OTO ZONE

NEWS!

愛しい君へ

深夜に、泣きながらこの文章を書いています。 君が亡くなったというニュースを聞いたときも、胸が詰まる思いでした。 だけど、今日は、今日のニュースは、また違う種類の悲しみを、 僕の胸に届けるものでした。 「いじめと自殺の因果関係は認められない」 僕にとって、それはあまりに衝撃的な言葉でした。 校長先生は、どんな思いでその言葉を口にしたのかな。 いじめた子どもたちに、心の傷を残さないための配慮だったのかな。 担任の先生だけに、責任を負わせないための配慮だったのかな。 僕たちにはわからない“何か”を守るためのものだったのかな。 君の笑顔は……少しでも頭のなかに思い浮かべてくれてたかな。   遺書は、なかった。   この事実がわかったとき、彼らはどんな思いだっただろう。 ひとりの尊い命が奪われてしまったという事実も忘れ、 ホッと胸をなでおろしていたんじゃないか。 僕には、そんな気がしてならないよ。 もしかしたら、やさしい君は、そんなこともわかっていて、 何かを言い残すことなく旅立ってしまったの? でも、それはきっと間違いだよ。 そんな君のやさしさを、まわりはただ利用しているだけ。 「いじめが直接的な原因かはわからない」 また、涙がこぼれてきた。 悔しいよ…。 救ってあげることができなかった自分の不甲斐なさを、 鋭い痛みとともに、強く、強く感じています。 かけがえのない命を失わせてしまった。 君のような苦しい思いで、この世を去っていく子どもが、 一人でもいなくなるように――。 僕にできる精いっぱいのこと、力を尽くしていくからね。 乙武洋匡


馬上からの景色

東京新聞『わが街わが友』全12回の連載をお届けするシリーズ。 今日は、用賀小学校時代のめずらしい思い出をつづった 第3回「馬上からの景色」をお送りします!   第3回『馬上からの景色』 「ピイーッ、ピッ!」 僕が6年間通った世田谷区立用賀小学校。正門前にある横断歩道では、毎朝、警官が交通整理をしてくれていた。そしてその警官が乗っているのは、パトカーでも白バイでもなく、“馬”だった――。 用賀小から徒歩十分ほどの距離にある馬事公苑は、東京ドーム約4個分という広大な敷地を誇るJRA運営の公園。春には桜が咲き誇り、区民の憩いの場となっている。騎馬警官は、毎朝、この馬事公苑からやってきていた。 十一月。勤労感謝の日に向けて、各学年が日頃からお世話になっている方々に作文を書くことになり、僕ら五年生は騎馬警官に感謝の思いを伝えることとなった。すると、「作文のお礼に」と、五年生全員が馬事公苑で馬に乗せてもらえることになった。 冬の澄んだ青空。白い鉄柵に囲われた黒土の放牧場。僕らは列をつくって、茶褐色の美しい馬体にまたがる順番を待った。友達が気持ちよさそうに場内を一周する姿を見上げながら、「いったい馬上から見える景色はどんなだろう」などと思いをめぐらせる。少しずつ僕の番が近づくたび、鼓動が速まっていった。 「よし、じゃあ次はヒロだ」 担任の先生に抱えられて、5段ほどの木製の階段を上がる。これで、ようやく澄んだ目をしたサラブレッドと同じ高さになる。職員の両脚に挟み込まれるようにして、馬上へ。目線は2階にいるような高さ。ぐらり。ゆっくりと動き出したが、思いのほか揺れが大きい。怖い。でも、何だか誇らしい気分。あっという間の数分間だった。 カポッ、カポッ。馬の蹄が路面を叩く音とともに登校していたあの頃。騎馬警官は、いまでも用賀小の子どもたちを見守ってくれているという。


祭りのあと

東京新聞『わが街わが友』全12回の連載をお届けするシリーズ。 今日は、小学校時代の友人との思い出をつづった 第2回「祭りのあと」をお送りします!   第2回『祭りのあと』 小学校低学年くらいまでは、「親に連れられて歩く場所」だった用賀の街は、高学年になると「友達との遊び場」へと変わっていった。 「なあ、明日の朝早く、用賀神社に行かないか?」 そんな相談を持ちかけてきたのは、悪友のススムだった。縁日があった翌朝に神社の境内に行くと、小銭がたくさん落ちているというのだ。「いいね。面白そう!」僕らは近所に住むミノルを誘って、翌朝に出かける約束をした。 用賀神社には「あばれ獅子」と異名をとる一対の獅子頭があり、明治の初めには、秋祭りになると五穀豊穣・悪疫退散を祈願し、若者が獅子をかついで村中を練り歩く風習があったという。いまでは神輿がそれに取って代わり、そう広くはない境内に所狭しと露天がならぶ。秋祭りは、僕ら“用賀っ子”の楽しみのひとつだった。 翌朝、十月のひんやりした朝の空気を感じながら神社へ。悪ガキ3人を、立派な石造りの鳥居が出迎えてくれる。まさに祭りの後といった閑散とした境内だったが、僕らの目には、宝探しの会場としか映っていない。3人のハンターは目を輝かせながら境内へと散らばっていった。しばらくすると、「あった!」というミノルの声。ススムと二人で駆けつけると、たしかに草むらのなかにキラリと光るものが。「おおーっ!」と興奮したススムが拾い上げたのは、ただのビール瓶の王冠だった。 「まったく、祭りの翌日にはお金がいっぱい落ちてるとか言い出したのは誰だよ」 「おかしいなあ。たしかに兄貴がそう言ってたんだけど……」 境内の石段に腰かけ、仏頂面を三つならべたあの日から二十数年。ススムは札幌で、ミノルは中国・大連でそれぞれ仕事をしている。いつか、3人で用賀神社の散策でもした後で飲みたいものだ。


