけにしたのが、アメリカンフットボール部だった。鎧のような防具を身にまとって教室になだれこんできたかと思うと、「ウォーッ」と猛々しい雄叫びをあげる。女の子たちはさすがにたじろいでいたが、僕は完全ノックアウト。早速、その日の放課後、友人と連れ立ってアメフト部の見学に出かけていった。 面食らったのは、先輩部員たちだ。なんせ、手足のない車いすに乗った新入生が「アメフト部に入りたい」とやってきたのだ。目を白黒させる先輩たちのなかで、「いや、きっと君にもできることがある」と声をかけてくれたのが松葉杖をつくY先輩だった。 Y先輩はそれまで守備陣の中心選手として活躍していたが、試合中の怪我で靭帯を痛め、以降はプレーが不能に。それでも、チームメイトが認めるほど明晰な頭脳を生かし、相手チームのプレーを分析するなど、戦術面で大きくチームに貢献していたのだった。 「俺が引退したら、おまえがその役割を担ってくれよ」 先輩の言葉に深くうなずいた僕は、その日から「戸山砂漠」と言われる砂ぼこり舞うグラウンドで、仲間たちとともに優勝を目指し、楕円形のボールを見つめる日々を送ることになった。


愛しい君へ

深夜に、泣きながらこの文章を書いています。 君が亡くなったというニュースを聞いたときも、胸が詰まる思いでした。 だけど、今日は、今日のニュースは、また違う種類の悲しみを、 僕の胸に届けるものでした。 「いじめと自殺の因果関係は認められない」 僕にとって、それはあまりに衝撃的な言葉でした。 校長先生は、どんな思いでその言葉を口にしたのかな。 いじめた子どもたちに、心の傷を残さないための配慮だったのかな。 担任の先生だけに、責任を負わせないための配慮だったのかな。 僕たちにはわからない“何か”を守るためのものだったのかな。 君の笑顔は……少しでも頭のなかに思い浮かべてくれてたかな。   遺書は、なかった。   この事実がわかったとき、彼らはどんな思いだっただろう。 ひとりの尊い命が奪われてしまったという事実も忘れ、 ホッと胸をなでおろしていたんじゃないか。 僕には、そんな気がしてならないよ。 もしかしたら、やさしい君は、そんなこともわかっていて、 何かを言い残すことなく旅立ってしまったの? でも、それはきっと間違いだよ。 そんな君のやさしさを、まわりはただ利用しているだけ。 「いじめが直接的な原因かはわからない」 また、涙がこぼれてきた。 悔しいよ…。 救ってあげることができなかった自分の不甲斐なさを、 鋭い痛みとともに、強く、強く感じています。 かけがえのない命を失わせてしまった。 君のような苦しい思いで、この世を去っていく子どもが、 一人でもいなくなるように――。 僕にできる精いっぱいのこと、力を尽くしていくからね。 乙武洋匡


馬上からの景色

東京新聞『わが街わが友』全12回の連載をお届けするシリーズ。 今日は、用賀小学校時代のめずらしい思い出をつづった 第3回「馬上からの景色」をお送りします!   第3回『馬上からの景色』 「ピイーッ、ピッ!」 僕が6年間通った世田谷区立用賀小学校。正門前にある横断歩道では、毎朝、警官が交通整理をしてくれていた。そしてその警官が乗っているのは、パトカーでも白バイでもなく、“馬”だった――。 用賀小から徒歩十分ほどの距離にある馬事公苑は、東京ドーム約4個分という広大な敷地を誇るJRA運営の公園。春には桜が咲き誇り、区民の憩いの場となっている。騎馬警官は、毎朝、この馬事公苑からやってきていた。 十一月。勤労感謝の日に向けて、各学年が日頃からお世話になっている方々に作文を書くことになり、僕ら五年生は騎馬警官に感謝の思いを伝えることとなった。すると、「作文のお礼に」と、五年生全員が馬事公苑で馬に乗せてもらえることになった。 冬の澄んだ青空。白い鉄柵に囲われた黒土の放牧場。僕らは列をつくって、茶褐色の美しい馬体にまたがる順番を待った。友達が気持ちよさそうに場内を一周する姿を見上げながら、「いったい馬上から見える景色はどんなだろう」などと思いをめぐらせる。少しずつ僕の番が近づくたび、鼓動が速まっていった。 「よし、じゃあ次はヒロだ」 担任の先生に抱えられて、5段ほどの木製の階段を上がる。これで、ようやく澄んだ目をしたサラブレッドと同じ高さになる。職員の両脚に挟み込まれるようにして、馬上へ。目線は2階にいるような高さ。ぐらり。ゆっくりと動き出したが、思いのほか揺れが大きい。怖い。でも、何だか誇らしい気分。あっという間の数分間だった。 カポッ、カポッ。馬の蹄が路面を叩く音とともに登校していたあの頃。騎馬警官は、いまでも用賀小の子どもたちを見守ってくれているという。