父との時間

今年9月、東京新聞『わが街わが友』というコーナーで、 全12回の連載を担当させていただいていました。 なんと、今回、東京新聞さんのご好意により、全12回のコラムを 当サイトにも掲載させていただけるようになりました! 掲載は、11月中の月曜、水曜、金曜を予定しています。 どうぞ、お楽しみに(^O^)/ では、まずは第1回「父との時間」から。   第1回 『父との時間』 僕にとって、「生まれ育った街」と言われて真っ先に思いつくのは、世田谷区用賀。砧公園や馬事公苑など、緑豊かな土地であるだけでなく、多くの幹線道路に囲まれた交通の便にも恵まれた街だった。 いまや用賀のランドマークにもなっている地上28階建ての駅ビルも、完成したのは僕が新宿区へ転居した翌年(93年)のこと。当時は、“用賀村”と呼ばれるほど、のんびりとした街だった。 現在は駅ビルの地下にある優文堂書店。当時は、駅からすぐそばにある路面店だった。日曜日、父に連れられて自宅から本屋までふたりで出かけていくのが、週に一度の楽しみだった。父が仕事から帰宅するのは夜遅く。平日はあまり話をすることができなかったから、その一週間に学校であった出来事などを話す約20分の道のりは、僕にとってとても待ち遠しい時間でもあった。 いざ本屋に着くと、しばし別行動。僕の車いすをマンガ売り場まで押していくと、建築家だった父は、美しい建物が載る雑誌をぱらぱらとやりに行った。わが家には「マンガ本を買うのは月に一冊」というルールがあったから、毎回、欲しかった『ドラえもん』を買ってもらえたわけではなかったけれど、僕はそれでもふくれ面をすることはなかった。大好きな父と一緒に出かけられるだけで、それだけで十分に幸せだったから。 あれから20年以上が経ち、僕にもふたりの息子ができた。気づいたことがある。父は、別に毎週のように本屋に用事があったわけではないのだ、ということ。平日は僕にかかりきりで、自分の時間など持つことができなかった母に、わずかなからも休息の時間をつくってあげたかったのだろう。さて、息子よ。僕たちはどこに出かけようか。


「どうやって?」シリーズ

さて、ツイッターをやっていると、みなさんから 「乙武さんは、どうやって○○をするのですか?」という ご質問をよくいただきます。 そこで、今日はそのなかでも、特によくいただく質問について、 写真付きで回答していきたいと思います! Q.1 どうやって、パソコンを打っているのですか? A.1 みなさんの肘よりも、やや短い腕の先を使って打っています。 こう見えて、なかなか打つのが速いんですよ! Q.2 外出時は、どうやってツイートしているのですか? A.2 首からぶらさげた携帯電話のボタンを口先で押しています。 iPhoneは僕の手では操作が難しいので使っていません。 Q.3 字はどうやって書いているの? A.3 このように、ほっぺたと腕の間にペンをはさんで書きます。 ちなみに、このサインは筆記体で「OTO」と書いています♪ いかがでしょう? みなさんのギモン、少しは解けたでしょうか!? 機会があれば、またやってみたいと思います♪


FUNKISTカラオケ♪

FUNKISTのVocal・染谷西郷君とカラオケに行ってきました♪


日本×アルゼンチン戦

10月8日(金)、埼玉スタジアムにて。


MONGOL800

モンパチの3人と!『800だョ♪全員集合』@宜野湾海浜公園。


短かった僕の“絶頂期”

先月、小説『だいじょうぶ3組』が出版されたことは重ねてお伝えして いますが、じつはもう一冊、僕にとって大切な本が出版されています。 『だから、僕は学校へ行く!』(文庫版) じつは、この本のPRのため、講談社が発行する月刊文庫情報誌 『IN☆POCKET』にエッセイを寄稿させていただきました! 編集部のご好意で、当サイトにも転載できることとなりましたので、 ぜひご一読いただければ幸いです(^O^)/ ****************************************************** 『だから、僕は学校へ行く!』――ちょっぴり、風変わりなタイトルなのかもしれません。大学卒業後、スポーツライターとして活動していた僕が、突然、大学に入りなおして教員免許を取得し、小学校の先生へ。そこに至るまでの心の動きを伝えたかったからこそ、こんなタイトルをつけてみました。 本書では、新宿区教育委員会の非常勤職員「子どもの生き方パートナー」として小・中・養護学校を回らせていただいた経験、さらには日本テレビ系「世界で一番楽しい学校」の取材で世界五ヶ国の学校を取材させていただいた経験をもとに、「自分はどんな教師になりたいのか」「教育現場はどんな問題を抱えているのか」について、僕自身が考えを深めていく過程が描かれています。 子どもたちへの体罰・セクハラの線引き。本当に身につけてほしい学力とは。教室内の多国籍化。障害のある子とない子がともに学ぶ環境づくり。個性の尊重とクラスの秩序というバランス。不登校という選択。近所のオジサン、オバサンも教育に参加する重要性――現場では、本当にさまざまなことを見聞きし、考えさせられました。 本書では、そのひとつひとつを章ごとに取り上げ、僕なりに感じたことを交えながら、それぞれの事例を紹介してあります。「ふむふむ、そうなのか」と、いまの教育現場についての新たな発見を感じながら、興味深くお読みいただければ幸いです。 じつは、この単行本の表紙を撮影した当時、僕は絶頂期でした。何が絶頂期だったかというと……体重です(笑)。人生初となる四十キロ台がもうすぐそこ!という、かなりふくよかな状態だったのですが、本書が刊行されてすぐ、杉並区立杉並第四小学校教諭――つまり、小学校の先生として働きはじめると、体重はぐんぐんと減っていき、あっという間に三キロの減量に成功しました(ん、減らそうと思っていたわけではない場合、「減量」とは言わないのかな)。いかに小学校教師がしんどい仕事なのか、その目方の変化がじつによく伝えてくれているように思います。 なんと、今回刊行される文庫版の表紙にも、三年前に撮影した“ふくよかな”頃の写真が使用されるとのこと。九月三日に発売になったばかりの初の小説『だいじょうぶ3組』(講談社)の著者近影ページと見比べて、その体重の変化をお楽しみください!? (『IN☆POCKET』9月号より)


「障害」=「個性」?

今日は、『誰だって波瀾爆笑』という番組に出演させていただきました。 とても反響が大きく、あらためてテレビというメディアのもつ影響力の 大きさに驚かされているところです。 以前は、テレビや新聞など「マス」メディアが発信することがすべて。 でも、ブログやツイッターといった「個人」メディアの登場によって、 そんな状況にも少しずつ変化が見られてきたように思います。 僕は、両者をこんなふうに使い分けています。 「広く」伝えたいときには、テレビや新聞などのマスメディア。 「正確に」伝えたいときには、ブログやツイッターといった個人メディア。 もちろん、マスメディアが不正確だと言うつもりはありません。 ただ、細かい言葉のニュアンス、言い回しなどにこだわる僕には、 どうしても第三者に言葉を委ねることになるマスメディアよりも、 一字一句を自分の言葉で伝えることができる個人メディアのほうが、 より安心感をもって、正確に伝えられる気がするのです。 メディアに言葉を託したことによって、誤解が生まれ、 その言葉だけが独り歩きしてしまった最たる例があります。 「障害は個性です」と語る乙武さん――。 みなさんも、どこかで見聞きしたことのある文言かもしれません。 でも、じつは、僕は一度もこのセリフを口にしたことがないんです。 個性とは、「その人らしさを形成する上で、必要不可欠な要素」。 だから、本来の意味で言えば、障害も個性なのかもしれません。 でも、やはり日本で「個性」という言葉が使われるとき、そのほとんどが 肯定的な意味であることが多いように思うんです。 それでも、「障害=個性」と言えるのか? ならば、障害という個性があこがれられたりもするのか? たぶん、答えはNOだと思います。 だから、僕自身は「障害=個性」と言いきってしまうことに、 少なからず抵抗を感じてしまうのです。 Twitterでそんなことを書いていたら、こんなツイートをいただきました。 「じゃあ、乙武さんにとって障害とは?」 僕にとって障害とは、「二児の父」「メガネをかけている」―― そうした要素とならんで、乙武洋匡を形成する数ある特徴のひとつ。 そして。 性格や能力、そして障害も含めた僕自身を形成するすべての特徴を 振り返り、それらを生かして、「自分にしかできないこととは……」と 考えたとき、そこに初めて「個性」が生まれると思っているのです。 僕は、この手足がないという特徴を生かして、多くの人々に 「みんなちがって、みんないい」というメッセージを伝えていきたい。 それは、『五体不満足』から一貫して強く思っていることです。 そうした信念で活動していくことが、僕の「個性」だと思っているから。


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