祭りのあと

東京新聞『わが街わが友』全12回の連載をお届けするシリーズ。 今日は、小学校時代の友人との思い出をつづった 第2回「祭りのあと」をお送りします!   第2回『祭りのあと』 小学校低学年くらいまでは、「親に連れられて歩く場所」だった用賀の街は、高学年になると「友達との遊び場」へと変わっていった。 「なあ、明日の朝早く、用賀神社に行かないか?」 そんな相談を持ちかけてきたのは、悪友のススムだった。縁日があった翌朝に神社の境内に行くと、小銭がたくさん落ちているというのだ。「いいね。面白そう!」僕らは近所に住むミノルを誘って、翌朝に出かける約束をした。 用賀神社には「あばれ獅子」と異名をとる一対の獅子頭があり、明治の初めには、秋祭りになると五穀豊穣・悪疫退散を祈願し、若者が獅子をかついで村中を練り歩く風習があったという。いまでは神輿がそれに取って代わり、そう広くはない境内に所狭しと露天がならぶ。秋祭りは、僕ら“用賀っ子”の楽しみのひとつだった。 翌朝、十月のひんやりした朝の空気を感じながら神社へ。悪ガキ3人を、立派な石造りの鳥居が出迎えてくれる。まさに祭りの後といった閑散とした境内だったが、僕らの目には、宝探しの会場としか映っていない。3人のハンターは目を輝かせながら境内へと散らばっていった。しばらくすると、「あった!」というミノルの声。ススムと二人で駆けつけると、たしかに草むらのなかにキラリと光るものが。「おおーっ!」と興奮したススムが拾い上げたのは、ただのビール瓶の王冠だった。 「まったく、祭りの翌日にはお金がいっぱい落ちてるとか言い出したのは誰だよ」 「おかしいなあ。たしかに兄貴がそう言ってたんだけど……」 境内の石段に腰かけ、仏頂面を三つならべたあの日から二十数年。ススムは札幌で、ミノルは中国・大連でそれぞれ仕事をしている。いつか、3人で用賀神社の散策でもした後で飲みたいものだ。


父との時間

今年9月、東京新聞『わが街わが友』というコーナーで、 全12回の連載を担当させていただいていました。 なんと、今回、東京新聞さんのご好意により、全12回のコラムを 当サイトにも掲載させていただけるようになりました! 掲載は、11月中の月曜、水曜、金曜を予定しています。 どうぞ、お楽しみに(^O^)/ では、まずは第1回「父との時間」から。   第1回 『父との時間』 僕にとって、「生まれ育った街」と言われて真っ先に思いつくのは、世田谷区用賀。砧公園や馬事公苑など、緑豊かな土地であるだけでなく、多くの幹線道路に囲まれた交通の便にも恵まれた街だった。 いまや用賀のランドマークにもなっている地上28階建ての駅ビルも、完成したのは僕が新宿区へ転居した翌年(93年)のこと。当時は、“用賀村”と呼ばれるほど、のんびりとした街だった。 現在は駅ビルの地下にある優文堂書店。当時は、駅からすぐそばにある路面店だった。日曜日、父に連れられて自宅から本屋までふたりで出かけていくのが、週に一度の楽しみだった。父が仕事から帰宅するのは夜遅く。平日はあまり話をすることができなかったから、その一週間に学校であった出来事などを話す約20分の道のりは、僕にとってとても待ち遠しい時間でもあった。 いざ本屋に着くと、しばし別行動。僕の車いすをマンガ売り場まで押していくと、建築家だった父は、美しい建物が載る雑誌をぱらぱらとやりに行った。わが家には「マンガ本を買うのは月に一冊」というルールがあったから、毎回、欲しかった『ドラえもん』を買ってもらえたわけではなかったけれど、僕はそれでもふくれ面をすることはなかった。大好きな父と一緒に出かけられるだけで、それだけで十分に幸せだったから。 あれから20年以上が経ち、僕にもふたりの息子ができた。気づいたことがある。父は、別に毎週のように本屋に用事があったわけではないのだ、ということ。平日は僕にかかりきりで、自分の時間など持つことができなかった母に、わずかなからも休息の時間をつくってあげたかったのだろう。さて、息子よ。僕たちはどこに出かけようか。


「どうやって?」シリーズ

さて、ツイッターをやっていると、みなさんから 「乙武さんは、どうやって○○をするのですか?」という ご質問をよくいただきます。 そこで、今日はそのなかでも、特によくいただく質問について、 写真付きで回答していきたいと思います! Q.1 どうやって、パソコンを打っているのですか? A.1 みなさんの肘よりも、やや短い腕の先を使って打っています。 こう見えて、なかなか打つのが速いんですよ! Q.2 外出時は、どうやってツイートしているのですか? A.2 首からぶらさげた携帯電話のボタンを口先で押しています。 iPhoneは僕の手では操作が難しいので使っていません。 Q.3 字はどうやって書いているの? A.3 このように、ほっぺたと腕の間にペンをはさんで書きます。 ちなみに、このサインは筆記体で「OTO」と書いています♪ いかがでしょう? みなさんのギモン、少しは解けたでしょうか!? 機会があれば、またやってみたいと思います♪


FUNKISTカラオケ♪

FUNKISTのVocal・染谷西郷君とカラオケに行ってきました♪


日本×アルゼンチン戦

10月8日(金)、埼玉スタジアムにて。


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